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『世界を変えた6つの「気晴らし」の物語 新・人類進化史II』を読んで

おもしろい本を読んだ。

『世界を変えた6つの「気晴らし」の物語 新・人類進化史II』

ガラスとか冷たさであるとか、まっとうな進化に光を当てた『世界をつくった6つの革命の物語』の第2弾。こちらは「気晴らし」です。「娯楽」であり、見方によっちゃ「無駄」であります。

というわけで、序文でなぜわざわざ「気晴らし」にフィーチャーするのか、ここから書かれます。

人間の進歩を測る物差しのひとつは、多くの人々に現在どれだけ休養の時間があるか、そしてその時間を楽しむためにどれだけ多様な方法があるか、である。
次に何が来るのかを解明しようとするなら、たいていは遊びの周辺を探ったほうがいい。つまり、新しい楽しみ方を考え出す人間の趣味、好奇心、サブカルチャーである。

たとえば音楽における自動化・記録化の推進によって、パソコンのキーボードの発想が生まれているように、楽しむためのある種「執着」が、著者の言うところの「ハチドリ効果」となって、他に転用・活用・伝播することがある。おもしろい。

とくに興味深かったものをすこしクリップします。

飲み屋・居酒屋が民主主義を生んだ

飲み屋の誕生は、新種のスペースの始まりでもあった。すなわち、余暇の気楽な楽しみを明確に意図して設計された構造物である。居酒屋は仕事のスペースでも礼拝のスペースでもない。住居でもない。あり得る社会生活の座標系のどこか別のところにあって、楽しむためだけに行く場所だった。現代世界にはそのような空間があふれている。

いつか鳥貴族に行ったときのこと。お手洗いで席を立つと、ふと周りのお客さんたちの光景が目に入った。みんな楽しそうにおしゃべりしている。「いい空間だなあ」となぜかそのときにこみ上げてくるものがあった。

たしか少人数で飲んでいたのだけど、それなりに盛り上がってたのかもしれない。気の合う友人と適度に酒を交わしながら会話を楽しめれば、人生きっといいものになる。その記憶が蘇ってきた。楽しむためだけの空間があることって、すばらしいことだ。

はるか昔の文明の夜明けごろ、初めて看板をつるし、金を払う客に酒を出した人物は、自分のイノベーションがやがて、世界を揺るがす政治革命や性革命を支えるとは、思いもしなかったことはほぼ確実だ。

もともと、遊びと気晴らしのためにつくられたスペースが、驚いたことに、危険な新しい思想の温床になったのである

楽しむスペースだとしても、現代でも熱い議論を交わすこともあれば、会食のようにビジネスを主目的とすることもあります。いまもむかしもいっしょ。

当時をふりかえり、居酒屋、サロン、クラブ、バーなど、市民がパブリックな場で話を交わすことそのものに意義があったとするならば、イギリス発祥のコーヒーハウスにふれないわけにはいかない。

コーヒーハウスの多様な文化空間

コーヒーハウスにはいろんな顔があった。政治ゴシップの温床、賭博場や売春宿。船員コミュニティーやコレクションの場。なかには会話がラテン語のみのサロン、脚本家と役者を評価する演劇特化のコーヒーハウスもあったのだとか。

知的ネットワークが集中する空間だったことにはちがいない。江戸時代の木村蒹葭堂のサロンではないけれど、やはりコーヒーハウスはおもしろい。

コーヒーハウス特有の民主主義は、それ自体が成果であり、次の世紀には政治的民主化に一役買うことになった。しかしそれは、驚くほど多くのイノベーションにもつながった。初の公共博物館、保険会社、正式な株式取引、週刊誌――すべて、コーヒーハウスという肥沃な土壌に根ざしている。

最後に、コーヒーハウスのエチケットを規定するルールがこれまたすばらしい。

「まず、貴族も商人も歓迎され、一緒にすわるも非礼にあたらず身分の上下は気にせずに。見つかる席にすわってよし。目上の人が雇用とも立って譲る必要なし」

ファッションの流行起源は18世紀

経済学者で金融投機家のニコラス・バーボンは、一六九〇年の著作『交易論(A Discourse of Trade)』で、次のように述べている。「消費を呼び起こすのは必要性ではない。生理的要求はすぐに満たされるかもしれないが、心の欲求、流行、そして新しいものや希少なものへの欲望こそが、交易を生じさせるのである
一七二三年にバーナード・マンデヴィルが、ほとんどのファッションの「流行は一〇年、一二年以上は続かない」し、一〇年サイクルは恥ずべきはかなさだと、軽蔑するように述べている。

一七五〇年代からそのペースは半年ごとの回転にまで加速したが、一七七〇年代までにファッションの変化は、程度の差はあれ現在のスピードに落ち着き、毎年新しい「流行の」スタイルが紹介されるようになった

おまけでファッション。今年の流行色は「これです!」。いろんな方がTwitterなどでツッコミ的な言及をしているけれど、例年このかんじが続いている印象があります。

ふりかえれば、18世紀からこんなかんじ。だとすればもはや伝統であり、それなりに受け入れている人が古今東西で多いことが肌感覚でわかります。

コーヒーハウスにちょくちょく興味がわく日々です。

というわけで以上です!


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