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"さいはての地"で見たものは、ローカルの課題か?可能性か?

4月3・4日「半島さいはて会議」開催。
ここは本当にさいはてですか?

2021年4月3日、“女”は能登半島の石川県珠洲(すず)市に向けて、のと里山海道を車で疾走していた。

その日は朝から雲ひとつない快晴。気温は朝9時過ぎから20度越え。”女”が、自分の黒の長袖ワンピースに皮のコートという暑苦しいいでたちを後悔するほどの陽気だ。桜は満開だ。能登の空と海はさぞや蒼く綺麗だろう。想像するだけで心が踊る。

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↑珠洲市の観光名所・軍艦島。干潮であれば、島まで歩いて渡れる。

さて。

“女”はLivingAnywhere Commons(以下、LAC)のユーザーであるが、なぜに能登へ?

昨年11月にLACの拠点に仲間入りした「LAC能登珠州@木ノ浦ビレッジ」で開かれる「半島さいはて会議」に出席するためだ。昨年のオープニングイベントでは、LIFULLのLAC責任者、LAC伊豆下田のコミュニティマネジャーとユーザー、さらには珠洲市在住の気鋭の若手経営者等が集合。

その際、下田と珠州という半島の突端の街同士、お互いの課題や未来について話し合う場をもちましょう、というのが「半島さいはて会議」のメインテーマだ。

今回は地元プレイヤーの他に、ファシリテーターとして、Inter Local Partnersの山本桂司さんと古田秘馬さんも参加。地域活性のプロ中のプロの2人も出席すると聞き、とても興味深い会議になりそうだと“女”は期待する。

それにしても。

“女”は前々から、珠州につく“さいはて”という形容詞に、違和感があった。英語でいうと、the end of the earth. さいはてとは、人がなかなかたどり着けない、最北か最南か最西か最東の地を指しているのでは? 

「ゆうても、飛行機で羽田から能登空港まで60分未満で到着するし。なんでここが“さいはて”?」

“女”も石川県出身。同じ県内の市が“地の果て”扱いされるのが、やや不満だったのがホンネのところ。

しかし。

珠州は県庁所在地である金沢市から車で2時間半以上かかる。能登半島の中部の穴水という街までしか電車(地元では汽車という)が通っていない。旅行者がここにたどり着こうとすると、金沢駅からレンタカーか長距離バス、能登空港からレンタカーかバス……。能登空港への飛行機は、羽田空港から1日往復2便のみ。しかもコロナ禍でさらに減便されている現状で、空港から珠洲の市中まで1時間弱かかる。

思えば。

半島の三方を海に囲まれ、日本海の先は、朝鮮半島、ロシア、中国はすぐ(地図上では)。そういえば、“女”の幼少期、ラジオをつけると、AM放送であれば、朝鮮語放送がどこよりもクリアに聞こえたではないか。

となると。

やはり、ここは“さいはて”なのか。

でも、“さいはて”には“さいはて”の良さが絶対にある。

もとい。

“女”は能登半島の海岸線を車で疾走している。くねくね、くねくね、また、くねくね。ビートルズの楽曲としては「ビルボードホット100」で最後の1位を獲得した「The Long And Winding Road」の冒頭のフレーズを思い出す。“長く曲がりくねった道が行き着くのは、君への扉”。そう、この道の行き着く先は、珠洲への扉だ。

そして。

珠洲市中心部にて、都心や金沢方面からいらっしゃった参加者たちと合流。

皆さん、さいはてにようこそ! 昼から午後いっぱいは、地元プレイヤーが活躍するスポットを訪ねるフィールドワークが中心だ。

さいはて会議御一行様は、一路「松田牧場」へ!

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↑半島さいはて会議参加者が乗ったバス。


珠洲の絶景牧場にて
乳牛と和牛を育てる若き牧場主

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↑和牛を放牧することもある牧草地。

あたり一面、緑豊かな牧草地帯が広がる松田牧場。木製のブランコがあって、まるで「アルプスの少女ハイジ」のような景色が目前に広がる。放牧地の周囲は5kmで、珠洲では一番の大きさを誇る。

「珠洲といえば、漁業でしょ」と思い込んでいた“女”は、自分の浅はかさを悔いた。

よくよく考えてみたら、“能登牛”というブランド和牛があるではないか。ここ松田牧場でも、乳牛以外に和牛の繁殖も行なっている。

牧場主の松田徹郎さんは、農業大学卒業後、長野と石川の牧場勤務を経て、珠洲市で松田牧場を立ち上げた。松田さんの父親が大型動物の獣医師ということもあり、小さい頃から牛とも馴染みがあった。父親と協同で仕事ができるのも強みになる。

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↑従業員6人を率いる若き牧場主・松田さん。

独立当初は、自分の能力やキャパシティがよくわかっていなかったので、朝5時から夜12時まで働き通しになるなど、苦労が多かったが、今では従業員も増えて、だいぶ仕事が楽になったそう。

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↑黒毛和牛とホルスタインの2種類を育てている。

それにしても、牛の目は黒目がちで可愛い。理屈抜きで可愛い。

松田さん自身も、この牛たちの愛らしさに癒され、仕事をするときのエネルギーになっているそうだ。

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↑乳牛の子牛ちゃん。立派に成長してね!

牛乳や肉の出荷など、酪農業は大事な第一次産業だが、若い経営者が参入するには資金力が必要になるなど何かとハードルが高い。そんな中、松田さんの奮闘は賞賛に値する。

“女”は思う。松田牧場ブランドの“能登牛丼”を食べてみたいと。黒毛和牛の子牛の黒目に癒されながらも、そんなことを考えるのは罪なのか?


廃線と終着駅から見えるものは?そして海に還る“塩”の作品の想いとは?​

第二次世界大戦後まで、珠洲には鉄道が走っていなかった。

「奥能登に鉄道を!」。この住民の願いが叶い、能登半島中部の穴水駅から旧蛸島駅までJR能登線(その後第3セクターの「のと鉄道」に継承された)が1950年代に開通したが、止まらない過疎化と赤字が累積し、2005年に廃線。たった41年の歴史の鉄道で終わってしまった。

のと鉄道の終点・旧蛸島駅から少し離れた線路上には、当時走っていた車両が田園の中にぽつんと残る。この景色は「奥能登国際芸術祭 2017」のキービジュアルにもなった。

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↑当時の車両が田園の中に残る。やや哀愁を帯びる風景。

ちなみに。

奥能登国際芸術祭(以下芸術祭)とは、2017年に第一回目が開催された現代アートの祭典である。

現代アートといっても、難解な作品だけが展示されるわけではない。

というのも。

この地に交通手段が少ないことはデメリットばかりではなかった。明治以降、近代化の波が押し寄せても、ほかの地域と隔絶されたことで、古代からの時間の流れ、文化、風習、祭り、自然などが累々と層になって残った。

その特異な遺産がアートのベースになっているので、初心者にとっても身近に感じやすい作品が多くなっている。

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↑廃線の線路の上に作られた、トビアス・レーベルガーの「Something Else is Possible」。

トビアス・レーベルガーの「Something Else is Possible」(なにか他にできる)は、

小道から始まる体験型作品。作品の中に入り先へ進むと、道が曲がりトンネル状に変化しながら、色も変化する。そしてトンネルの先から望遠鏡で見えたのは、廃線になった終着駅と……。

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↑右手にあるのが旧蛸島駅のプラットホーム。線路の奥には「Something Else is Possible」のネオンサインが。

線路も駅も放置されているが、ここから何か他のものが始まるのではないだろうか。なぜなら、終わりは始まりでもあるのだから。と、“女”は自分のイマジネーションをフルに駆使する。作者の想いも 知った方が良いと思うが、アートには正解がない。自分の“想像の翼”がたどり着いた先に答えがある。

本来ならば昨年開催されるはずだった、第二回目の芸術祭はコロナ禍で延期に。今年開催予定であり、嬉しいことに、今回展示予定作品の制作経過を見ることができた。

この日お会いした山本基氏は、広島生まれのアーティスト。若くしてこの世を去った妻と妹と過ごした思い出を忘れないために、“塩”を使ったインスタレーションを制作。今年の芸術祭で展示予定の“塩”の作品を、鋭意制作中だ。このため、展示現場をペンキで塗る作業などに、地元の人々が有志で参加している。

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↑アーティストの山本基さん(中央)。

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↑山本氏が作品を展示するのは、旧小泊保育所の部屋。壁の塗装、清掃以外に、作品に使用する塩の運搬や仕分けも、地元有志によって行われた。

展示終了後には、作品で使った塩を海に帰すそう。巡り巡ってまたいつの日か、海からこの地に塩が戻ってくるだろう。愛する人の肉体は滅んでも、その魂は身近に感じることができるのだ。山本氏の完成した作品をぜひ見てみたい、可能であれば自分も塩を海に帰したいと“女”は夢想する。

その後、前回の芸術祭で、2人の台湾人作家が作品を展示した巨大倉庫を見学。ここはもともと漁業用の網を修復する倉庫で、場内のスクリーンに網の影を映し出し、それが波のうねりのような幾何学的な模様になって、とてもダイナミックに。長く使われていなかった倉庫が、息を吹き返したようだった(現在展示はされていない)。

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↑巨大倉庫を舞台にした作品名は「Passing」

芸術祭の開催をきっかけに結成された「サポートスズ」の鹿野桃香さんによると、

「日本各地にはいくつもの芸術祭がありますが、奥能登国際芸術祭のよいところは、地域密着型であること。地元の方々が率先して、芸術祭の運営に携わってくださいました。そして日本中から多くの方々が来場されたことで、『珠洲は、自分たちが思うより、いいところなんだ』と再認識されたようです」

身近にありすぎると、本質的な良さが見えにくくなるものだ。

当たり前に存在する地域が、こんなにも多くの方々に興味を持ってもらえるのは、単純にうれしいと“女”は思う。


自分の農園をキャンプ場にしたい。
タバコ農家が見る夢は?

芸術祭の作品などを巡った後は、地元農家の浦野博充さんの農園へ向かう。浦野さんは、昨年のLAC能登珠洲のオープニングイベントにも一家で参加しており、もはや「半島さいはて会議」になくてはならないメンバーだ。

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↑実は浦野さんは喫煙者ではない。

前回、本業以外に、農園内でキャンプをやりたいという希望を発表した浦野さん。あれから数ヶ月経ったが、彼はまだキャンプへの想いを保っているのだろうか?

なんと。

浦野さん曰く「今年の6月以降から、農園を生かしたキャンプ場をオープン予定です」

と聞いた“女”はびっくり。

しかし、ここでキャンプができたら、気持ち良いだろうなとつくづく思う。

浦野さんの農園は山と海に囲まれた、素晴らしいロケーション。特に目の前の海は、プライベートビーチ感覚で楽しめ、日がな一日ここでぼんやりできたら最高の贅沢だ。

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↑農園から見える日本海。奥能登の海は透明度が高く、美しい。

浦野農園の収穫のメインは、先祖代々作り続けているタバコ。タバコはJTに定期的に買い上げられるので貴重な収入源だが、浦野さんにとっては心が熱くたぎる農作物とは言いがたい。さらに喫煙者が年々減少する昨今、この先どこまで安定収入たりえるかも疑問だ。

しかし。

安定したタバコの収入があるからこそ、他に冒険ができるのも事実。

実際に浦野さんは「ポケットマルシェ」というネーミングで、農園で作ったケール、ブロッコリー、ジャガイモ等を全国に向けて通信販売している。キャンプ事業もそう。

しかし、野菜もキャンプも安定した収入になるにはまだ時間がかかる。
それでも「これを売りたい!やりたい!」という情熱が浦野さんにはある。

情熱。
何かをやり遂げたいと思う時、最後に己を突き動かすのは情熱だ。

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↑ビニールハウスの中のタバコの苗。浦野さんの長女・らいみちゃんがにっこり。

安定と冒険の間、冷静と情熱の間の中で、浦野さんは自問自答しているのかもしれない。自分はこの先、農業という道で、一体何をしたいのか? 何をするべきかと。


現地プレイヤー達の熱い思いは
何よりも尊い

フィールドワークが終わり、木ノ浦ビレッジに戻った。

その夜は、鹿野桃香さん、浦野博充さん、ファシリテーターの山本桂司さんと古田秘馬さん、「半島さいはて会議」の仕掛け人である、VillageInc.社長の橋村和徳さんがオンライン参加して、今後の珠洲のあり方についてディスカッション。山本さんと古田さんの両氏が手がけて成功した、ローカルビジネスの例もプレゼンしていただいたが、どれも既存の方法論にとらわれない、新しい仕組みだと感心しきり。

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↑オンライン参加の橋村氏は、半島さいはて会議の発起人でもある。

地域創生に関して百戦錬磨の山本さん・古田さんから、地元プレイヤーに向けて愛あるムチ(提言)が数々飛び出した。

特に今年開催される芸術祭に関しては、自治体に頼りすぎず、もっと自律的な開催と運営を目指していった方がいいとも。それはもっともだし理想的だと“女”も思う。

しかし、プレイヤーも全力で頑張っている。

結局は、彼ら彼女達が満足のいく形で運営できればいいのではないか。

珠洲には、深刻な人口減少、少子高齢化、過疎化など、ローカルならではの課題が山積だが、可能性も十分にある。

LAC能登珠洲の常連である一部上場企業の社長は、珠洲に惚れ込み、今年の6月から本社機能の一部を珠洲に移転するという。

しかも、ただただ、珠洲の街や珠洲の人々を好きになってしまっただけだと語る。

恋愛と同じで、理屈ではないのだ。

“女”は思う。

まずはLACユーザーに珠洲を好きになってほしい。何度も足を運んでほしい。

ここに来ないと、さいはてで育まれた独自の文化も、自然も、人々の温かさもわからないのだから。

ライター:東野りか
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