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病気を抱えて前に進む。第二の人生の歩み方

離婚を経験し、病気の不安を抱えながら、自分の働き方ややりたいことを実現していくこと、またその過程で知ったワーケーションとのつながり。

自分に自信が持てず、これからの人生にモヤモヤを抱えていた私のここ数年間にあった出来事と、LivingAnywhere Commonsでのワーケーションに参加して改めて思った私の人生観についてお話しさせていただきます。

つらい病気の経験が、生き方そのものを見直す機会に

1年半ほど前のことです。10月ももう終わろうかという日の朝、突然の下腹部の差し込むような痛みで目が覚めました。吐き気で水も飲めない状態。タクシーで病院へ向かうものの、その病院では診断がつかず、別の病院へ救急車で運ばれました。

「ERで1番喚き散らしているかも」頭では冷静に判断がつくけれど、あまりの痛さに「もう嫌だ」と泣かずにはいられませんでした。強い痛み止めを投与してもらい、ようやく落ち着きました。

半日以上、痛み止めが切れる度に悶えながら、夜になり手術室が空くのを待っての緊急手術。痛みの原因だった腫瘍を摘出しましたが、それとは別に新たな病気も見つかりました。

術後は体を起こすのも普段どおりにはいかず、食事も味のしない重湯から再開します。毎日窓の外を眺めて、「外に出たい」「早く退院したい」と、術後の回復を早める歩行運動をがんばりました。

「生きたいんだな。」
「私はこのままでいいのだろうか?」

ここ数年の自分の人生を振り返りました。

死ぬかもしれないと思うほどの痛みと、そこからの回復。ひょっとしたら私はもう1回人生をやり直そうとしているのかもしれない。

「目を覚ませ」と誰かから言われているような気がしました。

モヤモヤしていた夫とのこと、自分のキャリアのこと、生き方そのものについて。死んだように生きるくらいなら、やりたいことをやった方がいい。改めて色々なことを考え直しました。

無理をして働いていた正社員時代から、ゆとりを持った働き方へ

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結婚前は、新卒で正社員としてIT業界で働いていました。
あの頃を振り返ると、無茶な働き方をしていたなと思います。若かったからできたことなのかもしれません。仕事も遊びも全力。

でも、どこかで自分を偽りながら生活を続けていて、最終的には体調を崩しました。ずっと「合わない型」に自分を押しはめようとしていたのだと思います。

その後、家庭に入り仕事は辞めました。
主婦の仕事もきちんとやろうと思うと大変なことが多く、実家の稼業と家のことを両立していた母に尊敬の念を抱きました。家事をこなす毎日でしたが、「何かしらの形で社会とつながっていたい」そんな気持ちがずっと心の片隅にありました。

そのような気持ちと、体調が快方に向かわないジレンマ。そういうモヤモヤしたものを抱えながらアルバイトをしたり、趣味である音楽を時々楽しんだり。「そんな生活も幸せかもしれない」そう思っていました。

体調が戻らない中、アルバイトは長続きしませんでしたが、在宅でできるデータ入力の仕事は3年続けることができました。在宅なら通勤は不要ですし、無理に長時間労働する必要もありません。独立した作業環境なら仕事が長く続けられそうだと思いました。

前の職場のように、ギスギスした環境の中で心のない仕事はしたくありません。昔のようにがむしゃらに働くのではなく、心にゆとりを持って働きたい。そのためには、自分が誰かを思いやれる余裕を持つことが大切です。

自分の仕事を通して、

相手の喜ぶ顔を見たい。
社会とゆるくつながりたい。
自分のやりたいことを叶えたい。

自分が後悔しない生き方をしたいと思いました。

自分が理想とする働き方は「フリーランス」

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離婚を心に決めた頃のことです。何か仕事を探さなければと、WEB制作スクールが主催する女性限定の座談会に参加しました。

話を聞くと、子育て中の女性がスクールをきっかけに在宅でWEB制作を始め、現在では1ヶ月暮らすのに十分な収入を得ているとのこと。子育てをしながらでもできるのだったら私にもできるかもしれない、と励まされました。

またそのときに、子どもを連れて地方で仕事ができる「ワーケーション」のお話があり、仕事と休暇が両立できるのは楽しそうだと、持っていた手帳に「ワーケーション」とメモを取ったのでした。

そんなとき、ふと「より多くの国を旅してみたい」中学の卒業文集にそう書いたことを思い出しました。フリーランスであれば、ネット環境があればどこでも仕事ができる。

10年間の社会での生活を経て私は、「いわゆる普通の会社員としては働けそうにないのかもしれない」そう気づきました。
私にはフリーランスという働き方が合っているのかも。時間はかかりましたが、ようやく働くことへの希望が見えた気がしました。

自分のルーツ巡りを経て、これからやりたいこと

昨年の3月。自分のルーツを巡る旅をしようと、それまで行ったことのない地域に足を運びました。
戸籍をたどって祖父母の先祖の地を調べ、おおよその場所を特定します。移動手段と宿だけを手配して行き当たりばったりの旅。

何も分からない状態で旅をすると、思いもよらない出会いがあったり、普段目につかないことに気づいたりできます。旅の最中も多くの発見があり、「地域にはそれぞれ何かしらの魅力が存在する」と感じました。

その後、私の故郷である北海道に帰省しました。

久々に帰って地元を車で街を周ってみると、今までにない新しい試みをしているお店を発見しました。地域にもそういった努力をしている人がいるのだと分かり「私もその魅力を伝える助けになれたらいいな」と考えるようになりました。

はじめたばかりのカメラで風景を撮ったり、美味しい食べ物を撮ってインスタグラムで発信したり、WEBで地域の魅力を発信するページを作ったり、地域からのホームページ制作を請け負ったり。
私ならそういった関わり方ができるかもしれません。

「好きなこと×やりたいこと×仕事」で生きていくことは、1つの理想の働き方だと思います。

何をしようとも不確定な人生。だから自ら行動を起こして楽しく生きる

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この先を思うことが時々あります。
理想が広がりすぎて、現実がともなっておらず、不安だらけな毎日ではあります。つまずいてばかりで、疲れて寝込んでしまう日もあります。

理想を叶えようとするけれども、未経験からの出発でどうしてよいか分からず、考えすぎて立ち止まることばかりでした。まだ生活が立ち行かない状態が続いています。

まずは自立した生活を送ること。これまでお話してきた夢に向かいつつ、自分の足で立てるようになってから、さらにその先を考えてもまだ遅くはないのかもしれません。

行く先でまたその先を考えながら、何よりも自分をいたわって、それからまた少しずつ前に進む。日々、少しずつ修正を繰り返しながら自分の理想に近づけたらなと思います。

「人生、何が起こるかわからない。」

これからも不確定なことが、まだまだきっと起こるのでしょう。自分が歩いてきた道のりでも思いがけないことが起こりましたし、どこかで自分をごまかして生きてきても、後々それを取り戻そうとする出来事が起こります。

10代の頃に思い描いていた未来とはかけ離れた現在を送っている私がいます。どうせ先のことは何も分からないのなら、何か行動を起こした方が楽しい。

世の中にはこんなにおぼつかない足取りで、それでも前に進もうと生きている人がいるんだということを知っていただいて、あなたに何かしらの希望が芽生えることがあるならば、私は嬉しく思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

〈ライター・太田衣美〉


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