七草にちか、非凡説

「エアプかこいつ」と、タイトルを見て思われた方もいるかもしれない。確かににちかさんは「平凡」であることがこれでもかと描写されている。283にいる他のアイドルに比べれば個性もアイドルとしての強みもない。見た目もかなり地味なほうだ。そんな彼女がWingに勝利するために、アイドルであるために選んだのが、自身の憧れた伝説のアイドル「八雲なみ」をコピーすることだった。しかしその道は険しく、プロデュースが進むにつれて彼女は笑顔を失っていく。これまでと違い、にちかさんのWingでは幸せをつかむことなくシナリオが終わりを迎えてしまう。

さて、ここまでくどくどとコミュの内容を振り返ってきたが、私が述べたいのはこのようなことではない。はたして彼女は凡人なのだろうか?なんの才能もないその他大勢でしかないのだろうか?それを考えるのがこのnoteの目的である。

以下、シャニPがにちかさんを評価している箇所を引用する。正確な読解を目指したら長ったらしくなったので、面倒な方は流し見していただけるとありがたい。

――それは、なんていうか
見よう見まねで・・・・・・
自己流で、素人っぽくて・・・・・・平凡で
けれど、アイドルが好きなんだろうなぁという
憧れと懸命さに溢れていて――
思いきりがいいことの他には
とにかく平凡な・・・・・・女の子だった
―――
なんというか
最初は、こんなものなんだろうか
とても明るくて、楽しそうで
みずみずしい耀きに満ちていて
でも、パフォーマンスをした瞬間に―――
くすんで、
何かのコピーになる
ほら、そういう顔
・・・・・・そういう顔が、似てるんだ
『平凡』な子にできる200%のことを、
にちかは見せてくれてるよ

いまだかつて彼がここまで辛辣な評価を下したことがあっただろうか。アイドルたちを肯定し寄り添おうとするこれまでのシャニPを見ていれば、にちかさんが「モブ」であると考えるのも無理はない。しかし、以上の引用箇所には興味深い点がいくつかある。まずはそれを確認していこう。

くすんだ、コピー

シャニPは1人の人間だ。何を当たり前のことを、と思われたかもしれない。だがこれは、他のソシャゲを考えてみれば必ずしも普通ではないことがわかる。急いで断っておくが、私にシャニマス以外のゲームをサゲようという意図はない。視点人物に個性を持たせることにはメリットもデメリットもあるだろう。そこに良い悪いはない。単に好みの問題だ。

ともかく、彼は1人の人間として描写されている。そして彼は、アイドルのありのままを尊重する人物である。ここまでは多くの読者に納得していただけるはずだ。では、ありのままとは一体なにか?

和泉愛依さんという人物がいる。ステージであがってしまう彼女はクールキャラとして舞台にあがることを選んだ。
園田千代子さんはどうだろう。彼女は無個性な自分に悩み、チョコアイドルという個性を手に入れた。

彼女たちのことを考慮に入れると、シャニPの、ひいてはシャニマスにおける「ありのまま」が辞書通りの意味ではないことがわかる。素の自分であるかどうかはたいして重要ではないのだ。では、にちかさんと彼女たちの違いはどこにあるのだろうか。憧れのアイドルをまねることの、どこに問題があるのだろう。

それはきっと、笑えているかどうかだ。気恥ずかしい言い回しになってしまったが、それがシャニPの判断基準であると言えるだろう。自己を肯定し笑えれば、それが彼女たちのありのままになるのである。

にちかさんは違った。彼女が時折みせる表情は悲しみを含んだものであり、憧れをまねることの苦痛がそこにはあった。彼女には自分の色があったはずなのに、悲哀でくすんで、ただのコピーになってしまう。

シャニPが厳しい評価を行ったのもこれが理由ではないか。担当アイドルを幸せにする、そのために彼女たちが望むことをする、こうした行動原理を持つ彼にとって、望んだことで自らを苦しめているにちかさんの姿は見ていられないものだったのだろう。

随分話がそれてしまった。ともあれ、ここで私が言いたいのは、シャニPの評価を全面的に信じてしまってよいのだろうか、ということだ。ここまで述べてきたように、彼はアイドルの幸せを願って行動する人だ。それ自体は立派なことだが、彼女たちの感情に敏感であるあまりそこに重点を置きすぎてしまうこともある。視野が狭いと責めているわけではない。もう一度言うが、シャニPも1人の人間だ。個人が個人を完全に理解できるわけでも、完璧な評価ができるわけでもない。だからこそ、違う角度からにちかさんのことを考えてみる必要があるのではないか。

ただの人ごみ

では、にちかさん本人は自分のことをどう思っているのだろうか。それを推しはかることができるのが、彼女の言ったこのセリフだ。

誰が見てくれるんですか、私のことなんか・・・・・・
道で立ってるだけじゃ、ただの人ごみなんですよ私・・・・・・!

胸の苦しくなる言葉だ。どこまでも自己評価が低く、そのままの自分が受け入れてもらえることを信じられない。なぜ彼女がこのような性格になったのか、Wingを読んだだけでは結論を出せない。出来の良い姉や父の不在が影響しているのかもしれないが、妄想の域をでないものだ。ただ、この自己評価の低さから「八雲なみ」をまねるという戦法を取ったことは確かだろう。

その選択によって彼女が苦しんだことはすでに述べた。では、その苦悩の原因はどこにあるのだろう。Wingに敗北し、アイドルである必要がなくなった彼女はこう言った。

よかったんです・・・・・・・・・
これで・・・・・・これで元に戻って・・・・・・・・・
なんにもなくなって・・・・・・・・・
もう・・・・・・
自分がなみちゃんでもアイドルでもないって――
思わなくって、すむんだもん

憧れをまねればまねるほど、望んだものは遠ざかっていった。自分の実力が上がればそれだけ、目指したものとの差が浮き彫りになっていった。自分をさらけだすこともできず、他人になりきることもできない。自己評価の低さゆえに伝説のアイドルをコピーしたのに、そこでも自らの無力さを突きつけられる。彼女がはまり込んだ泥沼を、私は想像もできない。

しかし、ここで話が終わるわけではない。あくまでもこの文章はにちかさんが凡人であるか検証するために書いたものだ。彼女の苦しみは疑うよしもないが、人は鏡に映った自分しか見ることができない。ここまで書いてきたことをそのまま鵜吞みにするわけにもいかないだろう。

アイドル七草にちか

シャニPとにちかさんの立場から論点を考えてきたが、そこには一つ欠けているものがある。それはファンの視点だ。とはいっても、Wingを優勝したのだから彼女には才能がある、と言うつもりはない。システム上仕方のないことだと言われてしまえばそこまでだからだ。しかし、以下に挙げる引用について考えてみると、また違った見え方ができてくるのではないか。

ははっ、うん
ばっちりじゃないか? SNSもわりと反応多めだ

もし彼女がWingで優勝することがシステム上避けられないことならば、この情報を差し込む必要はなかったのではないか。そこには2人の主観とは切り離されたにちかさん像が存在する。このことは、彼女を適切に評価するうえで見落としてはいけない部分だ。

メディアに現われる「アイドル七草にちか」はどのようなキャラクターなのだろう。情報が少ない以上きちんとした考察を行うことは難しいが、応援したいと思わせるような姿であったことは間違いない。彼女がWingで優勝することは、シャニPも、本人でさえも信じていなかったかもしれない。だが、「それ」を信じて彼女に声援を送った人は必ず存在しているのだ。

では、そんなファンはにちかさんのどこを魅力に感じたのだろう。ここからは更に根拠のない推測になってしまうが、伝説のアイドルが踏んだステップをコピーする様や、その他彼女が苦労して作り上げたものに惹かれていったのではないだろうか。シャニPがくすんだコピーと評した彼女のパフォーマンスを肯定し、そこに彼女の魅力を感じ取ったのではないか。

であるとすれば、作中では全く評価されなかった部分こそがにちかさんをWing優勝に導き、彼女を「輝かせた」ものだと言える。何も知らないファンから見れば、七草にちかは紛れもないアイドルなのである。それはにちか本人の魅力なのかと考える人もいるかもしれない。しかしこれまでみてきたように、シャニマスにおけるありのままは素の自分であるという意味ではない。たとえ後付けであれ、作り物であれ、それ自体はアイドルの輝きを損なうものではないのだ。

この両極端な評価のどちらが正しいのか、ということを考えてもあまり意味はないだろう。物事は見る角度によって形を変える。それは人も同じだ。
確かに七草にちかは凡人かもしれない。しかしそれはシャニPと本人を視点に置いたときの話で、「外」から見た彼女は才能を持ったアイドルなのだ。

以上が最初に提起した問題に対する回答である。さて、すでにこのnoteは3500字を超えようとしている。そこまでの字数を費やして至った結論がこれだ。どうだろうか?書いた本人が言うのはなんだが、私はこれに少しも納得していない。このシナリオで描かれたことはこんな文章で捉えきれるものではないはずだ。よってここからは、以上の結論から更になにが導き出せるのかを考える。端的に言えば蛇足なので、興味のない方はここで読むのをやめていただいても大丈夫だ。むしろ私としては、いたずらに長くなったこの文章にここまで付き合っていただいたことに感謝したい。

開かれていく世界

シャニP、にちかさんの2人とファンの間で七草にちか像に齟齬が生まれていることを確認してきた。だが、Wingはあくまでプロローグだ。「笑える」ようになるために、彼女はこれから自分の色を見つけていく。それを象徴しているのが、Wing優勝後に2人がしたこの会話だ。

だから、どのみち・・・・・・
続きは、にちかが作っていかなきゃいけない

・・・・・・・・・・・・
わかってます・・・・・・・・・・・・たぶん

・・・・・・だったら大丈夫だ
大丈夫だよ、にちか

・・・・・・
プロデューサーさん・・・・・・

にちかは幸せになるんだ

思えばWingは、他に類を見ないほどにシャニPの独白が多かった。にちかさんにしても、言いたいことを言えずにごまかす場面がよくあった。そう考えると、ファンだけではなく、2人の間でも充分な相互理解はなかったのかもしれない。だがそれは仕方のないことだったと思う。いままでは、それを言ってしまっても傷口が広がるだけだったからだ。この会話を経てこれからは、もう少し互いの気持ちを打ち明けられるようになるだろう。そして、そんな他者との関わりこそ彼女が笑うための助けになるものだと思う。自分のことが認められないとき、君は素晴らしい人なんだと伝えてくれる他者の存在が救いになるのではないか。ファンが、またシャニPがそうした役割を果たしてくれることを、私は切に願っている。

文字媒体にはミロのヴィーナス的な美しさがある。使い古された表現だが、私はこの場面を読んでそう感じた。夜の公園の肌寒さ、首筋をなでる風、ミルクティーの温かみ。時折車の通る音が聞こえてきて、それが静けさを際立たせる。Wingを優勝してしまった彼女にとって、自分の色を見つけることは容易い道ではないかもしれない。それでもこんなに美しいのだから、未来もきっと幸福なものだろう。彼女は開かれた世界の入り口に立っている。

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