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愛って何でしょう?!

愛ってなんでしょうね?!

スピリチュアルな話題で必ずといっていいほど出てくる頻出wordですね。

家族愛・兄弟愛・隣人愛・恋愛・性愛…

まぁ、愛のカタチも関係性の数だけあるのでしょう。

で、愛って何でしょうね?!

デジタル大辞泉では…(とりあえず辞書・笑)

1 親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。「愛を注ぐ」
2 (性愛の対象として)特定の人をいとしいと思う心。互いに相手を慕う情。恋。「愛が芽生える」
3 ある物事を好み、大切に思う気持ち。「芸術に対する愛」
4 個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。「人類への愛」
5 キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。→アガペー
6 仏教で、主として貪愛 (とんあい) のこと。自我の欲望に根ざし解脱 (げだつ) を妨げるもの。
[用法]愛・[用法]愛情――「親と子の愛(愛情)」「夫の妻に対する愛(愛情)」などでは、相通じて用いられる。◇「愛」は、「国家への愛」など、広く抽象的な対象にも向けられる。◇「愛情」は、主に肉親や恋人に対して用いられ、「幼なじみにあわい愛情を抱きはじめた」などという。◇類似の語に「情愛」がある。「情愛」は「愛情」と同じく肉親や恋人間の感情を表すが、「絶ちがたい母子の情愛」のように、「愛情」よりも思いやる心が具体的である。

と、書かれていました。

人によって、場合によって、どの意味の愛なのか…いちいち確認するわけにもいかないのが難しいところ。


私も、愛って何なのさ?!

どこにあるのさ?!

と、愛を探したことがありました。


たどり着いた私の結論


誰しも存在そのものがみんな愛なのさっ


それが、家族に向けられるか、好きな人に向けられるか、好きなことに向けられるか、人類に向けられるのか、地球に向けられるのか、宇宙に向けられるのかの違いで、言葉は使い分けられ、意味も変わってくるのではないかと思うのです。


そんなキレイゴト言ったって、「私に愛はないよっ」と言う方もいらっしゃるかもしれません。


赤ちゃんって、愛そのものだと思います。

何も自分じゃできないし、放置されたら死んじゃうし、それでもそこにいるだけで、なんか笑顔になってしまう、愛おしいと思える小さな命。

お腹がすいた

オムツが汚れた

抱っこしてほしい

そんな要求を力一杯、泣き叫ぶ。

安心している(誰かがお世話してくれるのが分かっている)から、あんなに小さな身体からあんなに大きな声で泣き叫ぶことがでるのです。

「いやいや、うちは親が子供嫌いで、完全に邪魔者扱いだった」という方もいるかもしれません。

だとしても、誰かが、お腹を満たしてくれて、オムツを交換してくれて、何年もかけて育ててくれたことには代わりはないのです。だって、今、生きていらっしゃるわけですから。

誰もがそんな愛という存在で、安心した状態から人生は始まったのです。

特別人よりも長けている必要もなく、何かが優秀だから存在価値があるわけでもなく、ただそこにいるだけでいいのです。

その存在することそのものを認めてもらえない、認めてもらった記憶がない、寧ろ否定された傷を抱えているから、何か人よりも価値が必要なんだと思い、周囲を見廻し、比較し、焦り、不安になり、それら全てをバネにして努力して、少しでも頂点に登ろうと必死になる…


勿論、それがお好きな方はそうすればよいと思います。


でも、そうではなく、周囲との比較、競争、勝敗、終わりのない努力…そんなことに疲労困憊、消耗している方もいらっしゃいますね。

私のセッションをお受けになる方はそんな方が多いです。そして口を揃えて言うのです。


自信がないんです。

自己肯定感が低いんです。

安心したことないです。


そんな方に伝えたい。

あなたはそこにいるだけで、愛そのものなんですよ。

そこにいるだけで価値はあるのです。

私という存在を認めるだけで、安心できるから勝手に愛は溢れてどこかに流れていきます。循環しない愛は自家中毒を起こします。


忘れてしまっているだけなのです。


人よりもオムツを卒業するのが遅かったとか

文字を覚えるのも走るのも遅かったとか

成績が悪かったとか

いい学校を卒業できないどころか、入ることすら叶わなかったとか

親にすごく叱られてばっかりだったとか

今なら虐待でしたとか

希望した先に就職できなかったとか…


そういう事の積み重ねで、忘れてしまっただけ


使命を全うしてるとか、いないとか大した問題ではありません。

生きていることそのものが使命なのです。

だって、命を使うと書いて使命ですね。

命を使って、日々を生きているわけでしょ。

毎日を一所懸命に生きている。

それだけで、使命は全うされている。


その上で、何をしたいか。

それはあなたの自由です。


別に立派な使命を背負っていなかったとしても、あなたの価値が下がるわけでも、愛(あなたの存在)がなくなるわけでも何でもない。


恋人や配偶者がいないから、自信もなければ、愛も足りない?!

愛はどこにあるの?!

あなたの存在そのものが愛なのです。

そしてあなたの目の前にいる人も愛なのです。

それが恋というベクトルに向かっていないだけ。

家族というベクトルに向かっていないだけ。

ひょっとしたら、あなたに向けられている誰かの愛を拒否しているだけかもしれない。

悲しいけど、そういうことって珍しくないですね…恋愛ごとだと特にね(苦笑)


人それぞれに愛のカタチがあるって、存在そのものが愛だから。


賛否両論あるとは思いますが、私はそんな風に思っています。

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