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自分の居場所

セッションをしていると、自分探しや自分の居場所を探している方によくお会いします。


私も、以前はずっと自分の居場所を探してました。

物心ついた時から、家には自分の居場所があるとは思ったことがなかったし、特に小学校ぐらいまでは学校という場所は激しく居心地が悪かった…

中・高・大学は、友達やバイト先の仲間などにも恵まれ、理論武装という鎧を着て(笑)、あたかもマイペースに過ごしているかのような私でしたが、心の中はいつもどこか不安で、自分の居場所を探していたように思います。

今思えば、学生時代は、守りたいと思う居場所がないが故に、好きにできたのかもしれません。若さゆえの傍若無人。

私の自分の居場所がない不安さは、社会人になっても続いていました。大人になるにつれて、社会を前に自分の好きにはできなくなっていって…私の自分の居場所探しは加速していきました。

1人暮らししたものの、なんか心細いし、会社では「腰掛けのつもりなら、早めに言って。そのつもりでこっちも仕事振るから。」と入社1年目の面談で言われ、友達の中には結婚する人もチラホラで始めた20代半ばから後半にかけてが、一番、不安定で、常に何かに焦っていました。

その頃に付き合っていた彼氏には、今でもホント申し訳ない気持ちがあります…ちょっとしたことで凹むのに、悲しかったり寂しかったりしても、全く素振りにも出さず、何かの拍子に大泣きしたり、怒ったり…ホント面倒な奴でした…今よりも更に激しく未熟だった頃の私の黒歴史(苦笑)


とにかく、どこかに居場所が欲しかった。

ここにいてもいいんだという安心が欲しかった。


そんな私が居場所探しを辞めたのは、父の闘病でした。

私が26歳の時に父に結腸癌が見つかりました。

最初は腸閉塞と診断され、1時間ぐらいの手術で終わりますよと言われていましたが、実際、開けてみたらソフトボール大の悪性腫瘍。

転院して、6時間の大手術…その後、ストーマー生活となり、放射線治療や化学療法。仕事は休職。私は1人暮らしを辞めて、実家に帰り、当時の仕事だったセラピストも辞めて、元の仕事のプログラマに戻りました。

一家の大黒柱が病に倒れたので、収入を安定させて家にお金を入れる為に、自分の居場所だとは一度も思ったことのない実家に戻りました。

でも、本当に辛かったのは、相変わらず居心地の悪いことでも、セラピストを辞めたことでも、生活費でも父の高額治療費でもありませんでした。


音もなく、ただそこにある死の気配…


重かった。不安だし、怖かった。

当時の私は、それまでただ煩わしいだけだった、見えない世界への感覚をどうにかしたくて、少しずつ学び始めた頃でもありました。レイキのアチューンメント受けてからは、よく父の腹部にレイキを流しました。

それでも、放射線治療した後は焼けつくような痛みで一晩中呻いていたり、化学療法の点滴のために2泊3日の入院を繰り返す父。点滴が終わって帰宅すると腕の血管が茶褐色に変色して座ることもままならないような状態でした。

その頃、私は不夜城と呼ばれるところでプログラマをしていたので、私が帰宅するのは深夜になる事も多かったのですが、父は私が帰りお腹にレイキを流すのを寝ないで(寝られないで)待っていることがよくありました。私が父のお腹に手を載せてレイキを流しながら、先にうつらうつら寝ることもしばし(笑)

リーディングもその頃からできましたが、敢えて何もしませんでした…真っ黒いコールタールか重油でドロドロになった海のようなモノが、ふとした拍子に見えて寝ぼけていてもゾッとして目が覚めたものです。

再発した癌が結腸から膀胱へ癒着。尿毒症になって救急車で運ばれたこともありました。仕事中に自分の携帯に家からの着信があると、気が気じゃない毎日でした。

日に日に食欲がなくなり、喉が通るのはアイスだけ…本当は一番よくない食べ物ですね。身体を冷やす上に糖分。癌細胞に養分を与えるようなもの。それでも、唯一、口から食べて嚥下できる食べ物だったアイスを食べるのは止められませんでした。現代医学の治療は本人が望んでいたので副作用が強いのを理由に勝手に辞めることもできませんでした。

明らかに、よくなるどころか悪化して衰弱していく父を見ているうちに、いつしか、私は自分の居場所を探さなくなっていました。


生きているから居場所は探せるのです。

明日も生きると決めているから探せるのです。


明日生きているのかどうか分からないような毎日の人は、自分の居場所よりも何よりも、生きていることが何よりも大事。残された時間が少ないと分かっているからこそ、その生きている時間が大切なのです。

結局、父は54歳で旅立ちました。最初に癌が見つかってから、丁度、5年目の夏のことでした。初孫が半年後に生まれるのが分かっていて、せめて孫を抱っこしてから逝きたいと言っていましたが、残念ですがその希望は叶いませんでした。


健康で通常時を生きていると、残された時間はまだまだあるように感じますが、私たちは遅かれ早かれ、いつかこの肉体から離れる日がきます。


自分の居場所を探し続けて人生が過ぎていくのは勿体ない!!


あなたがいる場所は、たとえどんな場所でも、あなたの居場所なのです。だって、あなたは生きている。たとえ悩みがあっても辛くても苦しくても、そこで生きる事を許されています。生きているからこそ、苦悩を感じるのです。それと同時に喜びも楽しさも感じる事ができる。幸せに向かって歩いていくことができるのです。頭で(言葉の意味は)は分かるけど、腑にはなかなか落ちないこの世のアレコレ…生きる上での苦悩を少しでも軽くして、幸せに向かうサポートの為に、私は今の自分の仕事を始めました。


結局、自分の居場所って、探して見つかるものではなく、気付くものなんだろうなぁと、今は思っています。


私は見えない世界からの示唆を受けたわけでも何でもなく、見える世界(現実)から気づかされました。


Makoto




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