見出し画像

空腹の深夜

 タイトルの通りだ。おなかがすいている。午前3時、眠気はいっこうにやってこない。ただ疲労と空腹、そしておそらくごくごく軽度の貧血で、目が回っている。どうっと血液が遠のいておぼろな視界の中、ふらふらとシンクで米を研ぎ、浸水させて、キッチンの明かりをつけたまま、暗い部屋のソファに横になって、今日という日をふりかえる。一日を通して食べたもの、目玉焼きひとつ。おなかがすいている。

 日付が変わってから晩ご飯の準備なんて、するもんじゃない。わかってはいるが、おなかがすいて眠ることさえままならない。とにかく何か食べたい、が、買いに行くのも面倒で、つくるのもまた面倒だ。どうにか米を炊く準備はしたけれど、火にかけるにはまだ早い、鍋で炊くには研いだ米を長時間水に浸けておく必要がある。浸水時間が不十分だと炊き上がりに芯が残ってしまうから。

 何年か前に炊飯器をダメにして以降、というか、炊飯器に残った米を長らく放置して、コメのコの字もとどめぬ、異臭を放つ緑色のヘドロに変えてしまい、恐ろしさのあまり炊飯器ごと破棄して以降、ずっと鍋で米を炊いている。コシヒカリなら浸水時間はできれば3時間以上がいいとか、一合につき 180〜200ml の水加減がいいとか、はじめちょろちょろなかぱっぱとか、数年間この手間を無視せずつづけているのは、そのほうがおいしいからとかいう理由ではまったくなくて(どうせ食べるならうまい方がいいとはおもうが)、ぜんぜんそうじゃない、ふつうにめんどくせえとおもっている、ぜったい炊飯器のほうがべんりだ、なんだけど、ただ、炊飯器を使うことを、わたしはためらっている。だって確信めいた予感がするのだ、たぶん、わたしは、あと2回くらい、ぜったい、ヘドロを生み出す。いくら炊飯器が便利でも、それは使用する人間の知能が伴わなければそのかぎりでないわけで、そのかぎりでないやつにとって、炊飯器は一生ヘドロ製造機だし、そんなやつに買われる炊飯器がかわいそうだし、あとシンプルにお金がない。

 たまに、たいして親しくもないやつから「どうやって暮らしてるの?」と聞かれる。げっそりする。それは「どうやって暮らしてるの?(お金もないのに)」という話で、つまりわたしの金銭感覚や貧富の層を問うていて、そんなの完全にマウンティング予備動作じゃん、うんざりだ、なんなんですか? 脳内で金切り声をあげて無礼者! とさけびながら、でもたいていは「え〜、ふつうに?」とかなんとか、首をかしげている。わたしの初対面三大タブートーク、金、政治、宗教です。もう、ほんとうに苦手だ。そういう質問。上から目線なのもやめてほしい。対等な会話がしたいだけじゃん。天気の話だけで充分たのしいだろうが。この際だからはっきりさせると、こたえは「ぜんぜん暮らせてない」が正解だ。どうやって暮らしてるの? 無礼者、ぜんぜん、暮らせてねえよ。2リットルの熱湯にカレールウをひとかけ溶かしただけの薄いスープを飲んだり、消費期限切れのパンをちびちび食べたり、マジの限界がくるとからっぽの冷蔵庫を前にマヨネーズを吸ったり、およそ月の半分はそうやって生きていますと、そうこたえれば満足か? ふざけるなよ。二度となめたくちをきくな。

 空腹、精神が不穏になるので、おいしい記憶をたどる。何ヶ月も前に、夜間の友だちと行った磯丸水産でたらふく食べたことをおもいだす。白ごはん、アオサのお味噌汁、白菜のおつけもの、カンパチのおつくりゴマ醤油、スズキのお刺身、マグロの竜田揚げ、海ぶどう、いかときのこのホイル焼き、島寿司。クゥ。なんておいしそうなんだ。事実、おいしかった。あんまりにも豪勢な字面なので空腹時には毒だとかんじる。腹がごうごう鳴っている。ちなみにこのときわたしは白ごはんをおかわりして、友だちに「磯丸水産でそんなにごはん食べる人初めて見た」と言われる。人前でがつがつ食べすぎたかなと、ちょっと引かれたかもと、箸を止めかけたわたしに、その友だちは「たくさん食べられるのは、おいしい時間を長く過ごせて、いいね」と笑ってくれるので、も〜、だいすきだ……とおもったのだ。彼女はひとの後ろめたさを手払ってやさしさにくるむのがとても上手だ。またいっしょにごはん行こうねと言って、こころおきなくそれができるのは、いつになるだろう。

 ハー! おなかがすいた。目を閉じて白いごはんのお供を夢想する。きんぴらごぼう。とり大根。たまごやき。白菜とあげの味噌汁。レンコンのはさみ揚げ。大葉とツナのサラダ。ピーマンのおかかあえ。冷やしトマト。きゅうりの浅漬け。焼きなす。たらこ。めかぶ。納豆。あーあ。おなかすいた。おなかスイッツァーランド。つらくなってきた。月末はあたりまえのように冷蔵庫がすっからかんなので、食べたいものは食べられない、ほんとうに米しかない、生活のこと、食費のこと、なんにも考えないですきなものをすきなだけ食べたい。つらくなってきたな。なんにも考えたくないので、気を失うように眠ってしまおう。起きたら米の鍋を火にかけよう。炊き上がったら蓋を開け、あの白くふっくらした香りをひとしきりかいで、空色の茶碗によそってやろう。だからいまは眠るのだ。ひびく腹の音を無視して。ねよねよ。ねるねるねるね。

 あー、キッチンの電気つけっぱなしだ。めんどくせ〜〜。

おわり。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ビッグラブ❣️
5
無力
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。