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スマホをバキバキにする情緒

 「無職」という社会的分類について、ようやくこのままではどうやらまずいらしいと思い至り、とりあえず職歴の空白期間を埋めるためにアルバイトを開始した。業務内容はいままで勉強してきたことをいかせる分野で、かつ、自分の興味もある分野、そして将来こういう職に就きたいという分野、……に、近接している。ドンピシャというわけではない、けどまあ、いいか、というぐあい。正社採用の可能性もある、交通費も出る、残業代も出る、服装髪型も自由で、ネイルもアクセもタトゥーもお咎めなし。まあいいかとおもう理由だ。

 とはいえ。そう、とはいえ、だ。完璧な人間がいなければ完璧な企業もない、理想の職場とは常に現実と対置されるものである、というわけでつまり、むりじゃん、という場面が多々あって、いやそもそも労働そのものがわたしにとって「むり」なのでそれはそうかともおもうのだけれど、問題なのは、まだ入って一週間なのに、想像を上回る辛酸を4回くらいなめたことなのだ。よく考えてほしい、週5勤務で4回。それはつまり、ほぼ毎回ということだ。

 3回目の辛酸をべろべろになめまわしたとき、限界が来た。許容をこえる事態と相手の言動に耐えられず、片道一時間超の帰路を急ぎ、家に駆け込んで、がっつり泣いた。泣いたというか、バチバチにヒスった。とにかく叫んで怒鳴って泣き喚き、ものというものを手当たり次第に投擲、それでも激情はとどまることを知らず、意味のない金切り声をあげた。全身をめぐる血液が沸騰して、ツノが生えキバが生え、からだはメキメキと巨大化して、怪獣になってしまった。火を吹いて街を燃やし、破壊の限りをつくした。ぶっころす、しね、いみわかんねえんだよハゲ、クソボケが、しね。しかし絶叫をさえぎって、燃え盛る炎を打ち消して、ピンポンが鳴った。郵便局ですー。間延びした声。すこしの沈黙のあと、巨大な怪獣は貧相に小さくなってモニターを確認すると、しぶしぶ扉を開けた。おもくそ『さっきまで泣いていました』然としたツラで、荷物を受け取った。荷物はバカでかい箱で、淡いストライプのラッピングがほどこされ、濃い色のリボンが飾られていた。そう、それは、あきらかにプレゼントらしい装いでわたしのもとに届いた。前日に歳を一つ重ねたわたしへ、同郷の友人ふたりが宛てた、誕生日プレゼントだった。とにかくサイズのデカイそれを受け取って、扉を閉めて、よろよろと部屋の真ん中に運び置いた。なにも考えず、箱をあけた。そこには、ハッピーバースデーの文字が飾られたドライフラワーの小包みと、手紙と、大きな、とても大きなムーミンのぬいぐるみが入っていた。

 このときわたしは、よろこびにはよろこぶためのコンディションが必要なのだと、身をもって知る。怪獣はピンポンが鳴った時点ですでに無力の人間にもどっていた。大きな箱を部屋に運んだとき、ものが散乱する空間に、おもいきり投げたせいで派手にへこんだ壁やバキバキに割れたスマホの液晶なんかを見た。暴れまわった人間は体力的に著しく疲労していて、脳裏には敷金や修理費のことが浮き沈みして、その日の最悪を反芻してお先真っ暗…とおもっていて、しかしムーミンの圧倒的な存在感、それが部屋にあること、そしてこれをプレゼントに選んだふたりの最上の友人へのおもいで、情緒がメチャクチャになった。つかれはてた元怪獣の人間は、声もなしに惰性で泣いた。

 翌日、朝5時半に起きて、ゆっくり準備をして、7時半に家を出た。もらったばかりの彼とあわせて、3体のムーミンにハグをしてから家を出た。ここが世界でいちばん幸せな地獄だ、とおもった。ほんとうにありがとうと、ふたりの友人に心からの礼を伝えて、一時間弱電車にゆられて、また労働に身をやつした。その日、4回目の辛酸をなめる。これがまた、いままでの比ではない、もはや人生で最大の悲劇レベルにクソマズゲロウンコだった。あまりにもとんでもない「ご意見」が、それも帰宅後、ラインを介して告げられた。ショックのあまりぶったおれた。前日にヒスった名残で部屋はメチャメチャのままだったし、掃除しきれていなかったスマホの液晶ガラスの破片であちこち出血もして、怒りや悲しみの激情にふたたび身体を任せるだけの気力もなかった。涙もでない、虚無を見つめながらムーミンのおなかをなでた。世界でいちばん幸せな地獄、とくりかえした。

 労働環境にも労働内容にも、大きな不満はない、ただストレスはある。なぜなら信用できないのだ、会社を、会社の人間を。マジで、ミリも。それにまつわる最初の地獄は「雇用契約書、作らなくてもいい?」ときかれたときだった。いや、作れよ。絶句するわたしの反応はいいように受け取られて、現在も書面は作成されていない。冗談だろ、とこわごわおもっていたけど、冗談じゃなかったらしい、シャチョーの中でわたしの雇用契約書は作らなくてもいいものらしい。ハ? しねよじゃね?つぎの地獄は、歓迎会と称した飲みの席で(そもそもこの渦中にあって夜の外食なんてとおもった)わたしのSNSアカウントの投稿を音読した挙句こばかにしてきたときだった。想像してくれ、居酒屋で上司にスマホを横取られ、自分のツイッターを音読される様子を。まさしく地獄だろうが。それから、この職種の人間はぜったいに利用するソフトを、会社で不正利用しているらしいのだ。ゴミじゃね? この業界であれば100パーセント利用すると言っても過言ではない、手仕事を求められることもあるだろうが主にはやはり一連のソフトを用いるだろうそれを、不正利用! 初期投資だろうに、それをケチるって、そんなの会社として程度が知れてる、わたしのノーパソ(私物)は最新バージョンにアプデしているのでデータのやりとりに本来なら不要な手順が発生してバカストレスだ。しんだらどうか?

 言えばいいじゃん、とおもう、わたしも。雇用契約書つくってください、歓迎会しなくていいです、Adobeちゃんと購入してください。言えばいい、わかる。これ以外にも、へんなあだ名つけないでくださいとか、デスクに勝手に荷物置かないでくださいとか、こまごまと言いたいことはしぬほどある。でも言えないから辛酸なのだ。このとき入ってまだ3日だぞ。入ってまだ3日!? あまりにも短期間で信用ならね〜という部分が無限湧きしている、きわめつけが4日目のラインを介したジョーシからのトンデモご意見だった。まずラインを介してという部分にいらだつ。直接こいや。そして文面、あきらかにその言葉がわたしを傷つけるものだとわかっていながら、「ご意見」している。なんなんだ? 傷つけることがわかっているなら、せめて金曜日にいってくれ、とおもった。その週どんな勤務態度でいろというのか、自信失って口数減って縮こまって泣き腫らした顔でいろってか、なめんな、そんな無様、わたしがさらすとおもうなよ。

 むりだな〜とおもって(くりかえすがこの時点でまだ入って4日である)、その日のうちに、来週からシフトを二ヶ月ほど週2勤務にしてくださいと申し出た。実家でトラブルが起きて、と説明した。実際、実家はアホみたいにトラブっているが、それとは関係なく、二ヶ月間でもっとちゃんとしたところに就職をきめたいという魂胆があった。翌日、また5時半に起き、ゆっくり準備をして、3体のムーミンにハグをして、7時半に家を出て、一時間弱電車にゆられ、定時に出勤した。そこでマジクソ最悪だったのが、ラインを送ってきたジョーシがこともあろうに開口一番「昨日はごめんね」とほざいたのだった。「シフトを減らしたのはあのラインと関係ある?」ときく。ばかげた問いだ、あるにはあるが一因に過ぎず、また実家の問題ということにしているので、いいえ別件で、と否定すると、「わたしのせいかとおもっちゃって、ごめんね」と気まずそうにわらった。瞬間、後頭部、耳のうしろ、うなじの上部あたりに熱がごうっと集まって、怒りを自覚した。

 この、クソボケ!!!!!!!

 おまえのせいに決まっている、わたしが傷ついたのは明確におまえの言葉によってだ、でもおまえはそれでも伝えることを選んだんだろう、そう決めてわたしを傷つけたんだろう、だったらその罪悪感もたえろや、おまえが謝罪すればわたしは無意味に不当に傷つけられたことになりますけど、ならば名誉毀損で訴訟も厭いませんけど、ごめんねで勝手にきもちよくなってんじゃねえよきめえなクソ!

 さらにマジのマジでゴミクソ最悪だったのは退勤のときで、シャチョーが「どう? 大丈夫?」と漠然とした質問をしてきたのだった。それはおそらく「ご意見」のことを指していた。おそらく、ジョーシがトンデモご意見ラインを送ってきたのは、シャチョーの指示によるものなので、ヤツは気まずい空気の原因やわたしのショックの大きさにも気づいていたとおもう。この事実もまた最悪で、だからわたしはなんにもわかりませんという顔で「まだまだ不慣れなので時間がかかってしまって…これからがんばります!」という元気が取り柄の新参者らしい無難な回答を返した。ら、ヤツは「あー、いやほら、そっちじゃなく、精神的に?(笑)」などとへらへら言って、「ご意見」されたわたしの心情を土足でさぐりまわす。怒りと呆れのはざまで言葉を失ってしまったわたしは「ハー!(笑)精神的に!?(笑)あー(笑)まー(笑)はい!(笑)」とテキトウぶっこきながら質問にはこたえなかった。ヤツは「まあまだ一週間だしね」とほがらかなふりをしやがった。まあまだ一週間だしね!? まだ一週間でこんだけツメられるわたしのきもち考えたことある? ねえだろうな! くたばれ! 倒産しろ! めんどくさくなって社員どもが残業するなか「お先失礼します(笑)」と半笑いで退勤した。ぜんいんしね。帰宅後、3体のムーミンにハグをして、ちょっと泣いた。

 そうして、週2勤務になって一週間が経とうとしている。正直言って精神はメチャクチャ安定している。わたしにとって最高の状態は「無職」であると俄然おもう。労働という巨悪にボコボコにされて、というか、労働に毒された人間どもにタコ殴られて、はたらきたいとおもうわけないのだ。はたらきたくない。マジで。しかしこうなると本当にお金がない、時期も時期なので自炊がはかどる。自分でつくったおいしいものを食べるときがいちばん安心できる。

 さいきんの気合い入ったおいしいものの例。なんかもう、こういうことしてるときがいちばんしあわせだ。こういうことというのは、すべてが自分のためだけにあるとおもえるようなことで、何食べようかなから始まって、あれが食べたい、じゃああれを用意して、食器はこれにして、できあがりは目で舌でたのしんで、寸分たがわず、一秒たりとてのがさず、はじまりからおわりまで、なにもかもわたしのもんだ、みたいな、そういう体験がいちばん幸福に近いとおもう。つまり、そう、はたらきたくねえなあ!

 さて、また就活をする。こんどこそ、というおもいと、いや、はたらきたくないし、というおもいで、まあでもとにかくやるんだ、むりだったら諦めて現状維持、いまの職場で正社をめざすことになる。おそらく職場は現在わたしの心がガッツリ離れていることを感じ取っていて、これからあなたにはこんなお仕事をしてほしい、とか、みんなでこんなふうに成長していきましょう、とか、あるいはもっとストレートに「フェードアウトするなよ」と言われたりとか、とにかく辞めるんじゃないぞという圧をかけてくる。しかし会社の将来に自分がそこそこの地位で設計されていようと、どれだけ真っ当で夢のあるゴールを掲げられようと、ぜんぜん心惹かれない。そんなもんは「雇用契約書もないのに?(笑)」「Adobe不正利用してるくせに?(笑)」の冷水をぶっかければおしまいだ。残念でした。

 はやく地球で人類最後の一人になりたい。そうなったら相棒の犬と意思疎通しながら荒廃した世界を冒険する。

おわり。

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ビッグラブ❣️
6
無力
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