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声と解放

感情的に、開放されているとき、
声というのは本当によく出るものだと思う。
だれもがそうだ。
泣くとき、笑うとき、喜怒哀楽がともにあるときの声は解放されていて、非常によく通る。
わたしは、そのときの喉の状態は
瞬間、瞬間、ベストポジションであると思う。
出そう出そうと思って出る声ではない。
ほとんど生理現象。
さらに、笑い声につられて周囲の人は笑い
泣き声につられて周囲も泣きたい気分に。
喜怒哀楽が伝染する。
歌はそもそもそういうところからきているのかも。

感情の解放と歌

わたしは、感情的、精神的に抑圧を感じているときは、
声、ほんと、出ないな、と思う。
ひどいときは話し声さえ出なかったり。
そんな張りつめた状態が、ついにピークに達し、
泣くところまで行くと、
一体どこから声が出るのだというくらい
よく通る泣き声が出る。
自分でもびっくり(そしてちょっとガックリ)。
わたしの泣き声を聞いたことがある数少ない者たちは
さぞかしウザかったことであろう( *`ω´)
そもそも現代のアラフォー女は人前で泣くものではないし、社会でうまくやっていくため、普段はけっこう抑圧していると思う。
でも、人前で歌う者のはしくれとしては、
あの喉のポジションはぜひ歌唱に取り入れたい!
という願望があったりする。
人前で泣くわけにはいかないけど、音色はさておき、
そのときの喉のポジションだけを、どうにか歌唱のときに引き出すことはできないものか。。
ゴスペルなんかは、本場では、泣き叫びながら歌う、
なんて、ぜんぜんありだと思うけど。
ちなみに笑い声や泣き声で発声すると、ボイトレとしてはめっちゃ鍛えられるらしい。
(余談。昔は、朝鮮半島とかでは、泣き女、という職業もあったらしいよ!)

さいきんのどの調子がよくなく、声が出にくいため、
そんなことを考えた。

でも、そういった本来の歌声をつかさどるための
喉の筋肉が動くときは、
精神的な浄化も伴うのではないかな。

これは喉の筋肉の(生理的な)動きの話であって、
旋律を伴う音楽的な話ではない。

だからたとえば、感情的な歌が音楽的に美しい、とか、
そういう話では全くないんだけど。

それでも、感情的、精神的に解放された
オープンマインドな歌手の歌は、伝わりやすく
多くの人の心をつかむし、聴く人の心まで解放に導く。
それは決して感情的な歌とは限らないし、
むしろ逆の場合のほうが心打たれたりも。
そういう歌手の歌はものすごく細部までコントロールがきいていながらも精神的な抑圧感は一切感じないし、
喉の筋肉は解放され自由に動くのだと思う。
とてもナチュラルに。鳥が鳴くように歌う人たち。
そもそも感情を入れて、スパーン!と声を出すほうが簡単だし楽だけど、それを制しコントロールして
音色を選び、且つ、それで何かを伝えることができる、というのはまさにプロの歌手なのだなぁと思う。
そしてやはり、コントロールをきかせるためにも、
解放されている必要はあるのではないかな。

歌唱練習、四苦八苦中!

喉の筋肉の話にもどると、
歌うための筋肉と
話すための筋肉は
ちがうといわれている。
(裏声と地声もあるし)
脳内でも使う部分が違うらしい。
右脳と左脳ということだと思うけど。
言語機能が失われた人でも
歌は歌える、という事例はしばしばみられるらしい。

なぜこんなことをわざわざ書いているかというと
音楽と歌、というものを常に完全にセットでとらえていると、混乱したり、がんじがらめになってしまうことが
今のわたしには時々あるからだ。
(自分用メモねー)

歌は、声と言葉と音楽が合わさったものだから、
それを歌唱練習として、練習するんだけども、
(そもそも人に聴いてもらうのは歌唱なのだから、ほんとはこの練習に最も時間をかけねばならないかもねー)
でも、今の自分の段階としては、
まずはそれぞれ分離して考えて、
発声は発声、歌詞は歌詞、音楽は音楽、
分けて練習したほうがいいのかなと。
歌手にも、歌唱力がすごい、とか、メッセージ性が強い、とか、楽器と対等なくらい音楽的、とか、
それぞれもともと得意な部分があるのだと思うけど、
そのへんのバランスは考えたいところ。
(余談。ミックスボイスも、裏声と地声それぞれ分けて訓練をし、ブレンドする訓練はまた次の練習がベストといわれているよー)

のどの調子がよくないときは、
精神的な抑圧感がなかなかとれないのであって
音楽としての美を追求する、歌唱そのものの練習をすると、
欲しい音色ひとつにしても、できないことにフォーカスしすぎ、焦燥感と自分への批判が加わり、
さらに抑圧が強まり、声が出なくなっていく、
という悪循環が生まれてしまうことがある。
音楽的に耳が肥えてきたりするとさらに陥りやすいかも。
音楽的に美しくないと、許せなくなってくる。
現代は素晴らしい音楽に溢れているがゆえに、
自分の歌なんて…と、ジャッジを下しがち。
音楽に魅せられがゆえに音楽に縛られてしまう現象。

欲しい音色、目指す音色、とは、おそらく、これまで聴いた憧れの歌手、つまり他人の声色である場合も多い。
自分の声帯は楽器のように交換できるわけではないし、そもそもの向き不向きもあるので、
結局、自分自身の声をよくよく知り、
受け入れ、愛し、向き合い続けるしかないのだと思う。

チーン( *`ω´)
(書いているうちに自分がいかにクローズマインドで分裂しやすいか、自覚してしまったよ)

自分自身を解放するために歌うことも必要

音楽的な美とかは、一旦おいといて、
まずは、感情的に解放されるための声を出してみよう。

今って、だれもが行き場のない感情があって当たり前。
自分が自分自身を解放するために、スッキリするために
声を出す、歌う、というだけでも、とてもいいと思う。

音楽療法でもいわれていることらしいけど、
自分の声には自分自身を癒す浄化機能があるはずなのだ。
自分の声を自分のために出す、ということは、
歌手云々は関係なく、すべての人の癒しを促すと思う。
喜怒哀楽を、今この瞬間思い浮かぶ好きな歌にのせて歌うとほんとにスッキリすることと思う。

そんな感じで歌ってみたら、楽しくなってきて
あっという間に時間は過ぎ、
喉のつかえも取れていた。

そういえば、わたしは物心ついたころはすでに
毎日、賛美歌を歌う習慣があって、
それで自分自身を浄化していた。
20代のとき鬱を経験したんだけど、
休日は独りカラオケを6〜8時間くらいして
癒していたっけ。
ライブ活動とは関係なく、歌はそもそも必要なもの。

自分の中で淀んでいるもの、囚われているものは、
歌うことで手放すことができる。

このnoteを最後まで読んでくださった方、
もし、さいきん歌ってないな、と思いあたったら、
好きな歌を歌ってみてはいかがでしょう?
小さな声でも、ハミングでもいいので。
上手い下手、音楽的に云々、のジャッジは抜きで。
あなた自身へ向けて。今の感情をこめて。
あなたの歌声は世界で唯一のものなので、
あなた自身を癒すのに最も適した価値ある声です。
他のどんな上手い歌手の歌よりも!



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