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好きの狭間にいつもある。
多分、僕は服を創ることも着ることも見ることさえも、ファッションを好きでたのしんでいるニンゲンの一人だと思っています。
しかし、こんな僕でもファッションに抱く疑問が日々大きくなっていくので、今回はそんなことを書いてみようと思います。
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ご存知のとおり、いまや服を創るブランドが世界各地であまりにも多いと思いませんか?
正直僕は多すぎると思っています。
既に飽和状態のファッション業界は今も
問いかけ、時間、労力、優しさのかけら。
今回は前回の続きでも洋服に関することでもなく、あくまでも僕が感じたことをただただ書いているので悪しからず。
……………
それは今年に入って立て続けに起きた2つの同じような内容のことで、どうしても一方に対して
「うーん…」となってしまった。
気にしなければ決して大そうなことではない。そんなことを書き記そうと思う。
1つ
まだ日本にいたときに仕事でご一緒したことのある方が1月の頭にニューヨ
きっかけからその先の話。
きっかけを得た僕が明確に海外で働いてみたいと思ったのは、Yohji Yamamoto社で働いていたときの後輩からの誘いがあったからです。
それがニューヨーク出張からおよそ4年後のこと。
その後輩はやはりとても苦労して、しかし強い意志を失わずにフリーランスからようやくビザサポート(海外で働くとなるとビザという許可証が必要なんです。これをサポートしてもらえるかどうかが大きなカギになるように思います
はじまりのきっかけの話。
僕は2017年の8月末に日本を後にしてニューヨークへと渡って来て、早4年目の新年をここニューヨークで無事に迎えられました。
皆様、あけましておめでとうございます。
…......……
いまでは楽しく日々を過ごせていますが来た当初は想像を絶するほどのニューヨークの洗礼的な出来事や、あまりにも底辺な出来事が重なっていたこともあって (と言うより自分たちで引き寄せていたんだろうなって。今になると
今昔、されどスニーカー ~時代はairmax に委ねてる~
いま思い返してみても、90年代の半ば頃から後半にかけての時期のスニーカーブームは正直すごかった。
ハイテクスニーカーは90年代に差し掛かる少し前頃からのテクノロジー開発の勢いが少しづつ、ゆらりゆらりと流行りの波に近づいてきていた頃だったと思います。その緩やかでも大きくなる波に続けとばかりに各ブランドの新作がリリースされ、既存のスニーカーも再び注目されて、また新作がリリースされて。と、あっという間
ステキだなと思うこと。2
ニューヨークは本当に多種多様な人達が行き交う街なので、皆がそれぞれおもいおもいそれぞれの個性を気の向くまま自由に表現していて、自分のしたいことをして、楽しそうに生きている人が実に多いように僕には感じるのです。
愛情や、性別、年齢、思想、ファッション、なにに於いてもそう思います。
例えば、
街角や電車の中でも、周りの目なんか気にせずに愛のカタチを、様々なふたりが確かめるかのようにサラッとキスを
興味とティンバとカッコいい。
洋服に興味を持ち始めたのは、たしか中学1年生の半ばだった?記憶です。この頃は、まだパターンナーとかデザイナーとかいう仕事がある事を当然知らなかったので、ただ漠然とカッコイイと思ったモノを雑誌 ( 当時はBOONとかasayanとかCOOL TRANSとか ) を擦り切れるくらい見て、妄想して、友人と話で盛り上がってはそれ欲しさ見たさに上野、裏原、渋谷にしょっちゅう出かけていたことを思い出します。
ステキだなと思うこと。
僕がステキだなぁ、って思うことがあって。
それが何かというと、ニューヨークなのか海外特有なのか定かではないのですが、街をすれ違う人だったり、信号待ちをしてるときだったり、レストランでも、僕を含めた見知らぬ人に不意に声をかけてくることがあるんです。
例えば
「あなたのパンツステキだね!」
「あなたが食べているの美味しそうね、どのメニューなの?」
「そのストローラー(子どもが乗るやつです)
得る自信と得るもどかしさ。
僕はアパ技になった2年生のとき、どこかしこから湧いてくるパターンへの自信に満ちていました。
どのくらいの自信だったのかを臆せず正直に言うと、他の人たちは眼中にないくらいでした。
正直、今思うとヤバイですね(笑)
お察しのとおりたかだか1年間学んだだけです。しかも、手縫いの技術のバリエーションを知ったり、ポケットなどの部分縫いを創ったり、服で云うとタイトスカート