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21.3.19 シン・エヴァ初日二回見た感想

マジで激アツ。100%満足しかない。

ほかの人の感想に染まる前に、思ったことを最低限残しておこうと思います。

全部ネタバレです。




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冒頭。公開済みのパリ戦が終わってタイトル。画面が赤くなりオープニング。少し長めの尺だが、壮大なBGMに聞き惚れつつ、場面が転換してしまえば本当に知らない物語が始まってしまうのだなぁ、という焦りがあった。

第三村の描写はキリがないので省略。

とにかくずっと黄昏続けるシンジ君。そこに通い続けるレイ。

Q終盤以来全く声を出していないシンジ君に対し、レイが何度もアプローチをかける様は完全にQとの対比になっていた。そしてその末に、シンジはなぜそんなにみんなが優しいのかと言い出す。これに対し黒レイはみんながシンジのことを好きだからと返答する。自分のせいで世界が崩壊したことから自分の存在を勝手に否定し続けていたシンジに、彼に対する周囲の人間からの愛情を直接認知させる。

まずこの描写がめちゃくちゃ珍しいものだと衝撃を受けた。エヴァの登場人物は事実すら教えてくれない、ましてや感情なんて言語化できてる人間すら少ない、それを言語にしてしかも本人に直接伝える。

これは無知で純粋な黒レイにしかできなかったことであり、そしてシンジが立ち直るうえで必須のものだったはず。これだけは、自分の中で自問自答しても絶対に得られないものであり、他人から与えられなければ認知することはできなかっただろう。

そしてそれを拒絶せず、素直に受け入れ泣き出したシンジもえらい。まぁもうさすがに嫌でも感じられるくらい、トウジも委員長もケンケンもアスカも優しかったが。

そして驚きなのは、この、心情の言語化がバンバンされまくること。アスカの「アンタ、メンタル弱すぎ」から、アスカがなぜシンジを殴ろうとしたのか、ミサトさんの真意、また心情に限らずナゾ要素なんかももうあらゆるものが言語化されていく。本作の前半部分は徹底してQに対する怒涛のアンサーだった。違和感を覚えるとともに、正直だいぶ不安を感じた。スターウォーズエピソード9が頭をよぎりまくった。このファンサービスを素直に受け取ってよいのか、これは駄作になるのではないか??と。結局は杞憂だったが。

シンジ君がヴンダーに乗り込み、話は進む。

延々とよくわからない戦いが続く。今作のバトルはQ以上に、本筋に関係がないと思う。知らない機体が使徒っぽいエヴァと戦う描写。ここにきて怒涛の新規の専門用語。何が起きているのか何にもわからないが、リツコが「冬月指令、やるわね」と言ってくれるので、「あぁ、ヴィレは善戦したけど冬月がすごすぎたので不意を突かれて負けたんだな」ということがわかる。というか納得させられる。

おそらく今作のバトルも専門用語も、見た目がめちゃくちゃかっこいいだけで、実体は全くのすっからかんなのだと思うし、おそらくそれでokなのだと感じる。Qは一見意味が分からないが、ゆえに考察の余地があり(というかするしかなかった)、むしろその考察しがいのおかげで、8年間新作がでなくてもファンが居続け、生まれ続けたのだろう。Qは考察ありきだったしそうあるべきだったのだと思う。しかし、シンエヴァにはもう専門用語を考察する意味すらないのではないか。ただ、考察をすることはできるようになっている。映像と設定だけでエンタメとして成立しますが、ついでに大量の設定を入れといたので考察したい人はいくらでもしてください、という制作側のやさしさ?これこそエヴァだが、特にその側面が強まったと思う。

そして、いよいよユイを復活させようとするゲンドウと、対峙するシンジ。はじめこそ戦闘を繰り返すが、やがて対話を始める。当初はシンジの問いかけに対しいつも通り言葉の羅列で対応したが、もうそれではシンジの眼はごまかされない。「何を言ってるのか全然わからないよ」と言っていたのも今や過去の話。やがてTV版終盤で聞き覚えのあるBGMが始まり、セルフオマージュのようにゲンドウの内面、その構築の過程としての過去が描写される。 今回の補完計画の中心はゲンドウだった、というのがクライマックス。

孤独だった過去。しかしユイに会った。ユイが自分の存在のすべてだった。それを失った。だからユイに会うしかない。その過程で子シンジに向き合わなかった。邪魔だったからだ。しかし本当にすべきだったのは子供に向き合うことだった...。

旧版ではシンジは他人の存在を認めたところで終わった。思春期から脱出することができた(脱出というより延々と現れる壁の一つを超えただけかもしれないが)ところで、話は終わり。このアニメ版最後の二話が本当に好きだった。

しかし!!今作ではあろうことかシンジはそれだけではない。自分をぞんざいに扱い、今もなおいい歳こいて他人を受け入れず死んだ嫁に固執し続けていた自分の実の親、が心の壁を超えることを手伝う。ゲンドウのATフィールドを乗り越えたのだ(まぁ描写的にはギャグでしかなかったが)。
ゲンドウの内面を描いてくれたこと自体が嬉しいうえに、その描写も素晴らしく、シンジの行動も成長の塊でしかなく、落としどころも素晴らしい。

さらにゲンドウにとどまらない。

アスカにはかつての好意を直接伝えた。これによってはじめてシンジは14歳のガキを卒業できたと思う。もしくはすでに卒業していたか。(アスカが28歳の姿をしているのも、シンジからみてそう見えることを描写しているかも?)(アスカを直接救った、彼女に無償の愛を与えたのはケンケンだったというのも、めちゃくちゃ好き。)

カヲルはQにおいてはシンジの恋人を演じた。ほかの誰よりも愛を与えてくれる、自分の求めるものを与えてくれる。しかし、その愛は無償の愛ではなく、自分が幸せになるためのものでしかなかったのだ、とカヲルに自覚させた。正直この描写はおそらく後付けだと思う。破Qにおいてカヲルはシンジから見て都合の良い恋人に過ぎず、からっぽで、そこに積極的な自我があるようにはみえなかったからだ。しかし重要なのは、カヲルの内面が描かれたことより、自分の存在を肯定するだけの恋人はもういらない、とシンジに言い切らせたことだ。恋人カヲルがいないと自己の存在を肯定できなかったQのシンジではなく、自分で自分を認めてあげることのできるシンジなのだ。

レイにも、ここに残るべきじゃない、エヴァでない人生を歩め、黒レイはそうした、自分の場所を探せ、と促した。これはいつまでもエヴァに執着するなという視聴者に対するメッセージとも思えるが。

とにかく、シンジは完全に自立した。親からも自立し、14歳を卒業し、恋人からも自立し、エヴァからも自立した。これが、25年たって成長したシンジ。

多分内容というより、これが描写されたこと自体に意味がある。これはもうめちゃくちゃ感動した。エヴァをみて一年ちょいしか経ってない自分より、人生をかけて追い続けた人こそ一層感動できただろうと思う。
(おこがましいが、多分、これは庵野監督自身を表していて、ゲンドウはかつての自分なのだろう。DSSチョーカーも、エヴァを製作することそのものからの解放の象徴なのかな。)


最低限書きたかったことは以上です。





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