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”地方の時代”とか、どうでもいい。

『地方の時代は来ると思いますか?』最近よく聞かれる質問です。答えを先に言えば、そんな時代は来ない、と断言します。地方に住んでいると、中央集権構造に抑圧されてきた反動なのか、「一気に地方へ人口の大移動が起こる!」と希望的予測を語る方もいますが、(長い時間をかけた緩やかな変化は否定しませんが)そんなに急激に人口の大移動は起こりません。

コロナ感染症によって、僕らの暮らしは大きく様変わりしました。少なくとも、4月以前の暮らしに戻るには相当な時間がかかると思われます。

1年後とか、2年後とか、Afterコロナをめぐる議論が散見されていますし、SNSでも盛んにイベントが立ち上がって、識者が予測を語っています。ほとんどの議論は、以下のいくつかの論点に集約されるようです。

① 数年かけて変化すると思われていた社会変化のスピードが”早まった”。
② デジタル領域は加速し、オンラインとオフラインの価値軸が鍵となる。
③ 「密」回避が困難な、都心のオフィス需要が変化し近隣都市へと分散していく。

そして、冒頭述べた『地方の時代がやってくる!』という話が、特に地方サイドの発言力のある方々の意見として、ここに混ざり込んで来るわけです。

都会(東京)は、戦い方のルールを知らない田舎の中小企業がラッキーで勝てるマーケットではありません。それでも、我が国における市場(政治を含む)の中心が東京である以上は、成長しようと思えばそこを目指すしかなかった。展示会もほとんどは東京で開催されるし、東京で受け入れられたサービスこそが、全国を目指せるという市場構造も存在していました。

いま、コロナによってこの構想は変化しようとしています。必然に迫られながらオンラインの快適さを覚えてしまった生活様式下において、「場所」に紐づく働き方は間違いなく変わります。

わざわざ、東京に行かなくともあらゆる情報と繋がれる新たな方程式を社会は猛烈に模索するようになりました。僕らはただ、その波に身を委ねて、新たなアイデアやテクノロジーにしっかりと対応しながら「変えるべきこと」と「変えてはならないこと」を自分自身で判断していけば良い。

コロナによってもたらされる最大の変化は、『地方の時代が来る』というような先時代の対立構造の延長線上にあるのではなくて、ようやく「都会」or「地方」という二元対比的な考え方から解放されるようになった、ということだと思います。

東京に住み、東京をベース(拠点)としながら、生活の半分を地方で過ごすという、これまでは一部の方しかやってこなかったデュアルライフな選択も一気に進んでいきますし、企業単位で分散型オフィスのもう一方を地方に置くという検討も進んでいくでしょう。

九州には九州の生き方があります。

この大きな島を一つの”広域な経済圏”として捉えて、市場を再定義するところから始まります。どの場所にもおおよそ4時間で移動できる大きな島に1,300人の人口を有している有望な内需をいかに取り込むか。そして、同心円状にあるアジアの国々(都市)との関係性をどうデザインしていくか。

もはや東京一択、という選択肢は終わりました。同時に、地方においても、既存の(地方版)財界組織が支配するヒエラルキー構造(ローカルルール)からの解放も進んでいきます。住みたい場所は「自分自身の意志による選択」であり、居住と稼ぎ方(WORK STYLE)とが一致しなくてはならない時代の終焉です。

コロナが顕在化したもの、それは抑圧された世界ではなくて、もっと自由に自己表現ができる”生き方の選択”だと、僕は思っています。「人は本来、より快適な生き方を求めるものである」という原理原則に流れていくだけのことです。




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