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受験の時に、もうひとりの自分を横に召喚していた話

下記の記事を、楽しく読んだ。

自分で自分にインタビューする、という技術の部分で、自分が大学受験の時にもうひとりの自分を召喚していたことを思い出した。

きっかけは、現代文だった。

もともと読書が好きで、学校での国語も比較的得意だった自分は、現代文への特別な対策はしていなかった。予備校でも、英語やら数学やらの授業は取ったけれど、現代文はなんとかなるだろう、ぐらいの心づもりだった。

ちらっと現代文の参考書をのぞいてはみたけれど、「こういう表現が出てきたら、そのあとに書かれた内容がキーになる」といった、単純に文章を読むのではなく、因数分解のように解体していく作業に面白みを見出せなかったのも、ある。


事実、模試では高い点数を出せた。

そして、同じくらい、とことん低い点数が出ることもあった。

取れる時は取れるが、取れない時は取れない。そのブレがとても大きかった。そのうちに、「これまでなんとなく国語が得意だった子は、波が大きい」という情報を見聞きするようになった。だからやっぱり、予備校でしっかり基礎を学ぼうよ、ということだ。


え〜 でもそんなのやだ〜


と思い、自分のミスをウンウン考えているうちに、自分の回答には根拠が薄いことに気がついた。「なんか、こうじゃない?」という曖昧な感覚で、回答している。

ノリだ。こいつ、ノリしかないぞ。

なんとかせねば、と編み出しのが、もうひとりの自分、ツッコミ役を隣に召喚することだった。


こいつは、とにかくうざい。口癖は「なんで?」だ。

問題文を読み、さらっと答えにあたりをつけると、すぐにこいつは「なんで?」と聞いてくる。「うぜ〜〜」と思いながらも、仕方ないから「だって、この部分にこう書いてあるじゃん」と返す。

時には、「だって……」と言い返そうとしても、その根拠がなかったりする。おかしいなぁ、と改めて選択肢を見返すと、本来の答えを見つけることができた。

この「なんで?」はあくまで脳内の言葉(こいつ、脳に直接しゃべってきやがる……!的な)だったけど、僕の返事は実際に小さくブツブツとつぶやいていた。


冬の予備校の教室の中、風対策にかけたマスクの内側で「だってこれはこうだから……」と言い返し続ける。もちろん、他の仲間には聞こえないぐらいのボリュームで。

これは、自分には効果てきめんだった。

おそらく、ふだんから本に接することもあって、自分は「どうやらここがあやしいぞ」という"嗅覚"は身につけていた。

でも、それはほのかに香る匂いを嗅ぎ取っているだけで、ロジックの筋道は担保されていなかった。それを、もうひとりの自分が見事に補完してくれた。


次第に、これは現代文以外でも通用するぞ、ということに気がつき、英語でも数学でも、もうひとりの自分が登場するようになった。

「正解はAだな」
『どうしてそう思うの?』
「だってこの部分で主人公がこうしゃべってるじゃないか。」
『ほかの選択肢は違うの?』
「こことここが、矛盾してるじゃん」

「正解は X=3 だな」
『なんで?』
「だって、ここを移項して、ここを割って、この条件を満たすのはこれしかなくて、だから……」

という感じ。


無事受験は終わり、日が経ち、気がつけば、もうひとりの自分は消えていた。もしくは、そうしたロジカルな根拠を求める姿勢が次第に身につき、彼は僕の中に吸収されていったのかも知れない。

今、横を見ても、誰もいない。

でも、たしかに、大学受験にひとりさびしく立ち向かっていたあの頃に、すげーむかつくあいつはいた。

勉強に集中しようと、クラスメイトが誰もいない早朝の電車に乗っている時も、あいつだけは横にいて、「どうして?」と聞いてきた。

もう、聞いてこない。


あいつは、僕が受験対策のために編み出した発明で、影も形もない妄想だけど、不思議な感謝の念を今でも持っている。

ずっと一緒にいてくれてありがとうな。

すげーうざかったけど。

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