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遊び「場」がある楽しみ

ああ、おもしろい!

社会人になってから、とんとテレビゲームに接する機会が減った。「遊びたいなぁ」という気持ちは抱えていたものの、複雑な設定や物語に没入しにくくなってしまって、少し遊んでは放り出す、といった具合だった。

でも。

先日ためしに買ってみた『ドラゴンクエストビルダーズ2』にはハマりこんでしまって。

マインクラフト系のゲームをたしなんでいる人には周知の事実だろうけど、触ってみて、「これはゲーム版のレゴだな」と実感した。

多種多様なブロックを、自由に(これが本当に自由なのだ)組み合わせて遊ぶ。ストーリーもあるけれど、そこは主ではなく、むしろストーリーを進める上で必要な作業は、自由に遊びきるための丁寧なガイドラインのように思える。

こうやって家をつくるんだな。
こうやって野菜をつくるんだな。

それを教えてもらったあとは、もうゲームの進行とは無関係に、自分なりの世界づくりに没頭したくなる。

ここに用意されているのは、明確な遊びではなく、自分で遊びを創造する遊び場だった。

面白さを創りだすアイデアや工夫が自分にあれば、永遠と遊びたおせる。なんてエコ!なゲームだ。

建築系の本ではあるけれど、『原っぱと遊園地』には、「あらかじめそこで行われることがわかっている建築(遊園地)から、そこで行われることでその中身がつくられていく建築(原っぱ)へ。」という言葉がある。

建築によって明確な何かを生み出すのではなく、「何かが生み出される場所」を建築によってつくる。

その道筋を自身の手がけてきた事例とともに語るこの本のメッセージに、僕はドラクエビルダーズを小脇に抱えがなら大いに頷く。

このゲームに感じたこと、このゲームを楽しむ自分自身を観察して気がついたことが、なんだかまだいっぱいあるように思えてならない。

その言語化を改めてしたいけど、どうにも忙しくて。

だって、家を増築したり、畑を拡張したり、牧場だってつくらないといけないんですから。

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