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クラファン最終日にあたり、近況と所感

3月1日から募集開始したクラウドファンディングも、いよいよ本日4月30日が最終日となりました。
お陰様で当初の1000万円、またネクストゴールに設定した1500万円を超えるご支援を既に頂いています。

またこのクラウドファンディングをきっかけに、様々なメディアにも取り上げて頂いています。

東京新聞様クーリエ・ジャポン様共同通信様 (英語)NHK World様 (英語)
(一部抜粋)

実際にご支援頂いた方、SNSでの拡散にご協力頂いた方、ミャンマー市民に寄り添った報道を続けてくれたメディアの方々に、心からお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

ミャンマーの現状を鑑みれば、まだまだ多くのご支援が必要です。
ぜひ、最後のひと推しにご協力頂ければ幸いです。

近況(知人向け)

最後のお願いにあたって、よい機会だと思ったので知人向けに以下近況と、今回のクラファンを通して感じたことなどつらつら書いていければと思います。

アメリカの大学を休学してミャンマーに飛び込み、そのまま退学して約4年半現地の日系スタートアップで働きましたが、クーデター後の2021年4月に帰国し、その後退職しました。
*ちなみに①:もともと次の挑戦をしたいと考えており、引き継ぎを進めていたのでクーデターが直接の要因というわけではありません。
*ちなみに②:会社はコロナ&クーデターの中でも外部から資金調達を行なって事業を拡大しています。もう尊敬しかありません。

帰国後はクーデター直後に立ち上げに関わったクラファンクーデターを読み解くセミナー、九州大学・信州大学での講義や署名活動など、ミャンマー支援の活動に携わってきました。
”Not in Education, Employment, or Training”なので丸1年ニートしていることになります。笑

ミャンマー支援を行う理由

自分の中では当たり前すぎてあまり言語化していなかったのですが、帰国後「なぜそこまでミャンマー支援をするのか」と質問されることがよくありました。
もともと物事を斜に構えて見る性格だったので、それを知る友人たちから特に不思議がられます。

端的に言えば「半分ミャンマー人化したから」という説明が分かりやすいかもしれません。
それも4年半のミャンマー生活の中で、というわけではなく明確に”そう”なった瞬間があったように思います。
それは2021年2月4日20時過ぎ、鍋を叩いている15分間でした。

軍への抗議の意思を示す夜の鍋叩きは、クーデター発生翌日の2月2日あたりから発生し、4日には街中を呑み込むような大きなうねりとなっていました。
あの日自宅のベランダから自分の鍋を叩きながら、同時に街中に溢れかえる金属音の波に呑まれ、一体化し、その渦に載った様々な感情に共鳴してしまったのだと思います。
そんなわけでミャンマーの問題は、僕にとってとてもパーソナルな問題となり、実際にデモに参加したりもしていました。(大使館から怒られました)

虚無感

自分ごととなった問題は解決したくなるのが人間の性ですが、残念ながらミャンマーの問題は簡単に解決できるものではありませんでした。
そもそも無茶苦茶な論理でクーデターを起こし、無抵抗の市民を虐殺し続けている軍側に正義がないのは明らかですが、軍事力は彼らがほぼ独占しています。
ASEAN中心に国際社会は軍に暴力の停止を求めていますが、1年以上経った今も避難キャンプへの空爆を続けるなど、聞く耳を持ちません。
(ちなみにそんな中、日本は国軍からの留学生を「民主主義のあり方を理解してもらうため」防衛大学に国費留学させています。)

近況で述べたように帰国後色々な活動をしてきましたが、その間にも軍事力で圧倒的に劣る正義が蹂躙される様を見続けてきました。

自分が何をしても、根本的な解決には至らないーー。

そんな虚無感が砂のように溜まっていって、いつしか身動きが取れなくなっていました。

まだ、できること

そんな折、ミャンマー関連の活動をする中で出会った在日ミャンマー人の方から、クラファンを立ち上げたいという相談を受けました。
軍の空爆や戦闘などから逃れた避難民や、軍への抵抗運動に参加した公務員、医療従事者たちを支援したいというものでした。

避難民への人道支援は勿論必要ですが、問題の根本的な解決には繋がらないように思われます。

それでも純粋に、それを応援したいと思う自分がいました。

ただ目の前の困っている人を助けたい、という彼らの真っ直ぐな想いを感じたからだと思います。色々考えすぎて動けなくなってしまった自分にとっては、それがとても新鮮に映りました。
ミャンマーの問題を根本的に解決することは、難しい。
でも今目の前で困っているこの人を手助けすることは、できる。
まさにその人が避難民の方たちにしようとしているように。

ようやく少し指先が動くようになった気がして、そのまま一緒にプロジェクトを立ち上げることになりました。
それが冒頭ご紹介したクラウドファンディングです。

たしかに、このプロジェクトによってミャンマーの問題は解決しません。
救える命は限られているし、今後も支援が必要な人は増え続けるでしょう。

しかし確実に、今困っている人達の助けにはなります。
さらに言えば、彼らを純粋に助けたいと思っている在日ミャンマー人の方々を、応援することができます。
そして勿論、そんな在日ミャンマー人の方々を応援したいと思った僕を、支えるものでもあります。

そんな気持ちでもしご支援頂けたらと、最終日の深夜にこの記事を書きました。

今後のこと

近況ついでに今後のことも書こうと思ったのですが、自分でもびっくりするほど書くことがありません。笑 そろそろ働こうかな笑

ミャンマーには何らかの形で関わり続けていきます。恐らく、一生。

しかし同時に、根本的な解決に携わることは難しいとも感じています。

ミャンマーに関わり続けながら、いつか国が開いたその時に、今度こそミャンマーの力になれるよう、今はじっと力をつける。

・・・

スッキリ整理できたわけでもなく、完全に腹落ちしたわけでもなく、1年ダラダラして結局それかよ、と自分に少々呆れながらも、今は苦し紛れにそんなことを考えています。

まずはクラファンをしっかりと最後までやり切り、少し休んでまた歩き出せたらと思っています。
その折には、諸先輩型に人生のアドバイス頂ければ幸いです。


長々と駄文にお付き合い頂きありがとうございました。
もしよければ、クラファンへの最後のご支援お願いします。


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