詰め込み教育は絶対に悪なのか
最近、ツイートでいくつか気になるものをみかけたので紹介したいと思います。
1.詰め込み教育そのもののお話
詰め込み教育、と言葉だけ聞くと拒否反応を示す人が多いと思います。
もちろん、自分も単純な詰め込み教育は、受け手側の能力次第では反対です。
その知識を使うだけの下地や技能が備わっているのであれば、どんどん知識は詰め込んだらいいと思っています。
要するに、その詰め込んだ知識を、いつかのタイミングで活用することができる可能性がある子。
そういう思考回路が幼少期から訓練されてきている子は、やっぱり見ているとわかります。
ただ単純に、何回書きましょうとか、思考力がいらない作業だけで乗り切ってしまっている子どもはむしろ、今ある知識の使い方の練習の方が必要だと思っています。
学校だと、様々なレベルの子どもが混在しているので、なかなか難しいんですけれども、バランスを考えながらやるのがいいのかな、と思います。
簡単な内容なら思考力重視の課題とか。
難しい内容なら、まずは解法の流れを知ることに重点をおくとか。
また、数名への個別指導で底上げをすることにより、クラス全体がもう1歩上のレベルの問題に取り組めるようになることもあります。
時間外労働になってしまう可能性もありますし、子ども側のモチベーション管理の問題もありますけれども、それで全員がハッピーになれるなら、やる価値はあると思います。
2.土台としての詰め込み教育のお話
見かけたのは、足し算、引き算、掛け算のお話。
算数・数学は反射神経を養う科目ではない、というツイートがありましたが、13-8=5とか、4+7=11みたいな、どこでも使う計算の基礎は間違えずに正しく瞬時に行う訓練は絶対に必要だと思います。
これはもちろん九九もそうだと思っています。
九九が言えるか言えないかが最終的な目標なのではなく、九九を間違えずに正しく計算できて活用できるのか、というお話です。
そういう意味では瞬発力も絶対に大切です。
これらは、この後にずっとつながっていることが明白なので、ある意味では土台としての詰め込み教育になるのかな、とも感じます。
上の話ともつながってしまいますが、結局はその知識を活用できる能力があるかどうか。
あるいは活用し続けることが見込まれている内容なのか。
そして、活用できるような指導(授業)がきちんと展開できているかどうかも、我々教員側にも求められているのだと思います。
3.めあてを書くのか書かないのか、教え込みを重視して作業をさせた方が定着率が高いという話。
前者は、主に理科を教えている立場からすると、めあてや本事の目標なんかは絶対に書きません。
その思考過程が重視されるからです。
数学でもこれは同じだと思っています。
もちろん、あえてめあてというか本事の目標を書いたり宣言してしまう時もあります。
あんまり力の無い子たちに、化学平衡の単元で平衡定数を利用してpH計算をさせるときなどは、「とりあえず論理展開を理解する」「同じようになぞってみる」ということから初めた学校もあります。
しかし、以前、フォロー外のツイートで見かけたのは、「公式や解法は最初に教え込む」そして「公式や解法をなぞることをさせた方が生徒は定着する」という論調で、画像つきで公開していた中学数学の方のツイートを見かけました。
個人的には、これには大反対です。
この方法は、中学数学だからできることですし、それなりに出来たような気にさせる指導だと思います。
高校数学になったら、自分で考える力、見抜く力が養われていないので、すぐに化けの皮が剥がれると思っています。
逆に、中堅程度の大学くらいまでなら、このやり方でもある程度は対応できるかもしれません。
自分が以前に勤務していた学校では、多くの教員がこのやり方をしていました。
とりあえず、やってみる、真似させる、使ってみさせる、なんとなく正解にたどり着く。
しかし、根本がわかっていないので、変数が増えたり、ちょっと条件が変わってしまうだけで、すぐにできなくなってしまう。
これは数学も理科も同じだと思っています。
4.おわりに
今日は自分のタイムラインでみかけたツイートから気になったものを、自分の教育観と照らし合わせながら書いてみました。
でも、基本は同じだと思っています。
自分の場合は、いつでも「適切な高さのハードルを、適切な間隔で、適切な数を子どもたちの前に設置する」のが教育だと思っています。
塾なら塾の関わり方で、学校なら学校での関わり方で。
場所も状況も環境も違うけれど、その中で効果が最大限になりそうな方法で授業を考えて行うだけです。
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