#4 マルクス・アウレリウス『冥想録』村山勇三訳(原文と英訳)
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#4 マルクス・アウレリウス『冥想録』村山勇三訳(原文と英訳)

こんにちは、古い本の電子化をしているnisiといいます。

前回は伝記の終わりでした。今回は英訳者による原文と英訳に関しての説明です。第一回はこちら

注意として、誤字脱字を含んでいる可能性があります。あやしい箇所や問題があれば、コメントや質問箱で教えてください。
また、今日では不適切と受け取られる表現を含んでいる場合があります。ご了承ください。

本著の原文及び英訳について
――ジョウヂ・ロング氏の文中より――

 このアウレリウスの反省録もしくば冥想録が、純正の彼の著述であることは疑ひない。その第一篇には、彼自身の事、その家族、及びその教師等の事を述べて居る。そしてその他の諸篇には彼自らの事を記述してゐる。スィダスはアウレリウスの著述を十二篇より成るものと認めて、それに「彼自身の処世法」と名づけ、そして自著の字典の中に色々の見出しの下にこの著から引用してゐるが、原著の標題は書かず、唯皇帝の名前を附けて居る。なほまた皇帝の名前を挙げずにアウレリウスの文章を引用してる処もある。この著の真の標題は不明である。この書の第一版(一五五八年チウリッヒにて出版、ラテン訳づき)を出版したシィランダアは写本を使用した。それは十二篇を包容してゐたのであるが、しかしその写本は今どこにあるか知られてゐない。現に存在してゐることの分つて居るもので、もう一つの完全な写本はローマ法王庁の図書館にあるが、それは標題もなく又各篇の小見出しもない……但し第十二篇だけは Markoi Autokoratoros の小見出しを有し、星章が附いてゐる。その他のローマ法王庁写本及三冊のフロレンチン写本は唯アウレリウスの著の抜萃だけを包含してゐる。これらの抜抄の見出しは殆んど皆シィランダアが初版につけて居るものと一致する。この標題はその後の有らゆる出版者によつて使用された。アウレリウスが自著を数篇に分けたのか、若くは他の人がさうしたのであるかは分らない。若し第一篇及び第二篇の終末にある記名が純正なものであるとすれば、彼自身が区分をしたのであるかも知れない。
 皇帝が折に触れて自身の思想または反省を書き記した事は明瞭である。そして、それらは彼自身の用のために思ひつかれたものであるのだから、彼が自分自身の手で書いた完全な一部を後に残したといふことも、不合理な推測ではない。なぜなら、このやうに勤勉な人が此様な目的のために筆記者の労力を用ひて、而かも自分の最も秘密な思ひを他人の目に暴露したらう事は不似合であるから。彼は又自身の子コンモウダスのために、この著を目論んだかも知れないが、その子は父の哲学には趣味を有たなかつた。或注意ぶかい人がこの貴重な書冊を保存した、そしてアウレリウスの著書はスィダス以外の後代の著述家等に依つても述べられてある。
 多くの批評家たちがアウレリウスの原文に就て色々に研究した、最も完全な出版は一六五二年に出たトマス・ガテーカーのそれである。ガテーカーの第二版は一六九七年ジョウヂ・スタンホープに依つて監修された。一七〇四年版もある。ガテーカーは多くの有益な修正を加へて、また新しいラテン訳をも附けて居るが、それは非常に善良なラテン訳ではないが、しかしそれは原書の意味を概括的に表現して居るので、ずつと後の翻訳の或る物よりも却つて良い処がある。……希臘語の原文も亦一八〇二年、ライプチヒで、J・M・シュルツに依つて出版され、また一八一六年パリではアダマンテ・コレーといふ学者によつても出版された。シュルツの原書は一八二一年にタウフニッツに依つて再版された。この著の翻訳は英独仏伊及び西班牙などでも出版されてゐるし、その他にも沢山あるであらう、私は総ての英語訳に目を通して居ない。この方では一七〇二年ジェレミィ・コリィアに依つても訳されて居るが、それは極めて粗雑で俗悪な写しである。……
 私は多年の間この書を読み耽つた後、時々筆を執つてこの翻訳を作つた、これは勿論希臘語から訳したのであるが、私は常に一つのテキストには拠らなかつた、そして私は屡々自分自身のものと他の翻訳とを比較した。私はこの書が労力に値ひすることを見出したので自家用としてこの翻訳をしたのであるが、しかしこれは他の人々にも有用であらうと思ひ、これを印行することに決心した。原文はところどころ非常に難解であるが、翻訳するには更に一層困難で、如何なる場合にも誤謬を避け得たといふことは不可能である。しかし私は原意を多く誤つてゐないと信ずる。そしてこの訳を原文と対照する労を惜まない人々は、たとひ私に一致しないとしても、私が誤つて居ることを軽率に[底本では「軽卒に」]断定しないであらうと信ずる。ある章句などは、初一瞥ではそんな意味でないやうに見えながら、その意味を有つてゐる。そして、他の翻訳家たちと私が異なつて居る場合は、処によつては他の人々が誤つて居ると思ふし、又ある処ではそれを私は確信して断定する。……私はもつとやさしく流暢な言葉を用ひることが出来たのであるが、しかし原文の特性を表現するには、多少生硬な文体が一層適してゐるので、その方を選んだ、又時として此の訳文中に見えるかも知れない曖昧な所は希臘原文の曖昧な個所の正しい写しである。若し私がこの訳文を訂正するやうな機会があるならば、私は大方の教示を俣つてどんな訂正でも喜んでするつもりである。……

(次回:アウレリウスの哲学)

その他

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次回からは思想の解説になります。最近の本の解説は最後にある印象ですが、古い本は最初にあったりします。
どうでもいいですが解説は最後の方が「あの話か」感があって好きです。

底本:『世界大思想全集3』春秋社(1927)
著者:マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121-180)
英訳:ジョージ・ロング(1800-1879)
和訳:村山勇三(1887-1958)

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