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し尿や排水の「始末」を自分ごとと捉え、私たちの暮らしを変える。「未来のサニテーションが実現する自由なくらしと水・物質循環系」

アジア・アフリカ地域研究研究科 准教授 原田英典

※この記事は2024年1月19日にK.U.RESEARCHで公開したものです。

京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。

2022年度に採択されたアジア・アフリカ地域研究研究科の原田英典先生が挑むテーマは「未来のサニテーションが実現する自由なくらしと水・物質循環系」。水と衛生の研究によってめざす「人が水という制約から解放される未来」とは?メッセージ動画とインタビューで伺った。


きれいな水と衛生的な生活環境を実現するには、し尿や排水に上手に始末をつけることが必要


まずは、原田先生のご専門分野について教えてください。

「私はアジア・アフリカの各地でフィールドワークをしながら、水と衛生の研究をしています。清浄な水は人が生きていくうえで不可欠ですが、同時に、生活しているとかならずし尿や排水も出てきます。これらにきちんと始末をつけなければ、環境が不衛生になり、それにより水も汚れ、うまくまわらなくなってしまう。アジアやアフリカには、そうした理由で水と衛生に問題を抱える地域がたくさんあります。私はとくにし尿や排水にフォーカスして、上手に始末をつけて水と衛生をうまく回していくための研究をしています」

実際にはどのようなアプローチをされているのでしょうか?

「アプローチにはハードとソフトの両面があります。私は工学部の出身なので、もともとはし尿を衛生的に処理して農業用の肥料にするためのし尿分離トイレや、下水やし尿を処理するための技術の開発などハード面の研究からスタートしました。けれど実際にフィールドを訪れてみると、衛生環境改善のために設置されたトイレが全然使われていないということがよくあります。トイレというのは生活の中でもかなりプライベートな領域にあるため、トイレの習慣を変えるのはそう簡単なことではありません。地域の人たちがその技術を使う気になってこそ技術も生きるのです。

そこで近年は、どうやったら現地の人々に水や衛生の大切さを実感してもらえ、主体的に生活環境の改善に取り組んでもらえるのかを考え、そのためのソフト面の仕組みづくりにも取り組んでいます。ハードとソフトの両面できれいな水と衛生的な環境を実現することが重要だと考えています」

はじめに「し尿や排水の始末をつける」とおっしゃいましたが、トイレを使った後の工程も大切になってくるのでしょうか?

「まさにその点ですが重要なんです。トイレを設置して使うだけではなく、その後始末までしっかりつけるという一連の行いを『サニテーション』と呼びます。適切な日本語訳がないのですが、私自身は『し尿の始末をつける』というふうに表現しています。先ほどは一例としてトイレの話をしましたが、この『始末をつける』という意味でのサニテーションがうまく機能しないと、し尿が水を汚染して、生活や環境に悪い影響をおよぼしてしまう。トイレは人間の尊厳にかかわる問題でありながらも、その始末は普段は見過ごされている。始末までを含めたサニテーションをあらゆる人々の生活のなかでどう根付かせていくか、というのが大きなテーマなのです。

『始末』にはいろいろな形がありえます。最終的にし尿を廃棄物として処分してしまうという方法もあれば、肥料などとして有効活用して、生活の下流から上流に戻していくという方法もある。土から得た栄養分を、し尿を経て土に戻すというサイクルもひとつの『始末』でしょう。始末という言葉は『はじめ(始)』と『おわり(末)』と書きます。その字の通り、はじめとおわりがあって、またはじめに戻る。こうした循環を、環境と人々の暮らしに悪い影響がない形で回してゆく。だから『処理』や『処分』ではなくて『始末』と言いたい。専門的な言葉で言えば『良い物質循環を築く』ということですね」

使ったものがきちんと循環することで、衛生的な環境が守られるのですね。

琵琶湖疏水が流れ込む鴨川は、水の循環を学ぶ場として学生の実習にもよく使われるそうだ

ベトナム少数民族地域の過酷な環境が原体験に


そもそも、サニテーションというテーマに取り組まれることになった経緯について教えてください。

「環境に関する研究を志して京都大学工学部の地球工学科環境工学コースに進みました。そこで選べる大きな区分として、水、大気、ゴミの3つがあったんですね。もともと水に興味があったことと、先生の授業が面白かったことが決め手になって水の研究室に入りました。そこでテーマを決めるときに、尿からリンを回収する技術の開発を選んだんです。他にもいろいろな選択肢はあったのですが、一番実感を持って取り組めるテーマだと思ったのが選んだ大きな理由です。

大学院に入ってから、あるNGOのプロジェクトに参加する機会がありました。そのNGOでは、トイレや水道がない地域に資源循環型のトイレを設置して衛生改善と農業生産性の向上を同時に実現するための活動をしていて、そのとき訪れたのがベトナムの少数民族の居住地域でした。トイレがないので地域の人々は野外排泄をしていました。私たちは飲料水だけは買って持ち込み、炊事や歯磨きには雨水を貯めて使いましたが、乾季になると雨水もないので、排泄物で汚染されているかもしれない井戸水を使わざるを得ない。その井戸の水さえ水位が下がり、確保するのは大変です。そんな環境で暮らしている中で、知人の子どもが亡くなるということもありました。水と衛生、そして健康の大切さを痛切に実感させられた体験でした。

それ以来、衛生環境に問題を抱えたアジア・アフリカの各地域でフィールドワークを重ねてきました。ベトナムは今でも重要なフィールドですし、バングラデシュのスラムで研究していた時期もあります。現在はアフリカのザンビアを中心に、マラウイ、ウガンダなどを主なフィールドとして研究に取り組んでいます」

ベトナム少数民族集落に滞在中の原田先生(当時は大学院生)が、自身の生活していた小屋に建てた最初のトイレ

水と衛生の小さなサイクルが実現すれば、人間はもっと自由になれる


くすのき・125では、125年後に実現させたい調和した地球社会のビジョンについて伺っています。原田先生のビジョンを教えてください。

「私が考える125年後のビジョンは、個人や世帯といった小さな範囲でその地域の人が主体的に水と衛生をまわすことで、水と物質が健全に循環する社会を実現することです。私たちの生活は上下水道をはじめとするインフラに支えられ、水と物質が循環しています。しかし、この巨大な仕組みの中で、自分に関係する物質の運命についての個人の実感はとても薄いです。普通に暮らしていれば、きれいな水がどこからやってくるのか、使ったあとの水がどこに流れるのかを考えることすらない人が多いと思います。大きなインフラによる物質循環系の構築は、それはそれで効率的な部分がありますが、水と衛生を他人事ではなく、自分ごととして成立させていくためには、もっと身近なレベルでうまく回るような仕組みがあったほうがいいと考えました。

人類はもともと大きな川のほとりに文明をつくって繁栄してきました。そして上下水道インフラによって、人が暮らせる範囲を拡大してきました。見方を変えれば、何千年もの間、何らかの上下水道インフラがあるという制約を受けて暮らし、特に都市的な暮らしを成立させてきたのです。『自分の使ったものは自分のまわりで始末をつけ、循環させる』ことができれば、人間はこうした問題から解放されます。地球上には上下水道インフラが整っていない場所がたくさん存在しますし、日本でも過疎地でのインフラの維持は喫緊の課題になっています。身近な循環系を構築することでその制約から解放されて、好きなところで暮らせるようになることは、人類にとってかなり大きな変化になるのではないでしょうか」

持続可能性の点でも、とても示唆に富んだビジョンですね。実現に向けて、どのように取り組まれるのでしょうか。

「直近のテーマは、世界でもとくに厳しい環境にあるサハラ以南アフリカの水と衛生を、今後数十年という単位でどう改善していくかということです。人々の生活のなかにサニテーションのサイクルを定着させるために、大きく2つのアプローチに注目しています。ひとつは都市部のスラムなどに適したアプローチで、水と衛生に伴うリスクと効果を実感すること。もうひとつは農業中心の地域に適した方法で、し尿を肥料として農業に返すことです。

前者の例として、ザンビアの都市周縁地域についてお話ししましょう。都市のインフラ整備はほとんどの場合は都市中心部から始まり、徐々に周縁地域に広がっていくことが普通です。ザンビアの場合もそうなのですが、中心部には比較的裕福な人が住み、都市化が進むにつれ、インフラの整っていない周縁地域に農村や他地域から人が集まってきます。急激に人口が増えることで、インフラ整備を含めた都市計画自体がうまくいかなくなってしまう。皮肉なことに、アフリカの都市部では周縁地域での急激な人口増のため、下水道の普及率はわずかですが減少しているのが現状です。

そんなザンビアの上下水道が整っていない地域で行ったのが、地域住民が自分たちの生活環境の現状を知るためのアクションリサーチです。まず下痢を防ぐ上で気をつけるべきモノや場所を話し合い、重要度順に並べたリストをつくってもらう。次に、自分のコミュニティーにあるそのモノや場所からサンプルを採取し、それらのモノや場所の糞便汚染を簡単な検査キットを使った大腸菌検査で測定してもらいます。やってみると、人々が持っていたイメージと必ずしも同じ結果が出るものではありません。多くの住民が重要度が高いだろうと予想した飲料水は、屋外にある公共の蛇口の時点ではあまり汚れていないのですが、それを家でタンクにためた水や、タンクを置いているキッチンの床がむしろ汚れているのです。蛇口から出る飲み水そのものだけでなく、飲み水を保管している生活空間の汚染のほうに注意を払う必要があることを実感できます。さらに、自分の家で採取したサンプルから培養した大腸菌のコロニーを実際に目で見てもらうこともします。そうするとたとえば、コップやキッチンの床を拭き取ったサンプルから培養された大腸菌が見えるんです。コップやキッチンの床といった生活空間の汚染を目の当たりにすることは、水や食べ物には気を遣っていた彼らにとってもかなりショッキングで、響くんですね。ワークショップ後には、『この汚れはどれくらい危ないんだ』、『何をしたらどのぐらい下痢が減るんだ』といった疑問が参加者から湧き出しました。今新たに開始しているプロジェクトではこの方法を拡張して、下痢を引き起こす病原性微生物の測定や、地域の人たちの行動様式に応じた下痢リスク推計モデルを組み合わせ、地域の人が簡単に操作できるアプリを開発中です。このアプリを使って、何がどのくらい汚れていて、何が原因でどれだけ下痢のリスクがあって、何をすればそのリスクをどれくらい下げることができるのかということを彼ら自身で可視化して、さらに対策のアクションプランまで自分達でデザインできるようにする仕組みをつくろうとしています。そうすることで、自分たちで生み出したエビデンスに基づいて、実感を持った水・衛生改善計画を立て、そのための行動変容を促そうと考えています」

生活空間の糞便汚染の検査のため、採取したサンプルを処理している現地の人々の様子

こちらが一方的に教えるのではなく、身をもって実感してもらうことが大切なのですね。もう一方、農業中心の地域の取り組みについても教えてください。

「通常、サニテーションを導入する際は、ザンビアのケースのように人々の健康に対する意識に働きかけることが基本なのですが、農村での取り組みではそこに物質的価値、つまり『し尿は農業利用すれば有用』という考え方が加わって、いわばサニテーションが二輪駆動になります。

マラウイの農村では、尿を肥料としてうまく循環させることを目標に研究に取り組んでいます。肥料というと大便のほうがイメージされがちですが、含まれる栄養分を比較すると、アンモニア臭などから想像できるように、尿のほうが肥料として重要な窒素を多く含んでいるんです。リンやカリウムも尿の方が多く含まれています。一方、大便は大便で感染症などを防ぐことに主眼を置いて始末をつける必要がある。とくに肥料を求められているような地域では、尿と大便は分けて扱ったほうが尿の栄養の循環と大便の安全な処分を効率よく実現できる可能性があります。ところが、実際にし尿分離(大便と尿の分離)ができるトイレを導入した地域では、どうしても大便の方ばかりが肥料に使われる傾向があります。それも仕方のないことで、大便は灰をかけてアルカリ処理をして、乾燥もさせることで大便ではない見た目のモノになる。いわゆる堆肥でもあるし、匂いもほぼなく、袋に入れて積んでおくなど、ある程度保管もしやすいです。一方、尿は肥料成分を含むといっても匂いも色もそのままで、液体なので長期間大量に貯めておくことも簡単ではありません。生理的にどちらが使いやすいかというと、処理をすればむしろ大便の方になるんですね。堆肥である大便のほうが尿より肥料成分が多いといったイメージを持たれていることも多く、大便だけ使って尿を捨ててしまうという状況は、一度説明しただけで簡単に覆るものでもありません。

今は、尿の価値を実感してもらうために色々なアプローチを考えています。たとえば、言葉で説明するよりも映像教材のようなもののほうが有効かもしれないということで、肥料を使わない畑、大便を肥料として使った畑、尿を肥料として使った畑の作物の生育を比較したタイムラプス動画を学生と一緒につくりはじめました。どんなふうに情報を提供するとし尿、特にこの場合は尿の利用につながるのかと考えています。もう少し大きな視点で言えば、健康と物質的価値の両輪をうまく、持続的に回していくために、衛生導入計画の最初の段階でどのように地域に働きかけるのがよいのか、その方法論をつくろうとしています。その第一歩として、くすのき・125の資金でこれまでの成果を書籍として出版したいと考えています」

マラウイでのトイレの建設現場にて

サニテーションを「自分ごと」にすることで、私たちの暮らしは変わる


これまでさまざまな地域でサニテーションを導入してこられて、成果・効果を実感されたのはどんなときでしょうか?

「トイレを設置する、し尿を堆肥として農地に循環させるというのは形が目に見える分、農村のほうが成果を実感しやすいですね。農村では、やはりし尿が肥料になるという価値がサニテーションの定着に大きく貢献していて、し尿を利用して農作物の育ちが良くなったからこのトイレを使い続けたいという話はよく耳にします。サニテーションによる健康改善効果は短期間、直接的には数値には現れづらいのですが、主観として以前よりも健康になったと語る現地の方も多いです。

都市スラムの場合は、地域の人々が生活の中の汚染を目の当たりにしてショックを受け、自分ごととしてその対策を考え始める変化を見ると、その効果を実感できます。その一方、し尿の始末を最後までつけるためには、行政による上下水道の整備も重要で、地域の人たちだけでは始末が完了しないもどかしさも感じます。もう少し根本的なところでは、サニテーションを生活から切り離さず、自分ごととして捉えながら成立させることが重要な意味を持つとも考えています。そうした地域の人々の意識の変化があればこそ、下水道などの公共サービスにお金を出したり、協力したりする地域の意欲が高まります。そして地域の人々と行政が連携することで、生活や社会のいろいろな問題の根本的な解決につながります」

生活を成り立たせる諸要素に対して主体性を持つことは、普遍的に大切なことのようにも思います。上下水道が整備されている日本でも、やはりサニテーションを「自分ごと」にしていくことが大切なのでしょうか。

「自分ごととしてのサニテーションを成立させることは、地域を問わないユニバーサルな課題だと考えています。日本の上下水道インフラの将来を考えたとき、大きく2つの道があるでしょう。現在のように生活から切り離された大規模なシステムとして維持していく方向と、サニテーションの責任を個人や地域コミュニティといったレベルに戻し、小さなシステムとして育てていく方向です。現状、私たちは前者のシステムに大きく頼って生活していますが、過疎化が進む地域では上下水道の維持管理が困難な状態に直面していますし、災害によってインフラが機能しなくなる事態も起こっています。

東日本大震災の発生後、上下水道インフラが失われた被災地のために原田先生らが開発したポータブル式し尿分離トイレ。途上国で続けてきた研究は日本でも活かされている。

今はまだ小さなシステムには未熟な部分もあり、大規模なシステムに多くを頼らざるを得ない面があります。いずれにしても、将来的には世の中全体が『自分のことは自分で始末をつける』方向に進むことが望ましいと思っています。そうすれば人々が今ある生活環境を主体的に改善できるようになるのはもちろんですが、それだけではありません。ゆくゆくは、人類全体が『上下水道の整備された場所でしか暮らせない』という制約から解放されることにもつながるでしょう。少し突飛に聞こえるかもしれませんが、これは電力インフラですでに起こっていることです。今や、大きな発電所や電力網がない地域でも太陽光パネルを使って電気のある生活を営んでいる人々がいます。それと同じように、水とサニテーションにおいても小さなシステムが成熟すれば、上下水道の通っていない森でも、砂漠でも、あるいは宇宙空間でも、不自由せずに暮らせる未来がきっと実現できるでしょう。

一足飛びにそうはならないにしても、現在の大規模なインフラでカバーしきれない部分について、小さなシステムを成長させてゆくことでカバーしていけば、世の中が良い方向に変わってゆくのではないでしょうか。そのための一歩として、まずは日頃お世話になっている上下水道のことを自分ごととして捉えてみることも大切だと思います」


原田 英典(はらだ ひでのり)
アジア・アフリカ地域研究研究科 准教授

京都大学大学院地球環境学舎環境マネジメント専攻博士課程 修了。博士(地球環境学)。同助教などを経て、2020年より現職。専門は環境工学。アジア、アフリカの地域をフィールドとして、ハードとソフトの両面から水と衛生の改善に取り組む。2022年からはSDGsの目標6(水と衛生)の公式モニタリング・メカニズムでもある世界保健機構・国連児童基金「水と衛生に関する共同モニタリング・プログラム」の諮問委員として、水と衛生のグローバルなモニタリングの方法・評価の国際的議論にも携わっている。


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