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京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第4回(精神科医 松本俊彦)

私たちは、認定NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp
note: 改めまして。Sottoってどんな場所?

今年で京都自死・自殺相談センターSottoは設立10年目を迎えます。
10周年という節目にあたって、Sottoを様々な形で支えてくださってきた理事の方にリレー形式で、Sottoへの想いをコラムにしていただくという企画を今回からスタートします。
一口に理事と言っても、お一人お一人様々な背景を持ち他団体で活躍されている方も多いので、多様な視点からSottoという団体について改めて浮き彫りにしていただければと思います!

前回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第3回

第4回(精神科医 松本俊彦)

 Sottoとの出会いは何年前になるだろうか? 
おそらく6年くらい前の話、年末のシンポジウムへの登壇の話をいただいたのが最初だと思う。

 ときはまさに自殺対策ブームの真っ只中、国や自治体から民間団体への助成金がいっせいに放出され、それこそ雨後の竹の子のように多数の自殺対策関連NPOが立ち上がった時期だった。
私は、そうした民間団体が主催する講演会に講師として招かれては、来る日も来る日も同じ話をしていた。
おかげで、いつしか話す文章をすっかり暗記し、正直、自分自身が最も自分の講演に飽きていた。

 そんな矢先にSottoからのお誘いを受けたのだった。
最初は、他の多数ある民間団体との区別がつかず、「またいつもと同じ話をするのか」と、いささかやさぐれていた。
ところが、シンポジウムの日程が近づいても、講演内容に関する連絡もなければ、配付資料をせかすメールもない。
不安になってこちらから連絡をとると、とにかく当日身体を会場に持ってきてくれればよいとの返答で、シンポジウムの流れについても、「そのときのノリで……」と、ひどくいい加減な調子なのだ。

 結局、シンポジウム当日、私は不安なまま身一つで会場にたどり着いたわけだが、シンポジウム開始から30分ほど経過したとき、私ははたと気がついた。
なんだかとても心地よいのだ。シナリオもなければ落ちもない。画面いっぱいの活字で自己主張した、暑苦しいPowerPointもない。
そして誰も断定せず、否定もしない。
「そういうこともあるよね」「それも悪くないかもね」と、なんとなく控えめに肯定してくれる。
しかしまちがいなく、会場には居心地のよいオーラが漂い、私のみならず、聴衆の多くが、「この時間がずっと続けばいいのに」と思っていたはずだ。

 そうなのだ。
「死んではいけない」と、口角に唾溜めて熱弁を振るうのではなく、「傾聴してます」といわんばかりにやたらと肯くわけでもなく、ただ、傍らにそっと寄り添うだけだ。
支配されないが、無視されることもない。
たとえるならば、「これでいいのだ」と、『バカボンのパパ』的な全肯定で背中をぽんと叩かれる感じといおうか。
その日、壇上で私は、「なるほど、だから『そっとSotto』なのか」と、妙に得心したのだった。

 そして、ついに10周年を迎えた今、あえてSottoに何らかのメッセージを寄せるとするならば、それやはり次の一言に尽きるだろう。「これでいいのだ」。

次回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第5回

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