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蒸留酒への誘い③ 〜お酒を味わうって? テイスティングって何?


 話が本筋から逸れてしまっているが、逸れついでに話しておきたい話があるので、もう少しお付き合い願いたい。


 「味覚」とは物の味を感じとる感覚で、人間の外界感知装置である「五感」(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)の一つである。そして味覚は基本的に 甘味・旨味・酸味・苦味・塩味 の「5味」に分類される。私たちは何か物体の味に出会ったとき、この5味を単独で、またはミックスさせて感知した味を分析するのである。

 そして、分析した味が好ましい物であったときに「おいしい」、好ましくなかったとき「まずい」と判断する。

 つまり何か物の味という絶対的なものに対して、味覚は個人の能力差というバイアスがかかり、「おいしい」「まずい」と判断する際には個人の好みの差というもう一段のバイアスがかかる。

 だから前回も書いたが「おいしさ」というのは人それぞれで、ある程度の傾向はあっても絶対ではないのだ。

 

 まず「味わう」ことに一番関係してくるであろう「味覚」について考えてみたい。


 味覚が個人の能力差である、ということは、当然敏感・鈍感がある。これには生来の能力差もあるが、後天の能力差もある。ということは味覚は日々の鍛錬によって力を伸ばすことのできる能力なのだ。もちろん基礎能力や努力によって伸びるスピードなど、「才能」と呼ばれる部分には生来の能力差が大きく関与するだろう。しかし日々の生活の中で繰り返される食事等で培われる訓練という「努力」によって増強できる要素もあるのだ。まるで多くの芸術やスポーツのような、才能と努力の複合体なのだ。


 ここで味覚と日々の生活が密接に関係している、という例を挙げてみよう。


 あるときお客様がいろいろなシングルモルトを飲みながら「これ、キウィ感じますね。」「これはメロンがいますね。」「これにはマンゴー。」などとつぶやかれていた。私には感じられないフルーツまで挙げられるので、「ずいぶんフルーツのニュアンスを拾われるのが上手ですね。」と感心すると、そうですか?と驚かれて、「実は、今まで一年半シンガポールでバーテンダーをしていたんです。毎日新鮮な果物を豊富に食べられる環境にいたからですかね。」とおっしゃった。


 また別のお客様であるが「トップノートにブルーチーズだね。」とおっしゃた。ちなみにトップノートとはウイスキーをテイスティングする時、一番初めに感じる香りのことである。私や他のお客様にはそれは感じ取れなかったが、私たちが感じたトップノートのうちの2種類を合わせて感じると、ブルーチーズと表現できるという結論に至った。でもその香りをブルーチーズと表現するには、最上級かつベストタイミングのロックフォールくらいからしか出ないものだった。間違ってもスーパーの見切品なんかからは想像できない香りだ。そのお客様のブルジョアな食生活がちらりと見えた瞬間だった。


 ある意味、味覚を表現するのはその人の生活全てをありのまま丸裸にしてしまう。お客様のテイスティングコメントをニコニコと聞いているバーのマスターのなかには、実はそれを密かな愉しみにしている方もいるのではないか、と私は思っている。



テイスティング乾杯



 では、テイスティングとは何か考えてみよう。


 ウイスキーでいう「テイスティング」とは、ウイスキーの色合い、香り、味をしっかり吟味することである。「五感」のうち主に視覚、味覚、嗅覚を駆使していろいろな要素を汲み取り、分析することとも言える。特にその中心となるのは嗅覚と味覚、すなわち香りと味わいを感じとる能力が必要とされる。


 では目と鼻と舌が敏感なら、完璧なテイスティングは可能なのか。

 私は、一般に言われる「テイスティング」には2つの能力が必要であると思う。

 1. 嗅覚味覚風味をしっかり感じ取れる力。
 2. 表現力。感じた風味を他人にできるだけ正確に伝える力。


 まるで歌を歌うのと同じである。脳が出したい音を出すために声帯を引き締め息を出す「発声」と、それを正しい音程に調節する「聴覚」の2つの能力が揃わないと「歌唱」はできないのである。

 風味を感じるだけでも本人は楽しいしそれでも十分なのだが、それを正しく他人に伝えることができたら、もっと世界は広がるだろう。音楽に例えると、主旋律を歌いながら頭の中で伴奏を付けているとしたら、本人は楽しいが他人にはわからない。伴奏の譜面かコードがあれば他人にもその楽しさが伝わる。その譜面やコードに当たるのが表現力だ、と言えば分かっていただけるだろうか。


 この「表現力」も「味覚」「嗅覚」同様鍛えられるものだ。もちろん才能という生来の能力差もあるが、これもやはり才能と努力の複合体なのである。また、個性的なその方だけにわかる表現方法ももちろん魅力的だが、まずは普遍的・標準的な表現方法が基礎能力として必要である。例えばバッハやショパンという個性的な作曲家の作品も、普遍的な共通のルールにのっとった楽譜に書かれているものなのだ。


 普遍的なルールがあるからこそ他人に速く正しく伝わるのである。「赤」という言葉を聞いて思い浮かべる色は、多少の濃淡はあっても皆「赤っぽい」色だろう。「青」や「緑」を思い浮かべる人はいない。それは子供の頃からこの普遍的なルールを訓練して身についているからである。もしこの訓練をしていない人が自分だけのルールで「赤」を表現したらどうだろう。「赤」というニュアンスを伝えるのにかなり時間がかかってしまうだろう。


 同じことはウイスキーにも言える。


 ある時「モルトっぽい味わいが好き」とおっしゃるお客様が来店された。一般にモルティー=穀物やシリアル系の風味と解釈するので、私は麦々しい風味が際立つウイスキーをお勧めした。飲まれた折の感想や態度から、どうやらお好みとは違うな、と感じた。そういう感覚のキャッチボールを繰り返しながら2・3度お越しいただいているうちに、ふとお客様の仰る「モルトっぽい」というのは、「樽の影響をしっかり受けている」というニュアンスなのではないか、と思いついた。早速こういうタイプのウイスキーをお出しした。一口飲まれたお客様のキラリンと輝いた目が忘れられない。結局この方の場合の「モルトっぽい」とは麦のことではなく、「モルトウイスキーっぽい」の”ウイスキー”が省略された「モルトっぽい」、実は省略された言葉の方が大事だった「ウイスキー」らしい個性のもの、ということだったのだ。


 すぐにお客様の好みを理解できないのは、こちらの力量不足であって大変申し訳なかったが、どうしても普遍的表現以外ではお互いの理解まで時間がかかってしまう。無駄に何度かのすり合わせが必要になってしまうのだ。



 では、ウイスキーをどのように飲んで、どのように感じ、どのように表現できるのか?

 それがまさに「テイスティング」という作業なのだが。

 でも 少し長くなったので、続きは次回に。


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