皆さんは全力で今を生きていますか?
こんにちは、バンチャンです!
今回は上記の通り、「全力で生きるということ」について語っていきたいと思います。
どうせ俺/私なんて、、
ご覧になられている方で、「自分のことが大好きで仕方がない!」という方はどれくらいいるでしょうか??おそらくほぼゼロだと思います。
でもそれが普通だと思いますよ。自分のいやなところ、嫌いなところの方がすぐに浮かびますし、イメージしやすいですよね。好きなところね、、といってもなかなか浮かばないのではないでしょうか?(就活でいう自己分析で自分の良さと改善すべきところを考えているようですね)
自分のことが好きと思える子どもってどんな子?
今回は1本の動画を紹介します。それは、YouTube講演家として有名な鴨頭嘉人氏の動画です。
子どもの初期設定
これは、学校の先生に向けての講演会の様子です。おそらく、小中学校の先生方への講演会だと思います。そこでこのようなことを話されていました。
好きな大人の数が、子どもの初期設定となる。
皆さんはどう感じたでしょうか?つまり、子どもが大人から影響を受けることは限りなく少なく、両親、学校の先生からしか影響を受けないのです。高校時代、大学時代にアルバイト等の経験をしていなかったらなおさらです。
その意味で、学校の先生は子どもから羨望のまなざしで見られます。「このような大人になりたい」と思われる存在になります。「教師は責任感の重い職業だ」というのはこういうところからいえると思います。
大人の言動一つ一つが、子どもの自尊感情を大きく左右する
続きです。
「大人のことが好き」と思えることと「自分のことが好き」と思えることはすごくつながっている
○○先生は自分の存在を認めてくれる。自分のことをいつもたくさん褒めてくれる。だから私は○○先生が大好き!!
そういう子どもが「どうせ私なんて、、」と陥ることって考えられますか?限りなくゼロに近いと思います。
ですので、学校の先生というのは、その人の一生を決める役割を担っているのだといっても過言ではありません。それぐらい重要なのです。
だとすれば、学校の先生は生徒の教育のために全力を注がなければならないし、教育のプロとして生徒をリードしていかなければなりません。時には生徒と共に手をつなぎながら歩んでいくことも必要でしょう。
全力を注いでいたと感じる先生いますか?
鴨頭嘉人氏は記憶に残る先生になるためには?ということでこのように話されていました。
全力で生きている大人は、その時に好かれなくても絶対記憶に刻まれる
先月、私は教員研修会があり参加していました。そこでこんな質問がありました。
「なぜ教員を志望しましたか?」
その答えに私は驚きました。その場にいた半数近くが「安定した職業だから」と答えていたのです。正直「この人たちほんまに教師になる気あるの?」と思いました。
確かに安定した職業だから、将来が安泰だと感じることが間違っているとは思いません。それが素晴らしいと感じる人もいるでしょう。ただ、それで教員という職業が務まるとは到底思えないと私は言いたいです。(まだ教師の経験が無いので説得力はあまりないですが、、)
やっぱり「子どもが好き!」「教えることが好き!」「○○先生のような先生になりたい!」「生徒と共にいろんなことがしたい!」そのように希望に満ち満ちている人こそが教師になるべきだと思います。そういう先生が、鴨頭嘉人氏がいう「全力で生きている先生」になり得る存在だと思うからです。
全力で生きる大人に
平成26年度に近畿大学の卒業式で、ホリエモンこと堀江貴文氏が話されていた言葉があります。
未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ。
私の考えですけど、「今を全力で生きているとき」はしんどいけど楽しい。そんな時間だと思います。そして最終的に行き着く先は「自分が大好き!」ではないかと感じています。
大学生の就活の時期などは、時間がなく、ESに追われ、面接対策でボロクソ言われ、日々四苦八苦しているかと思います。そんなときに「楽しい!」と思えることはないでしょう。ただ、その時間には終わりがあります。いつか「あのときは~~だったよな」と言える日が来ます。そう思えるときがいつになるかはわかりませんが、あのときはしんどかったけど楽しかったと感じる瞬間が必ず来るはずです。
全力を注いでいる時間は一生の宝物になります。何物にも代えがたい無形の宝物になります。そのような全力を注いで、頂けるものが多いほど、自分のことが好きになれると思います。「自分にはこんなに魅力的なところがあるんだ!」と実感できるんだと思います。
最後は走り書きになり、まとまっていないかもしれませんが、自分の思いを書いてみました。
それでは! See you in the next post!!
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