都市と匿名性

いろいろあって地元を離れて東京に住んでいたことがある。

引っ越してすぐは笹塚から渋谷の駅前のレストランに通い働いていたのだが、あまりの長時間労働に耐えきれず、3ヶ月で辞めてしまった。

東京に出たはいいが、無一文で仕事もなくしてしまったので、仕方なく近所のユニクロでパートタイムで働くことにした。

これが意外と性に合っていて、服を綺麗に陳列することに全力をかけて地区表彰を受けたり、時間帯責任者として店を運営したり、大学生のバイトの子の育成に苦心したり、とにかくユニクロ漬けの日々が続いた。

そんなふうに過ごしていたので、街中でユニクロの服を着ている人を見ると一目でわかるようになった。

そこでふと気づいたのが、地元に帰った時よりも東京の方が圧倒的にユニクロを着ている人に出会うということだ。

一昔前、ユニクロはちょっとダサいというイメージが確かにあって、それを受けていろいろな方策が打たれた(製品にUNIQLOのロゴが入らなくなるなど)のは知っていたが、そのイメージが巷で完璧に覆ったとも思えなかった。

何故こんなに東京の人はユニクロの服を着ているのだろう?

物価や家賃が高いから服飾にお金をかけられないとか、安くても常に新しいものを着て使い捨てていった方がいいという考え方が広がっているとか、いろいろ考えてみたけれど、どれもしっくりこなかった。

そんなあるとき、コスプレをしている人のドキュメンタリーを見た。その人は地元ではコスプレが浮いていて思う存分に楽しめなかったけれど、東京に出てきて、自分が特別な存在じゃなくなったことで、すごく前向きになれるようになったと話していた。

私はコスプレみたいなことは目立ちたくてしているんだと思っていたけれど、そんなことはなくて、好きなことと周りが普通にやっていることが違うというのは場合によっては辛いことなんだということに気付かされた。

そのコスプレイヤーにとっては東京は自分を目立たなくさせるからこそ、安心できる場所になったのだ。

そう考えると、都市に住む個性的な人々は、ある意味では目立ちたくないからこそ東京にいるのかもしれないと思うようになった。なぜなら、ただ目立ちたいだけなら、自分と似たようなライバルがたくさんいるところよりも、田舎で変わったことをした方が絶対に目立つからだ。

ユニクロが地方よりも東京で着られてるということも、その点から説明がつく部分があるのかもしれない。

ユニクロは個性的ではなく普遍的で大量消費的だ。それは匿名性とも言える。だからこそ大多数の影の中に同化していたい人々(都市に住むある種の人々)に愛されているのではないか。

つまり、都市でこそ求められる匿名性の高い服があり、その一翼をユニクロが担っているからこそ、地方よりも東京の方がユニクロを多く見かけるのかもしれない。



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