僕は話さない。僕は声を持たない。僕は書くことしかできない。

僕は話さない。僕は声を持たない。僕は書くことしかできない。

僕はインターネットが好きだった。もっと具体的にはTwitterが好きだった。けれど今ではそうではない。僕はもうTwitterをやることはないだろう。それは先の記事に書いた通りだ。もう僕は話さない。僕は声を持たない。僕は書くことしかできない。このようにして。

僕はインターネットに文を書く。けれどそれは僕の知っているインターネットではない。ここにはもうインターネットはない。どこにもない。いつのまにか偽物にすりかわっている。本物はどこかにいってしまった。僕らはそれに気づいていない。インターネットはどこにもなく、僕らは声を持っていない。けれど、それはかつてはたしかに存在した。僕はその頃の、理想に満ちていた頃のインターネットを取り戻したい。そのためには逃げなければ、このインターネットのように見える廃墟の空間から。そう、僕は逃げるために書いている。もう一つの、ありえたはずのインターネットへ逃げ出すために。

1996年。インターネットがまだフロンティアだった頃、「インターネットの詩人」ジョン・ペリー・バーロウが一つの宣言文を発表する。「サイバースペース独立宣言」と名付けられたその宣言文は、インターネットへの夢と希望を謳うもので、そこでは「我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る」ことが宣言され、「それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない」ことが宣言され、次のような夢が語られることで終えられる。
「我々はサイバースペースに精神の文明を作り上げるだろう。そしてそれはかつてお前たち政府が作り上げた世界よりもはるかに人間的で美しいものになるに違いない」

「サイバースペース独立宣言」から20余年。僕らはずいぶん遠いところまで来てしまったようだ。今のインターネットには、「自分の信ずることを表現する事が出来る」場所などどこにもないし、「それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない」場所などどこにもない。ここには「精神の文明」などない。政府と企業と既成の文化に侵食されたインターネットが、「政府が作り上げた世界よりもはるかに人間的で美しいもの」になるはずなどがない。要するに、夢は潰えたのだ。僕らは話さない。僕らは声を持たない。僕らは書くことしかできない。ここから先に道はない。

たしかに僕らは書くことしかできない。
けれど、いつまでもそうなのだろうか。
本当に道はどこにも残されていないのだろうか。
僕はここから、この場所で、かつてのインターネットがたどりえた、もう一つのインターネットを考えてみたい。要するに、僕はやり直したいのだ。ジョン・ペリー・バーロウの時代から。あるいは、それ以前の時代から。

むろん、そんなものは夢想にすぎないと、今のインターネットにいる人々からは笑われるだろう。そしてそれはたしかに夢想にすぎない。けれど、もういい。笑われていい。もういいんだ。

僕はもう耐えられない。どこにも自由のない、どこにも居場所のないこのインターネットに。だからもう、たとえそれが夢想であってもかまわない。沈黙し、消えていくことなどできはしない。だから僕は書く。もう一度、僕の声を取り戻すために。

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SF作家、会社員。単著に長篇『構造素子』、評論集『すべて名もなき未来』。その他文芸誌等で散文の執筆。会社員としては外資のコンサル会社でマネージャーをしていますが、最近はAnon Inc.というベンチャー企業でCSFO(Chief Sci-Fi Officer)の仕事も始めました。
コメント (1)
初めまして。「さようなら、Twitter」に心動かされフォローさせていただきました。
これから樋口さんが理想のインターネットをどの場所に、どのように見出していくか楽しみに読ませていただきます。応援しています。
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