麻雀における怒りの感情との付き合い方
■怒りの感情が出るのはどんな時か?
あなたは麻雀を打っていて怒りの感情を覚えることはありますでしょうか?
序巡で良形聴牌して立直したのに、追っかけ愚形の嵌張立直に一発で振り込んで、しかもそれがただのリーのみ、しかし一発と裏ドラが2枚ついて満貫になってしまった。こんな時、点棒を相手に投げつけてやりたくはならないでしょうか?腹が立ちますよね。
また、こんな場合はどうでしょう?オーラスでトップ目、後は軽く和了して場を流せばトップです。そんなときに3巡目良形聴牌、つい勢いに乗って立直と宣言してしまった瞬間、ダマで和了できることに気付いてしまった。明らかなミスですね。アガリトップの局面でしたらダマで回した方が和了率が高いのは当然です。ダマで回してスッとあがって終了させておけば良かった。明らかな自分のミスに気づいて、腹が立ちませんか?
これは私個人の場合の話なんですが、私はこんな目にあったら正直に言って大人げも無く腹が立ってしまいます。
つまり私が麻雀を打っていて怒りの感情を覚えるのは、
①合理的であると納得行く打牌を続けた結果に対して、不運な結果に陥った場合
②自分のミスにその局中に気づいた場合
この2パターンが該当するのです。
みなさんも自分の過去の麻雀人生を振り返って、怒りの感情を覚えたシーンを思い返してみてください。
きっとそれぞれがそれぞれなりの、腹立つ!があったはずです。
■怒りの感情は大体マイナス
①の不利益は何でしょうか?パッと思いつくのは、麻雀というゲームから離れてしまいますが、点棒を投げつけたら場の雰囲気が悪くなりますね。
もとい、想定外の大きな失点をくらって心が動揺し、次の局に取り返そうと無茶な仕掛けをしてしまうかもしれません。ネット麻雀をやっているとたまに接続を切ってオートツモ切りになってしまう人も見かけます。それはただの損です。なんで接続を切ったの?と聞くと私はネット麻雀なんかは適当にやっているだけ、本気ではない、この結果は実力と違う、私は完璧な打牌をしているのだから、結果が悪いのだ。私は悪くない。と、このように言い訳が続きます。
このような思考回路になる理由は何でしょうか?これについてとつげき東北さんは大変的を射た分析をしています。「科学する麻雀」の最後の締めくくりの言葉「偶然を偶然と認識せよ」にその考えが集約されています。
つまりなぜこのような理不尽な事態に遭遇すると人間は怒るのでしょうか?それは裏を返せば確率的事象は皆全員に平等に発生するという認識誤りから生じているのです。
確率的事象はかなりの長期間、麻雀で言えば100半荘レベルで偏りが生じます。過去打たれた全世界の立直のうち和了となった確率が5割程度だったとしましょう。しかしそれが3割だったり7割だったりする状況が100半荘レベルで継続するということが、一個人の体験として出現するのは、そう珍しいことではないのです。
「そういうものだ」という認識を持たず、確率的事象の特性を知らず、合理的な行動に対する結果、対価を常に期待してしまう態度、これが怒りの感情の源泉です。
続いて②の事例を考察してみましょう。私の場合、ミスをした一局が終わり、例えば結果が振り込みとなってしまったような場合、なんでこんなミスをしたんだろうと次の局に入っても、くよくよと考えてしまいがちです。
しかしこれが麻雀に勝つためには全く無駄な行為だということは明らかです。なぜならもう次の局は始まっているのです。終わってしまった過去の局に対して、思考のリソースを割り当てるのは完全な無駄です。
何はともあれ過去は過去として、現局面に対して全ての思考のリソースをつぎ込むべきです。過去は変えられません。
上記の検討により、怒りの感情は麻雀の勝ちという目的に対しては、ほとんどマイナスの効果しか生まないことがおわかりいただけると思います。
みなさんも自身の麻雀における怒りの感情シーンを掘り起こし、
・怒りの理由
を日記でもメモでも良いです。文章にして目に見える形にして自分を客観視してみていただきたいです。
怒りの感情が麻雀に勝つために全く役に立たないことがわかるはずです。
最後は、麻雀を打っていて怒りの感情を覚えた時の行動指針を事前に決めておきましょう。
私の場合は、まず自覚することから始まり、すぐ怒りは無駄、マイナスであるという認識を持つよう心がけ、現局面に集中する、という行動指針を持って麻雀を打っています。
さらに付け加えると、怒りは後の牌譜振り返りでゆっくり吐き出せばよいと思っています。
怒りはマイナスとわかっていても、それを塞ぎ込めるのもどうかと思いますので、後でゲームが終わったあと牌譜振り返りでゆっくり反芻すればよいのです。対局中に怒りの感情を出すのは根本的に無駄であるし、愚かだと考えましょう。
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