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ライター10年目になって思うこと

 今月でライター10年目になりました。時の流れが早すぎて驚き桃の木山椒の木です。ということで今の気持ちをしたためます。

 正直に言うと、10年目になっても駆け出し当初とあまり変わらない。何が変わらないかというと、気持ち。ライターになって2年目くらいは、10年くらい経つとベテランの領域で悩むこともなくスラスラ書き、やや鼻高々になっていると思っていた。けれど、今自分がベテランなんて思わないし悩まないことはない。

 もちろん、書くスピードは格段に上がったけれど、いまだに書けない時はある。産みの苦しみを味わっている。試行錯誤しながらも実績ができたことは誇らしく思うが、決して自分がすごいと思うことはない。鼻高々の「は」の字もない。経験を重ねたとて、悩みが尽きることはないのだ。

 過去の自分が見たら意外と思うだろう点は、ライターとしての野望がないこと。以前は「有名なライターになりたい」と思っていたけれど、いつからかそんな気持ちが無くなった。

 なぜなら、誰かから頼まれる物書きは、自分の心からの文章ではないからだ。

 ライターはクライアントの意見を的確かつより魅力的に伝えることが使命。当然ながら主観は入れないし、自分らしさを発揮できない。書きっぷりや表現力ではライターとしての力量は示せるものの、自分のパーソナリティや世界観を出すことはない。本来の私は自己表現がとても好きで、自分の気持ちや世界観を伝えることが何よりも楽しいと感じる。

 しかしそれは、ライターとして厳禁だ。主観よりも客観的、個性よりもスキル。それらが求められると分かってから、ライターの仕事に高揚感を抱くことが無くなった。

 そうなってから、仕事としての物書きは私にとってはパズルをはめる感覚に近い。散らばったピースをつなげて完成させる。確実にブロックを繋げて消していくテトリスのようなもの。正確にクライアントの考えを伝えることに身を徹する。たまに自分をAIみたいと感じる時がある。

 こう言うと、ライターとはなんてつまらない仕事と思われるかもしれないが、ワクワクしなくてもやりがいはある。自分の文章で誰かの力になれると素直に嬉しいし、「わかりやすい」「よくまとまっている」「評判が良い」と言われると頑張って良かったと思う。自分のやってきたことは間違えていなかったと思える。

 だけど、繰り返しになるがワクワクはしない。多分、人の要望に応える物書きは私にとって淡々と当たり前にできることになったからだと思う。

 だからこそ、自由に自分を表現し、自分の心を追求できるエッセイは、私にとって心から楽しめる物書きなのだ。ライターになって一番の収穫は、自分の本当に好きな物書きを知ったことかもしれない。

 と、こんな感じで自分でも驚くくらいライターとしての出世欲が無いのです(笑)。そりゃお金は稼ぎたいよ。お金があって困ることはない!稼げるものならもっと稼ぎたい!

 とはいえ、お金のために仕事を選ぶこともない。本当に信頼している人や恩義がある人としか働きたくないから。この考えも昔から変わっていない。これに関しては、欲にまみれた人間にならずに良かったなぁと思います。

 ライターは、私にとって誰かの力になれる仕事。自分のできることでお役に立てること。社会貢献ができることで、それでお金をもらえるからラッキーって感じかな。これからも細く長く続けて、本当に自分を表現できるエッセイを深めたいというのが今の心境です。

 ライターとしての目標を言うのであれば、知名度のあるライターよりも信頼されるライターでいたいなと思います。

 ということで、これからもこのようなスタンスで続けていきますが、皆様よろしくお願い致します。




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