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戯曲『迷談~きたみちもどりて~』


『迷談(めいだん)~きたみちもどりて~』

作 渡辺キョウスケ


 鬱蒼(うっそう)とした森。
 風に揺れ、木々の葉が、ザワザワ、と鳴る。
 遠くから、カアカア、と鴉(からす)の不気味な啼声(なきごえ)が響く。

 森の奥から、一人の少女がやって来る。
 彼女の名は英瑞恵(はなぶさ みずえ)。女学生である。

瑞恵「(一本の木の幹を指差し)あっ。(自らが来た方に向かって)兄様(あにさま)、南雲(なぐも)の兄様」

 その声に呼ばれ、奥から眼鏡を掛けた着物姿の青年がやって来る。
 彼の名は鶴泉南雲(つるみ なぐも)。「怪談師」を生業(なりわい)としている男である。

南雲「どうしました」
瑞恵「見てください、此(こ)の木の十字傷。兄様が道標(みちしるべ)に付けた傷ですよ」
南雲「ふむ。どうやら来た道に戻って来てしまった様ですね」
瑞恵「戻って来てしまった様ですね、じゃあありませんよ。私達、道に迷ってしまったんですよ」
南雲「さて、どうしたものかな」
瑞恵「何を落ち着いているんです。此の儘(まま)じゃ、日が暮れてしまいますよ。私、嫌ですよ。こんな森の中で野宿だなんて」
南雲「英君」
瑞恵「何ですか」
南雲「そもそも何故君は着いて来ているのですか」
瑞恵「何故って、決まっているじゃありませんか。私は怪談師・鶴泉南雲の一番弟子ですよ。師匠が根多(ねた)を探しに旅に出ると云うのであれば、お供するのが弟子の勤めというものです」
南雲「何度も言っていますが、僕は貴方を弟子にした覚えはありませんよ」
瑞恵「兄様が覚えがあるかどうかは関係有りません。私が弟子だと云ったら弟子なのです」

 突如、バサバサッ、と羽撃(はばた)きの音。
 瑞恵、その音に驚き、ヒャア、と悲鳴を上げる。
 カア、と啼声。

南雲「鴉ですよ」
瑞恵「吃驚(びっくり)した・・・」
南雲「怪談師の弟子が鴉を怖がっていては世話が無いですね」

 瑞恵、むう、と膨れっ面をする。

南雲「取り敢えず、少し休むとしましょう。僕も歩き通しで草臥(くたび)れました。英君、一寸(ちょっと)その辺りから、木の葉や枝を集めて来てはくれませんか」
瑞恵「はあい」

 瑞恵、枝葉を拾いに行く。
 
 その間に南雲、右腕に巻かれた包帯をするすると解く。
 その下からは、経文さながらにびっしりと書かれた文字が現れる。
 そして、手の甲には紅(あか)で「怪」の一文字。
 掌(てのひら)には、同じく紅で、眼を模したような文様が描かれている。
 
 瑞恵、集めた枝葉を南雲の前に山積みにする。
 南雲、それに手を翳(かざ)す。
 すると、パチパチ、と爆(は)ぜる音が聞こえ始め、やがて火が起こる。

南雲「(近くの倒木に腰掛けて)日が傾いて少々寒くなってきました。焚火(たきび)に当たるとしましょう」
瑞恵「(同じように近くの岩に腰掛けて)千代(ちよ)さんの力ですか」
南雲「ええ。と言っても、彼女は元来、火を司(つかさど)るあやかしなどではありませんでしたがね。僕が話を付け足したことで、こうしたことが出来るようになったのです」
瑞恵「凄いなあ。私もそんなことが出来るような怪談師になりたいです」
南雲「英君、君は何か思い違いをしている様ですが、怪談師は人々に怪談を語り聞かせることが本分なのです。この様な呪(まじな)いめいた業事(わざごと)は、本来なら怪談師の領分からは外れています。掌から炎を出したいのなら、奇術師にでも弟子入りなさい」
瑞恵「私は別に手品を覚えたいのではありません。私は兄様の様に、世の為人の為、悪しきあやかしを退治したいのです」
南雲「僕はそんな大層なものの為に働いた覚えはありませんがね」
瑞恵「でも、いつも山田さんが持ってくる事件の捜査のお手伝いをされているじゃありませんか」
南雲「怪談師なんてものはやくざな商売ですからね。興行を打つのに、警察の人間に恩を売っておいた方が、何かと都合が良いのですよ」
瑞恵「ふうん、そういうものですか」
南雲「大体、嫁入り前の若い娘さんが、余り危険なことに首を突っ込むものではありませんよ」
瑞恵「あら、兄様も随分と前時代的なことを仰るんですね。女が銃後(じゅうご)を守る時代は終わりました。これからは女性も社会に出て活躍する時代です。女が皆家庭に入るものだと決めつけないで頂きたいですわ」
南雲「こいつは藪蛇(やぶへび)でした。その手の話になると、終戦から向こう、男はどうにも旗色(はたいろ)が悪い。いえ、僕は山田さんと違って、家父長制などというものが時代錯誤だという考え方に異論はありませんがね。しかし、これを御覧なさい――」

 南雲、瑞恵に己の腕を見せる。

南雲「以前にも話しましたが、此の腕に刻まれた文字は、僕が使役する〝怪談〟です。『洋館の幽霊』の千代さんも、『雪女』の渡里(わたり)さんも、全て此処に刻まれています。我が身を怪談と一つにすることで、あやかしに実体、すなわち〝レアリテ〟を持たせることが出来るのです――英君、貴方は、己が身にあやかしを刻む覚悟がおありですか」
瑞恵「・・・」
南雲「――根多を教える位でしたら構いませんがね。しかし、それ以上となると話は別だ。何事にも対価は付き物だということです」
瑞恵「――兄様のお師匠様もそうだったのですか」
南雲
「はい?」
瑞恵「ゑいさん、と仰いましたっけ。女性の方だったんですよね」
南雲「――一度、その躰(からだ)を見せてもらったことがあります」
瑞恵「え?」
南雲「着物を脱ぐと彼女の背中には、幾千の文字がびっしりと、曼荼羅(まんだら)の如(ごと)き文様を描いていました。それはまるで、文字が彼女を覆い尽くそうとしているかの様でした。そして、師匠は僕にこう言いました――いいかい南雲。己の身に刻める怪談にも限りというものがある。その限りを超えて、怪談に飲み込まれることがあっちゃあいけないよ。そうなれば最後、虚と実が反転しちまうからね――」
瑞恵「虚と実が、反転?」
南雲「己の〝レアリテ〟が失われ、〝フィクション〟そのものになってしまうのですよ」
瑞恵「それは、この現実から消えてしまうということですか」
南雲「近いですが、ちと違います。情報としての存在は残ります。しかし、そこに居るはずの実体は失われてしまうのです」
瑞恵「〝居る〟のに〝居ない〟だなんて、それってまるで――」
南雲「そう――あやかしと同じです。その身の全てが怪談になれば、あやかしそのものになってしまう――確かに理屈ではありますがね」
瑞恵「――というか、兄様」
南雲「はい?」
瑞恵「先刻(さっき)さらっと流してましたけど、兄様は、お師匠様の、その――裸を見たのですか?」
南雲「ええ、見ましたよ」
瑞恵「(キャア、と声を上げ)何て破廉恥な。師弟の関係でありながら、裸を見たことがあるだなんて――」
南雲「見たと言っても、背中だけですよ。それに、彼女は僕の師であり、育ての親だ。そのような相手に、色恋の感情など――」

 南雲、ふと、言葉に詰まる。

瑞恵「兄様?」
南雲「――いえ、何でもありません。しかし、このままだと、本当にここで一晩過ごすことになってしまう。何とかしてこの森を抜けなくては」
瑞恵「そもそも兄様は今回、どんなあやかしに会う為にこの森にやってきたんですか」
南雲「――もう出会っているやも知れませんね」
瑞恵「え?」

 ザワザワと、木々の葉が風で揺れる。

南雲「この森はその名を『八ヶ森(やつがもり)』と言いましてね。大きさとしては左程(さほど)広い森では無いのですが、どういう訳か昔からよく人が迷うことが多く、八遍(はっぺん)同じ場所に戻ってしまう、ということからその名が付けられたそうです―中には、迷い込んで其(そ)の儘帰ってこないこともあるとか」
瑞恵「じゃあ、私たちが今迷っているのって、もしかして――」
南雲「あやかしの仕業である可能性が高いですね」
瑞恵「(慌てて)ええ、不味(まず)いじゃないですか。そのあやかし、退治出来るんですか?」
南雲「あやかしというのは大抵、場の力に噂が集まることで怪談が紡ぎ出され、それが人口に膾炙されることであやかしとして実体化することが多いのですが、この森の場合は、何かしらの〝像(かたち)〟を持たず、森という場所そのものが、人を迷い込ませるあやかしと化していると思われます――退治する対象が居ないのであれば、退治の仕様がありません」
瑞恵「そんなあ。じゃあ、どうするんですか」
南雲「攻略法はあります。この森には言い伝えがありましてね――異変を見つけたら、必ず引き返さなくてはならない――と」
瑞恵「異変、ですか」
南雲「もし異変があれば来た道を戻る、逆に異変が無ければそのまま進む、そうすればこの森を抜け出せるという寸法です」
瑞恵「本当にそれで出られるんですか」
南雲「約束事が提示される類の怪談は、約束そのものが怪談を成り立たせている髄(ずい)なのです。ですから、約束が破られることはありません」
瑞恵「でも、異変と云ったって、特段変わったことは何も――」
南雲「いや、異変は既に見つかっています――」
瑞恵「えっ、本当ですか」
南雲「ええ。異変は――英君、貴方です」
瑞恵「――え?」
南雲「貴方、本物の英君ではありませんね」
瑞恵「――何を仰っているんですか。私は正真正銘、英瑞恵ですよ」
南雲「確かに、先程より問答をしていて、貴方の受け答えに疑わしい箇所は見当たりませんでした。初対面であれば、山田さんや千代さん、私の師匠であるゑいの名前も知っている筈ありませんからね」
瑞恵「そうですよ。だから私は偽物なんかじゃ――」
南雲「しかし、こうも考えられます――もし貴方が、僕の記憶を元に、此の森が見せている幻だとしたら――僕との受け答えは完璧に再現出来ます」
瑞恵「でも、それじゃあ兄様には、私が本物かどうか、判別は不可能ってことじゃないですか」
南雲「本来ならね――しかし、幻で現れたのが英君、君で助かりましたよ。どうやら、この森にも再現出来ないものがあるらしい」
瑞恵「再現出来ないもの――?」
南雲「英君、君は件(くだん)の学園での騒動の時、化猫に取り憑かれていましたね。その後、具合は如何(いかが)です?」
瑞恵「如何も何も、困ってますよ。何かに驚く度に、耳や尻尾が生えてしまうんですから。日常生活も儘なりませんよ」
南雲「成程、やはり其の事も知っているのですね――」
瑞恵「当たり前じゃないですか、自分の事なんですから――え?」
南雲「気付きましたか――そう、英君は化猫に取り憑かれて以来、驚くと猫の耳と尻尾が生えてきてしまうのです。貴方は先程、飛び立つ鴉に驚いていましたね。それなのに何故、耳も尻尾も生えていないのでしょう」
瑞恵「・・・」
南雲「あやかしとは、各々が固有の情報集合体です。人はそれを〝物語〟とも呼びます。物語は、他の物語に成ることは出来ない――英君のことは再現出来ても、彼女に憑いた化猫までは再現出来なかったようですね」
瑞恵「――フフ、フフフ」

 瑞恵、不敵に嗤(わら)い出す。
 と、三度(みたび)ザワザワと風で木々の葉が揺れる。

瑞恵「アハハハハハ――」

 瑞恵、高らかに嗤い声を上げる。
 途端、強い風が吹き、鴉たちが啼声を上げて一斉に飛び立つ。
 その風で、焚火の炎が消え、闇に包まれる。
 暗闇の中、瑞恵の笑い声と、鴉たちの啼声が渾然一体(こんぜんいったい)となり響き渡る。

 ややあって、目も慣れてきて、辺りの様子が伺えるようになる。
 しかし、そこには先刻までいた筈の瑞恵の姿は無く、南雲のみが一人、ぽつねんと立っている。

南雲「――さてと、本物の英君を探すとしますか」

 と、向こうから「兄様、兄様」という声が聞こえてくる。
 猫の耳と尻尾を生やした瑞恵、現れる。

瑞恵「(南雲を指差し)居だっ、南雲の兄様だっ」
南雲「耳と尻尾が出てますよ。あと訛(なま)りも」
瑞恵「(耳と尻尾を見て)ああ、本当だ。そんなことより兄様、この森、普通の森じゃないですよ。先刻から同じ場所をグルグルと――ここはきっと、あやかしの森です」
南雲「そうですね、夜になる前に引き返すとしましょう」
瑞恵「引き返すと言っても、どう行くのが正しい道なのやら――」
南雲「大丈夫ですよ。『異変があれば、来た道を戻る』。これで出られますよ」
瑞恵「異変?異変って何ですか」
南雲「出たら話してあげますよ――この『八ヶ森の怪談』をね」
瑞恵「ちょっと、兄様――」

 二人、森を後にする。
 日は落ち、森は夜の闇に包まれて――。

※この戯曲は『怪談~あやかしかたりて~』の続編であり、同作品の1.5次創作アカウントから生まれた登場人物、設定を元に書かれた作品です。


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