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病んでいても、いつものところに行こう。

あけましておめでとうございます。みなさんはどんなお正月を過ごしていますか?

私は読書をしながらのんびりと過ごしています。読んでいる本の中で松浦弥太郎さんの「伝わる力」という本がある。その本の中で寄り添うということについてのエピソードが掲載されている。親しい人にどう寄り添うか、そんなことが書かれたこのエピソードを読んでこのnoteを書こうと思った。

以前、友達(Aさん)に「友達が病んでいて、連絡も途絶えていて、心配です。どうすればいいと思いますか?」と聞かれたことを思い出した。

今日は、それについて考えてみたい。

私はこの質問を受けたとき、少し考えてしまった。私だったらどうしてほしいのだろうか、と。そして、その答えは「友達との関係の濃さ」によって違うのだなと感じた。だから、Aさんに「その友達とAさんはよく会うの?遊んだりするときはどこに行くの?」と聞いた。Aさんは「遊んだりはしないんだけど学校が一緒で友達。」と言った。

そうか。私も友達だけど遊びにでかけない友達はたくさんいるなと思った。その友達に自分が病んでいる時にしてほしいことはあまりないなと感じた。

「病む」ってなんだろう。

私も「病む」という言葉を使う。でも、「病む」ってどんな意味かを考えると、パッとしない。身体の不調もあるだろうが、それよりも精神的に疲れてしまって、何もやる気がおきないような状態のことを「病む」と言うのだと思う。

この病んでいる時は、正直他人にできることは少ない。病んでいる原因は人ぞれぞれだし、気軽に「大丈夫だよ」と言われると「全然大丈夫じゃない」と思ってしまう。でも、仲のいい友達でも「病んでいる」というのは恥ずかしい気持ちにもなる。だからSNSに「しんどいな」と言ってみたりするのではないだろうか。

病んでいる時に友達にしてほしいこと

では、私は最終的にAさんに何と返答したか。それは、「Aさんができることは少ないんじゃないかな。私だったら、病んでいる時にもいつもと変わらず公園に行ったり、芝生公園でお昼寝したり、お茶したりしてほしい。それは、病んでいる時でもいつもと変わらずに側にいてほしいし、変わらない時間を過ごしてほしいから。」と伝えた。

その変わらない時間があるから、病んでいるとか忘れて、その日が終わったら「あれ?私病んでたっけ?」ってなるんじゃないかと思う。人はテンションが高い日もあれば、普通の日もあるし、病んでいる日もある。

人と寄り添うということは、相手のどんな日でも側にいて、その人のいろいろな面を受け入れて、楽しんでいくことなのだと思う。だから、大切な友達や心から気にかけている存在が1人でもいるのなら、私は1つおススメしたいことがある。

愛が溢れる合言葉

いつものところに行こう、と言える場所を作ることだ。友達にパートナーが出来て幸せ溢れる時も、つまらない大学の授業を受ける普通の気分の時も、病んでいる時も、その友達にはこの合言葉を使えばいいのだから。

いつものところに行こう。

新しい景色を訪ねたいと思っています。そして、そこで感じた、音や風、空気、人の温かさをnoteに。