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あの頃、思い描いてた自分になれているだろうか 〜17歳の頃、アメリカの生活で見つけたこと〜

来年早々には今住む家を離れるから、時期外れの大掃除をした。
箱の中に、古い日記帳を見つけた。
高校生の頃、1年間留学したアメリカで書いていたものだ。
掃除の手を止めて読み始めた。
17歳だったわたしが残した文章の中に
今のわたしの軸を作っていることがあると気づいた。
その日の出来事がなかったら、
わたしは今よりもっと頭の固い大人になっていたかもしれない。

1995年7月から1996年6月まで、アメリカで留学生として暮らした。
ホームステイ先は、お父さん、お母さん、そして子ども5人の大家族。
大きな敷地には放牧している牛がいて、他にも豚や鶏、犬や猫がいた。
学校から帰ると子供達は皆で家畜の世話をした。もちろん、わたしも。

子供5人のうち、4人が養子だった。肌の色も、瞳や髪の色もみんな違った。養子として家族になることは現地では珍しいことでもなく、本人たちもその事実を知っていたし、周りも当然知っていた。生まれてすぐ養子に来た子もいたし、小学生になってからの子もいた。理由は、さまざま。わたしのことを新しい養子だと勘違いした人もいた。
それまで自分から養子だと名乗る人には会ったことはなかったが、
日本では簡単に口に出すような話題ではないことは知っていた。

ある日の夕飯のテーブルだった。いつものように、みんな一緒に席に着いていた。ふとしたことから、アメリカと日本では、「養子」に対する考え方が違うのは、文化や歴史が違うからだね、という話になった。
ステイ先のお父さんは小学校の教師をしているが、学校が長期休暇になるとアメリカ軍の仕事をすることもあった。それで、日本に来たこともあったそうだ。テーブルに着いた8人の中で、アメリカと日本の両方を見たことがあるのは、彼とわたしの二人だけ。この日は、食卓で話すのが苦手で口数の少なかったわたしにしては珍しく、話題の中心になって、たくさん話をした。

その日の、日記から。

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1996年1月17日

地形や気候が人間を育てた。そして人間が文化を生み出し、歴史を作り上げてきた。

・文化
(1)武によらず文による徳で人民を教化すること。
(2)世の中が開け進むこと。文明開化。
(3)人間が社会の成員として作り出していく、物質的・精神的成果のすべて。

・歴史
(1)人間社会における過去の時代の興亡、移り変わり。また、その記録。
(2)事物や人の現在までの経歴。また、その記録。
(当時持っていた、国語辞典からの引用)

「文化」は難しいこと言ってるけど、このわたしたちが今触れている空気そのものではないのだろうか。
この家には、養子として受け入れられた子供たちがいる。本人も知っている。もうみんな、どこか大人だ。わたしにはないものを持っている。

〜中略〜

短い歴史、まだ好奇心の旺盛な十代の少年のような国、アメリカ。
今いる人たちの多くが別の国から渡ってきた。
いくつかの湧き出た水が一緒になって川を作るように、
いくつもの人種が一つの国を作り上げてきた。
そのためか、血筋というものは私たち日本人のように気にならないらしい。
世襲がどうとか…

長い年月が、老人の考えに鍵をかけてしまうように、
深い歴史も国の考えを固めてしまうのでは。
人々の心は、どうだろうか。

どの国にも問題はある。
それは、起こるべくして起きたものだろうか?
過去にこだわりすぎではないだろうか?

老人の独り言が若者を邪魔しないように、新しさが強い時もある。
しかし、老人の知恵だって必要なこともある。
どの国がいいとか悪いとかではないのだ。
老人の知恵と若者の好奇心がうまく合わされば、
素晴らしいことが可能ではないだろうか。

単純な言葉だけど、「世界は広い」。心からそう思う。
そして、自分は小さい。

大きな鍋の中に、一粒の塩を入れても、その味は変わらない。
でも、たくさん入れれば、味は変わっていく。
そして、別々の材料がよく集まればこそ、
素晴らしい料理ができあがるのではないだろうか。

目、物を見るだけでは意味がない。
何を感じ、何を考えるか。生きるということ、
それもただ存在するだけでは意味がない。
自分もできることから、始めようと思う。

人生の1ピースをまた見つけたような気分で満たされた。
パネルにきちんとはめ込んでおこう。

ああ。本当に世界が見たい。いろんな人と話をしたい。

もっと勉強しなくちゃ。

ちいさいことは、おおきいことだ。

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表現の仕方に幼さもあるけど、この時の考えが、
その後の自分に多大に影響していたことに気づかさた。
実は、この1週間ほど前の日記からは、ずいぶん悩んでいた様子が伺えた。
ちょうどわたし自身の誕生日もあったのに、写真に映ったわたしは浮かない顔。英語の伸び悩みもあって、自分の殻を破れずにいた。

でも、この会話をきっかけにいろんなことに気付いた。
ひとつは、思ったより英語を聞けるし話せるようになっていたということ。
もうひとつは、「自分から働きかければ、物事は変化する」ということ。
おとなしい自分が嫌なら、どんどん話せばいい!
そして、もうひとつは、「ちっぽけな自分」。

アメリカに行くまで、日本の親元を離れたこともなく
わがままで身勝手な世間知らずだった。
でも、そこを飛び出して、「自分がどれだけ知らないかを知る」ことができた。これがすごく大きかった。

アメリカでの生活を積極的に楽しんだのは、それからだった。
いろんなものが吹っ切れたように。

日本へ帰国の日に撮ってもらった写真は、顔が全然違う!沈んだ顔の誕生日の写真から5ヶ月ほどしか経っていなかったけれど、こんなにも顔つきが違うんだ!と自分で驚くくらいだった。

帰国して、しばらくはアメリカに帰りたくて、泣いたこともあった。
それが、生活を楽しめた証拠だったかもしれない。

ホストファミリーが決まる前、また別の家族が受け入れを希望していたらしい。でも、順番でM家に決まったと聞いた。
もし、他の家で過ごしていたら?今のわたしはあったのかな?
人生のタイミングは、予期せぬところで絶妙に仕組まれているようで面白い。

あの頃のわたしが望んだ自分に、近づけているのかな。
行きつ戻りつするのも、ひとつずつピースを集めるため。大きなパネルに、今の精一杯のピースをはめ込んでいこうと思う。これからずっと先の自分の布石にするために。

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ぎゃあああ うれしいです!
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東北の日本海側出身。田畑に囲まれ育つがアメリカに憧れ、16歳で初海外・交換留学。大学時にスウェーデンで半年間デザイン留学。2008-2011年オーストラリア滞在。現在、会社員の仕事と共にイラストレーターとして活躍中。旅継続中、特にイギリスが好き。意外と小心者。

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