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哀しい時には、いつも

ビールが好きだったあなた。


僕はあなたが大好きだった。

あなたはビールが大好きで、お気に入りは「スーパードライ」

だったね。


僕はあなたが美味しそうにビールを飲む姿が、

大好きだったよ。

とびっきりの笑顔をこちらに向けて、

「美味しい」

って。

綺麗だった。その笑顔も、身体に似合わないような、

重たいジョッキをにぎりしめ、傾けた姿も。

子供のような無邪気さで、あなたは思い切りジョッキを

空にしながら、乾いた笑い声は店内に響き渡るほどに。


でも僕は、隣に座るあなたのワンピースから覗く腿や、

ピンヒールから伸びていく曲線を、

淫らな視線で追っていたんだ。


僕たちは、人に言えるような関係ではなかったね。

生中を3杯、酔ってきてよろめいた上半身。

僕は肩を引き寄せた。

長くまっすぐに、重力に正直に伸びた長い、黒い、

生命力から発せられる色気のある、艶のある強い髪の

間から、白くてきめ細やかな肌、額。

生え際にそっとキスをした、似合わぬ赤提灯の焼き鳥屋。


三度目の夏は来なかった。

僕はひとりでここにいるし。世の中はコロナで大変な

ことになっちゃったね。

今でも思い出すよ。だから、ぼっちで僕はグラスに注いだ黄金色のビールを

傾けている。台所の後ろのゴミ箱にはひねり潰された空き缶が、もういっぱいに

なろうとしている。


外は眩しいばかりの日差しだし、濃い緑の草木が元気に天にその手を

伸ばしている。

暮れた後の夜は、一層と藍色が濃さを増し、

街頭や車のヘッドライトに目が眩んでしまうよ。

一緒に見た花火や、あなたが僕のために着てくれた

白地に薔薇の、素敵な浴衣を思い出しながら、酔いが深まっていく。

一本目の缶を空け、ひねり潰した。


離れられなかった。僕はあなたに夢中だった。

あなたの浴衣の帯を解き、白粉をふったような綺麗なうなじに、

そっと口をつけた。ビールを注いだ飲みかけの

ワイングラスが結露し、雫が曲線を伝い、コースターの無い

ガラステーブルの上をじんわりと濡らしていった。

散乱したテーブルと、乱れたベッドのシーツ。


僕とあなたは真逆だったね。

年も、あなたは僕より10も年上で、

いろいろからかわれていたのかなって、

今になって思うこともある。

それも人生の勉強だったかな。


僕はそんなにビールは飲まなかったけど、

あなたに会わなくなって、ビールを飲むことが増えたよ。

スーパードライは、悲しすぎるから、飲まない。

あなたを思い出したいのに、そこまで深く思い出す勇気もないんだ。


あなたは天真爛漫で、僕はよく言えば引っ込み思案。

あなたは大人のオンナで、僕の前では無邪気な子供だった。

僕はお子ちゃまで、あなたの前では必死で背伸びをした。


この夏も、あなたと乾杯したかった。

人目を憚りながらでも・・・


ふたりの違う人間が愛し合っている姿を、

僕はいま、ひとり夢想している。


あなたはスーパードライで、

僕は一番搾りで。




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