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松坂大輔と松坂恭平の兄弟の差はどこで生まれたか①-野球を始めた頃のお話し‐

始めまして。

株式会社ドームに勤めている松坂恭平と申します。

(兄貴がちょっとした有名人です)

昨日にアンダーアーマーファンの方々に向けたYouTubeを開始しました。折角なので沢山のアンダーアーマーファンの方々に知って頂きたいと思い、閲覧のみであったnoteも開始しようとPCをタイプしております。

まずは、自分自身のパーソナルな部分を簡単にご紹介させて頂こうと思っていたのですが、純粋に僕と兄の差はどこでこんなにも開いたのか。ということをなんとなく記載してみようかと急に路線変更します。

別に、この兄弟格差にひがんでいる。

病んでいる。

という訳ではないので、関係者の方々はご安心くださいwww
(いや、実際はかなり羨ましいと思っています💰いくら持ってんだよ。ちょっとくれ~www)

真面目な話し、子供を持った身として、兄弟の育て方の参考までにしていただければと思ってです。

2人は、

兄:大輔、1980年9月13日、江東区塩浜に松坂家の長男として生を授かる。

弟:恭平、1982年11月23日、江東区塩浜に松坂家の次男として生を授かる。

(よく、兄の横浜高校のインパクトが強くて神奈川県だと間違われますが東京っ子です)

2人は、塩浜にある塩崎保育園、江東区の南陽小学校、東陽中学校までは一緒の学校に通う。

では、球歴を辿ります。

兄:大輔、小学校3年生の夏ころ?に東陽フェニックスのという少年野球チームに入団。

弟:恭平、小学校1年生の冬頃に兄を追いかけるように東陽フェニックスに入団。

因みにそれまでは、2人とも深川剣友会で剣道を習っていました。2人ともそれなりに強かったと思います。私は協調性が無かったのか「恭平は、性格的に個人競技が向いているからこのまま剣道をやらせた方が良い」と、言われておりました。兄は、昔から社交的であの顔の感じで親しまれやすかったようです。

剣道ですが兄は、4年生まで、私は2年生まで野球と剣道の両方をやっていました。平日の火曜日、水曜日で剣道。(曜日は間違っているかも知れませんがとりあえず平日に2日間は剣道)日曜日は、野球。剣道の試合があれば剣道の試合にでる。そんな感じだったと思います。(親に確認すればすぐにわかるのですが取り急ぎw)

後に母親にヒアリングしてnoteにしたものは下記です。

そんな剣道、結果的にすべてを満遍なく鍛えられてたように思います。裸足なので足裏からの神経伝達的なモノも発達したのかと。怪我もし難くて良い競技だと思います。(あっ、でも竹刀で腕とかを打たれての打撲程度はあり)

剣道についてなどは、下記でももう少し詳しく書いております。

話しは、少年野球に戻します。

兄は、入団直後からそれなりに活躍。直ぐに主力選手になっていたと記憶しています(むむむ。実は既にここで差がある説w)

弟は、小学校低学年のためにボール遊び。水たまりで良かれと思ってグラブを洗って親父に怒られた記憶が一番の記憶です。
めちゃくちゃ怒られたので、その後の私のグラブへの愛着、手入れはかなりのものだったと思います。自分だけのグラブだけじゃなく、兄のグラブまで磨くようになりましたww(だから会社でもアンダーアーマーのグラブを立上げたかったのかも知れません。実際に立上げメンバーです。今度noteにします)

小学校のチームですが確か、

Aチーム、小学校6年生以下

Bチーム、小学校5年生以下

Cチーム、小学校4年生以下

2人ともCチームからのスタート。

兄は、確か、基本的には、1学年上のチームでプレーしていたと記憶しております。4年生の時にCとB、5年生のBとC、6年生は、Aしか所属できないのでA。

では、弟は、どうか。まず、2年生の途中から半年くらい野球に通わなくなります。理由は、自分でも言うのもなんですが顔がかなり可愛らしい顔をしていたので、上級生が可愛がられました。

しかし

私自身は、「イジメられている」と捉えてだったと思います。つまり、結果的に一時前の相撲界の可愛がりですねw(嘘です。普通に可愛がってもらっていました)捉え方は人それぞれなので接し方って本当に難しいですよね。

話を戻しますが弟も実は、復帰してから野球がなぜかメキメキ上達して、兄と同じく、自分のチームと1つ上のチームで練習も試合もしていました。4年生の時は、飛び級の飛び級で6年生の兄のAチームで一緒に練習をして、都大会の大事な場面で代打で出場した時のことは、今でも鮮明に覚えております。(結果は、ガチガチに緊張して1度もバットを振ることなく見逃し三振です。今でもあの時の緊張を超えるものはなかったかも知れません。本当に緊張したなぁ。バット一度も振れなかったしw)

あれ???

あれあれ???

小学校の時は、弟の方が凄くないか??飛び級の飛び級で6年生の試合に、しかも都大会でも打席に立っているぞ!!

すみません。子供が起きてきたので今日はここまでです。

また、時間のある時に続きを書きたいと思います。

お付き合いありがとうございました。

物語的な感じではあるのですが子供持つ親御さんの子育てとかにも少しでもお役に立つことができれば。という思いも強いです。

最終的には、自分自身がこの兄との差をどこで受け入れるのか、それともそもそも受け入れられたのか、その時の葛藤、そしてその時の親の対応なども書いていければと思います。

追記

凄いなwww

もう少し真面目に小さい頃に兄弟(本人が)何をしていたかを書いていきたいと思います。

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読了頂きましてありがとうございました。

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お時間があればこちらもお付き合いください。


松坂恭平

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ご兄弟のいるご家庭、同じ競技をやっている子供がいらっしゃる方に読んで頂ければと思います。

松坂大輔と松坂恭平の兄弟の差はどこで生まれたかの内容になります。 たった2歳差であり、幼い頃から同じ競技をやる中でどのようにして差が生まれ…

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