見かけたツイートについて(フェミニズムについて)

たまたま見かけたツイートを読んで、自分なりに思うことがあったので書き連ねてみます。批判的な内容を含みます。

同意できる部分を先に挙げると、多分この人の言いたいことは平等と公平の話なんだと思うんすよね。
全員に同じ仕事を割り振ることは平等かもしれないけど公平ではない。得意苦手はあるのだから、力の弱い女子に力のある男子と同じ仕事の量を割り振るのはフェアじゃないという話。
また、生まれ持っての性差もあるのだから、例えば着替える部屋は分けるべきというのも分かる。

ただ、これが「性別に関わらず、力仕事はそれが得意な人に任せようね」なら分かるんだけど、むしろどんな理由があっても女児に力仕事をさせるなと書いてあるように読めてしまう。

小学生なんて成長の差はまちまちなんだから、普通にその辺の男子より大きくて力のある女子がいるのも珍しくないのに、
そういった、能力や意欲の有無に関わらず「女児に一切力仕事をさせるな」という主張なのだとしたら、それこそ強固なバイアスがかかってるのでは。

“そんなのはレアケースなので無視します、それがフェミニズム”って言うなら「そうなんだ」って思うけど。

また、これが一番の問題点だと思うんだけど、やっぱりツリーの中の“男性だからといって力仕事を無理にする必要はないのでどうぞそうでない職業に就かれるなどして下さい”っていうやつ、
それで済むんだったら女性も“女性らしさを要求されるのが嫌ならそうでない職業についてください”で済むのではと言われても仕方ないでしょ。女性差別とされている事柄の多くを無効化できてしまう。

理屈の上ではそうかもしれないけど、実際にはなかなかそれで解決とならないからこの手の話は難しい訳だし。これで反論を完封できるならkutooとかも一切スルーでなんの問題もない。


そもそも、それまで小学校の話だったのに急に大人の職業選択の話になってるのもよく分からなくて、「力の弱い男児にも力仕事を振られることはどうなのか」という問題を話をすり替えて誤魔化してるだけのようにも見えてしまう。

もしこの話のすり替えが意図的なものだったら、「なるほど、大学でフェミニズムを習われただけのことはあって、話の論立てが上手ですね」という皮肉を投げ掛けられても仕方ないでしょ。


というか、実際のところ、力仕事が一切存在しない職場ってのも本当にどれくらいあるのか?という気もする。専門的な技術職ならともかく。

例えば接客業とか営業とかでも、年単位で考えたら重い荷物を運ぶような機会は何度かはあるだろうし、その時は力仕事が男性に振られやすいのでは。
それは女性が何故か職場に女性らしさを求められることがあるという話の裏返しの筈でしょう。

「男性が複数いたらその中で最も力持ちの人がやればいい」という理屈もあるだろうけど、苦手だからって負荷の大きい仕事をひとりだけ避ける人がいたら、疎まれたり陰口を言われたりするので現実的には難しいみたいなの、女性同士の集団でも幾らでもあるでしょう。
理屈の上ではそうでも、ひとりだけ職場にノーメイクでいくのは難しいから問題だみたいな話じゃないですか。

得意でもやりたいわけでもないのに女性というだけでお茶汲みを求められることと、男性というだけで力仕事を求められること、
勿論全くイコールではないですけど、全く違うわけでもないですよね。同種の問題をはらんでいるという見方はできると思いますよ。

むしろ、全くイコールではないという部分が問題の解決を難しくしてるんですよね。お茶汲みはなくせばいいけど、力仕事はなくならないので。

そして、この力仕事が単なる『腕力』だけじゃなくて『体力』も含むものだとしたら、もっと大変な話になる。
例えば選挙活動に体力が必要な国会議員は体力のない人は無理にやらなくていいので男性中心でもおかしくないですね、同じく激務になりやすい医者も体力のある人が多くやればいいので男性ばかりでなんの問題もないですねってなる。

とにかく、こういった「理屈の上ではそうだけど現実にはこうだよね」という物事について、そういった風土やカルチャーを少しずつでも変えていけたらいいね、現実を理想に近づけるにはどうすれば良いのか考えようではなくて、
「力仕事が苦手な人は違う仕事をすれば良い」という現状追認がフェミニズムならそれでいいんだけど、そうじゃないだろう、そうじゃないって言ってくれよ。頼むよ…。

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