『積読こそが完全な読書術である』を読みました。

こんにちは。小林佑太朗です。

永田希さんの『積読こそが完全な読書術である』を読みました。

●本の負債
本は読まれるべきものであるのに、読めずに積読してあるという状況に対して、人は「うしろめたさ」を感じる。
それがなぜかというと、編集する必要があるのにできていないということを感じているからではないか。
本の著者の伝えたいことを読み切るなんてことはできないのだから、
テーマに沿って自分の関心ある本を認知できる環境に置いておくことが、
現代の情報の濁流に飲み込まれない方法だと、永田さんは主張している。
だが、私は積むだけでは、「うしろめたさ」は解消されないと考える。

さらに言うと、読んだとしても「うしろめたさ」は解消されない。

「引用」することで、それぞれの関係性を把握し、さらに他者に対して、
その関係性を提示することで価値を提供することができる。
それは自分が機能を果たすということであり、引用元たちが新しい光を当てられ、機能するからである。


本の引用したり、感想を書いたりということ。
これらの意味は、ベンヤミンの言う、忘れられたものたちの救済なのだと思う。
そして、なぜ引用したり意見を持つだけにとどまらず、他者に見てもらえるようにアウトプット&シェアをするのか。
それは、自分だけが知を持っていると、その負債感に耐えきれなくなるから。

対話の中に、引用を挟んでいくことで、それが編集であり、贈与となり、負債感の解消となり、歴史が救済されていく。

そんな場を、「オンライン対話」で作っていきたいです。

今回は以上です。

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