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6. 矛盾



彼女は小さな島出身、島外の世界を知らず文化も凄く遅れた環境で育った。
彼女は生涯で一人の男しか知らない。
18歳で就職の為に初めて島を出て、職場で出会い人生で初めてプロポーズされた男と付き合い一緒になった。
その男は博打が好きで酒が好き、しかし仕事には誠実であった。
色褪せ綻びたタタミ6畳ほどのアパートで暮らし大きな夢を描くこともなく二人は月日を過ごした。
仲の良さを象徴するかのように自然と4人の子供を授かった。
仕事に誠実であっても雑で粗暴な男であり、彼女にこそ手はあげなかったがひとたび家の外に出れば警察のご厄介になってばかりだった。
今考えれば当時の時代背景ではそんなに珍しいことでもなかったかもしれない。
そんな男もいつしか自分の会社をもち住む家も生活も昔とは比べものにならないほどのものになった。
何故ここまでを書いたかというと、環境や人間にわがまま一つ言わず苦労に耐え生きてきたという彼女の人物像を皆さんにお伝えしたかったからだ。
ここからはそんな彼女の幕引きの話をしたい。

彼女はけして人の悪口を言わない。家族誰もが一度として聞いたことがない。
もしあるとすれば「千の風になってを歌っている人はちょっと苦手」くらいのものだ。
その人柄を鏡に映すかのように彼女の周りは人で溢れていた。もちろん彼女だって人間である。不平不満はあったろう。
でも、少なくとも家族はそんな姿は見たことが一度も無かった。
どんなに慕われ愛されようと死のタイミングにそれは反映されない。
ある日、自身がガンであることを彼女は知ることになる。そしてこの病は13ヶ月という速度で約60年の彼女の人生を無に還すことになる。
そう、見つかった時にはすで全身転移していたのだ。
人の悪口を言わない彼女はネガティブな言葉も嫌ったのだろうか。それとも彼女自身の死への恐怖だろうか。
真実は夫婦間だけでとどめることを男に懇願し人生で初めて男にわがままを言った。「子供たちには内緒にして下さい。できる限り人に迷惑や心配をかけず死にたい。それが今の私の目標です」と。

別れの時は突然にそして静かに訪れた。
ある日、息子はお見舞いに訪れた。彼女は寝苦しい夏の日のように肩で息をし体を丸め会話など到底できなかった。
息子は正面から彼女の姿を見ることが怖くて背中越しに「また来るよ」と声をかけ病室をあとにした。
車に乗り込み走り出して10分ほどした時に病院から電話が鳴った。「すぐに戻ってきていただけますか?」とのこと。
理由は聞かずともわかった。
病院に戻った時には、さっきとは違い10月の半ばにも関わらず心地よい春の風を浴びながら昼寝をしているかのように彼女は眠っていた。
遅れて病室に家族が集まってきた。
誰一人取り乱すことなくそれぞれが現実を受け入れようとしていた。
たった一人こんな日が来ることを誰よりも覚悟していたであろう男が一通りのいきさつを話し最後に
「隠していて悪かった」
とポツリと呟いた。
誰も返事はしなかった。そこにいる誰もが彼女がわがままを言った意味の大きさを理解していた。

旅立つニ週間ほど前に話した時に彼女は言った。
話の前後は覚えていないが
「お父さんは世界で一番の男」だと。
人生で男というものをたった1人しか知らない彼女が何をもってして1番と言ったのだろう。
そんな事を当時は考えていた。
考えてみれば私も母というものは一人しか知らない。
それでも「世界で一番の母」だと言える。
人生には比較対象が無くても「一番」といえるものがたくさんあるのだろう。
この先そういうものにいくつ気付けるか。

という文を「一番になりたい」と思いながら書いてる今この瞬間である。

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