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『パラサイト 半地下の家族』ストーリー解析⑥ 小ネタ落ち穂拾い

今回は、これまでの『パラサイト 半地下の家族』解説で取り上げることのできなかった小ネタを拾っていこうと思います。

作中で繰り返し描かれていたモチーフ、一瞬だけのカットに垣間見えたキャラクターの性格、一般的な考察で取り上げられがちな説などについて確認していきます。

※ 以下ネタバレを含みますのでご注意ください。




要所に登場する、背景としての「車」

キム・ギテクとパク社長(あるいはヨンギョ)という、本来隔てられた階層に所属する二人が狭い空間を共有するための小道具(または舞台)として、本作における「車」は重要な意味を持っています。
しかしそれとは別に、特に物語前半の要所においても、「車」は背景としていかにも意味ありげに登場していました。


まず最序盤の、ミニョクとギウの会話シーンです。

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「おまえにダヘの家庭教師を引き継いでもらいたいんだ」とミニョクから話を持ちかけられたギウが「大学生のふりをしろってことか?」と返した瞬間、背後の坂道をバスが勢いよく走り下りていきます

このシーン、初見時からしばらくは「ギウにとって家庭教師の話は栄達への足掛かりとなるはずなのに、なぜポン・ジュノ監督は『上り』ではなく『下り』のバスを配置したのだろう?」と疑問に思っていました。
しかしよく考えてみればこの話は、キム一家にとってさらなる転落と悲劇のきっかけとなるわけで、「下りのバス」は近い未来にやってくる不幸の暗示となっているわけです。

また、バスは運転手以外の人間を「運ぶ」ものでもあり、このミニョクの提案がギウやその家族のみならず、パク一家やオ・グンセ&ムングァン夫妻に対しても悲劇をもたらすことを暗示していると言えるでしょう。


そして次に、ギジョンが「ジェシカ」として初回の絵画授業を終えた帰り、ユン運転手によってベンツで送られるシーンです。

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ギジョンがユン運転手の信用を失墜させるための計略として、後部座席に下着を残そうとする瞬間の車外の様子ですね。
状況から見て車同士の接触事故のようですが、携帯電話を巡って二人の男性が争っています
おそらくは片方が警察に連絡しようとしているのを、もう片方が阻止しようとしているのでしょう。

これはもちろん、使用人としての既得権益を得ているユン運転手、さらには家政婦ムングァンまでもを追い出そうと画策し始めたキム一家の姿を象徴的に表しているものです。
同じ階級に属する前任者との「衝突」を暗示しているわけです。

言うまでもなく、のちに二つの家族が総出で一台の携帯電話を巡って争うことへの伏線でもありますね。


三つ目はギテクが運転手としてパク家に入り込んだあと、辞めたムングァンの後任探しのために、架空の人材派遣会社「ザ・ケア」をパク社長へと紹介しているシーンです。

「有名な会社を断ってくれたご恩、一生忘れません」とパク社長が冗談を言い、和やかに笑い合うギテクでしたが、その瞬間にベンツの前方へトラックが無理な割り込みをかけてきて、ギテクは悪態をつきながら「クラクション」を鳴らします。

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この割り込みの直前、パク社長のジョークの前にあったのが、「奥様を愛していらっしゃいますよね」というギテクの問いで、これは彼が犯した最初の「ライン越え」でした。

この「ライン越え」の瞬間、それまで徹底してカットバック(複数のショットを交互に切り替える編集技法)によって細かく分断されていた会話シーンが、突然水平方向のパンで運転席から後部座席へシームレスに振られるというカメラワークに変化しています。
車内に発生した「領域への侵入」を鋭く表現しているものです。

このときパク社長は冗談としてギテクの「ライン越え」を受け流しますが、表情や声色にはどこかうんざりしたような気配が漂うようになり、しつこく振り向いて話しかけてくるギテクへ「前を向いて」と厳しい口調で告げます。

このシーンの裏に込められていた意味はまさに「警告」であり、その対象は、一家丸ごとのパク家への侵入を踏みとどまることのできないキム家と、パク社長への個人的な「ライン越え」を意図せず行ってしまったギテクの、両方にかかっていると見ることができます。

ダソンの誕生日パーティの際にギテクが二度目のライン越えを犯すと、パク社長は今度こそはっきりと「一線」を示します。
この「一線」を引く行為が最終的に両者の悲劇へと繋がっており、あの車内での会話こそが、「警告」を受け止めることのできなかったギテクとその家族の分岐点であったと振り返ることもできるでしょう。


時計回りと反時計回り────渦を巻くイメージ

「時計回り」は本作を語るうえで、もはや代名詞的なインパクトを持つフレーズであると言えるでしょう。

これは物語中盤、ソファ上でのペッティングの際、ヨンギョが「時計回りでね」とパク社長に乳首の愛撫の方向を指定する台詞なのですが、そこに込められた意味合いは単なる夫婦の習慣以上のものがあるのではと深読みしたくなります。

これはすでに色々な考察サイトや動画でも指摘されていることですが、本作中には「時計回り」と「反時計回り」、この二種類の回転イメージが頻繁に登場してきます。
回転の要素を持つ作中の描写を全て挙げていくのはこじつけめいたところも出てきてしまうので、明確な意図を持っていると思われるいくつかをピックアップして確認してみます。

「時計回り」
・ヨンギョの台詞

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・地下室扉のレバー(閉鎖)

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「反時計回り」
・オープニングでのタイトル文字

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・チュンスクのハンマー投げ

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・地下室扉のレバー(開放)(※直接的な描写は無し)

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まず一つ確実に言えるのは、上記のような回転イメージ群に、原題でもある「寄生虫」が宿主の体内でとぐろを巻くイメージを重ねているであろうということです。
これはパク邸の地下室に住み着いているオ・グンセの姿や、作中で複数回言及される「虫」のイメージを観客の深層意識へと刻みつける意図になります。

そしてもう一つ、「時計回り」は右ねじを進める方向であることから、「上から下」つまり作中で幾度も描かれる水の流れる向き、秩序の方向であると見ることができるでしょう。
「反時計回り」はその逆で、世界の秩序に逆らおうとする意志(計画)の方向、つまりは「下から上」へと上昇していくイメージということになります。

ただしクライマックス直後のギテクだけはなぜか例外で、自身は時計回りに回転しつつ階段まで移動し、反時計回りに降りていくという奇妙な動きをわざわざ俯瞰したショットで捉えられています。
パク社長の刺殺は衝動に流された偶然ながら、地下へと降りていったのはギテクが明確な意志を持っていたことの表れなのかもしれません。

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階段を上るヨンギョの対比

物語の前半は「キム一家がどのようにパク家への寄生を成功させていくのか」が中心に描かれていますが、制作陣はその成功の有様を一組のカットの対比によって簡潔に表現しています。

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前者はダソンの初回授業を終えたギジョンがダイニングの椅子に座っている場面で、後者は桃アレルギーを発症したムングァンが咳き込みながら二階へ駆け上っていく場面です。

見ての通り、どちらも「階段を上ってきたヨンギョが予想外の光景を目にして驚きの表情を浮かべる」という絵面で共通しており、明確な対になっています。
しかしながら彼女の後ろに付き従うのが前者ではムングァンだったのが、後者ではギテクへと変化しています。
そして目にしたダイニングの光景についても前述の通り、「居座るギジョン」に対して「逃げ出すムングァン」と対照的かつ象徴的な描かれ方です。

そしてその前後の場面にも目を向ければ、「障壁の存在しない至近距離で密かに計画を打ち合わせる主従」という構図も対になっています。

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ムングァンの「梅シロップ」は空振りに終わり、キム一家の「桃レッドソース」は大当たりでした。

前者はヨンギョが自ら階段を下った地下、後者は上階のサウナ室へヨンギョがギテクを呼び寄せるという対比にもなっており、入れ替わりつつある腹心二人の心理的立ち位置や、誰が計画の主導権を握っているのかも同時に表現されているという、情報が濃密に込められた見事な表現です。


オ・グンセの「祭壇」

時間にするとほんの数秒ですが、「完地下」でオ・グンセが崇拝していたと思われる「祭壇」のカットがあります。

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この「祭壇」は缶詰の空き缶で作られており、おそらくグンセが感謝を捧げ崇めていた対象の写真がいくつも貼り付けられています。(もちろんパク社長も含む)

この写真の人物を見ていくと、グンセがどのような思想の持ち主であるのかが推察できて興味深いものがあります。


エイブラハム・リンカーン(1809-1865):第16代アメリカ合衆国大統領。北軍を指導して南北戦争に勝利した「奴隷解放の父」。

ネルソン・マンデラ(1918-2013):第8代南アフリカ共和国大統領。27年間の獄中生活の後、アパルトヘイト撤廃の功績でノーベル平和賞受賞、大統領に。人種融和のシンボル的存在。

キム・デジュン(1925-2009):第15代大韓民国大統領。拉致事件、逮捕、死刑判決を乗り越え大統領に就任した民主活動家。初の南北首脳会談を実現、ノーベル平和賞受賞。

パク・クネ(1952-):第18代大韓民国大統領。韓国初の女性大統領。友人に国家機密を漏洩していたなどのスキャンダルにより弾劾訴追され失職、懲役22年の有罪判決を受け現在も服役中。

イ・ボンジュ(1970-):韓国の国民的人気のマラソン選手。市民ランナー出身で、1996年のアトランタ五輪では男子マラソンで銀メダルを獲得。


上の2名はわかりやすい「奴隷解放運動」「差別撤廃運動」の指導者ですね。
キム・デジュンとパク・クネもそれぞれ「壁を越えた」初めての指導者ですので、この点に関するグンセの好みは明確です。
自分と境遇の重なる「獄中生活」も、グンセが支持する理由の一つであるのでしょうか。(しかも1名は現在進行形で服役中)

政治家に囲まれる中でイ・ボンジュ氏とパク社長は例外ですが、「アメリカでの活躍」という点が彼らの共通点となっています。
ノーベル賞などの国際社会からのわかりやすい評価はグンセが惹きつけられる要因の一つのようで、「アメリカでの活躍」もそれに準じたものであると思われます。
マラソンランナーに対する敬意は、自分なりの「長期的な計画」をかつては持っていたグンセの姿を窺わせるものでしょう。


一つだけ人物が写っていないのが、上の画像ではちょっと見えにくいのですが、右上のリンカーンの横にあるキノコ雲のような写真です。

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雲の形からするとおそらく、1970年のムルロア環礁におけるフランスの核実験の写真ではないかと思われるのですが、グンセがなぜこれを「祭壇」に飾っていたのか、その意図はわかりません。

核兵器に対するグンセの言及は本編でもなされており、どこか面白がっているような雰囲気もあったので、単純に綺麗な写真であったから飾っていたか、あるいは強い破壊衝動があったのか。

フランスが本土から遠く離れた地で実施した核実験は「分断」の象徴であると言え、グンセの好みには合わないような気もします。


※追記(21.2.27) 矛盾するオ・グンセの内面性について

上記のように、奴隷解放や人種融和のリーダーを崇めつつ、分断の最大の要因でもある核兵器の写真を祭壇に飾り付けるグンセの行為には矛盾があります。

この矛盾を読み解く一つの手掛かりとして、作中ではオ・グンセ&ムングァン夫妻が「北朝鮮」に結びつけられるような演出がしばしばなされている、という点に注目してみましょう。

キム一家の素性をスマートフォンで動画として収めることに成功したグンセとムングァンは、その送信ボタンを核ミサイルの発射ボタンに例えて一家を脅します。
優越感に浸りながらムングァンは朝鮮中央テレビのアナウンサーの口調を真似てみせ、邸宅の元の主であるナムグン先生を称えます。
(韓国の映画評論家イ・ドンジン氏によれば、グンセとムングァンが北朝鮮だとすると、このナムグン先生はソビエト連邦のメタファーに見えるとのこと)

そしてこれは本編には収録されていないようですが、脚本段階では地下室に駆けつけたムングァンとグンセの間に以下のような会話が設定されていました。

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ムングァン「(泣きながら)どうしてこんなに暗くしてるの? なぜ電気を消してたのよ?」
グンセ「電力は節約しないと。全部パク社長が出してくださってるんだ」

これは北朝鮮のエネルギー事情の隠喩のように見えます。

資本主義から取り残されて孤立している、という現在の立ち位置についても、グンセと北朝鮮はぴったりと重なります。

このように見ていくと「グンセ=北朝鮮」という図式が感じられ、「祭壇」にある核実験の写真の(制作上の)意図も掴めるかと思われますが、ポン・ジュノ監督はここにさらに捻りを加えているようです。

グンセは上記のように、奴隷解放、人種融和、南北統一、性差別撤廃といった目標を長期的な努力で達成する、高潔な精神性とリーダーシップに強い憧れを抱いています。
しかし経済的な困窮状態にあって、彼とムングァンに安定的な生活の糧をもたらしてくれるパク社長もまた、グンセにとってリンカーンやマンデラを上回るほどの「神」に違いないのです。

本来のグンセは思想的には平等・博愛主義者で、あらゆる「壁」が無くなることを望んでいたはずです。
しかし資本主義の競争社会で敗れ、逆にパク社長を信奉するようになってしまいました。
パク社長は資本主義の権化として、自分と家族の周囲にひたすら「壁」を築き続けている人物です。
(パク社長の経営する会社名は「アナザー・ブリック」=もう一つのレンガ)

心情的には融和を望みつつ、経済的にはそれを望んでいない。

これはまさに、南北統一問題に対する韓国世論と重なるものがあります。

表面的には何をしでかすかわからない北朝鮮のパロディのようでいて、その内面にある心情は韓国の抱える大きな矛盾との相似形になっているのが、本作において極めて特異なキャラクターであるオ・グンセという人物なのです。


チュンスクの経済観念

パク家への寄生を成功させていくにつれキム家の食事の内容が豪華になっていく、というのは非常によく知られた描写であると思います。

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上が最序盤、「ピザ時代」の内職を終えて報酬を受け取った直後で、下がムングァンを追い出し一家全員がパク邸に入り込むことに成功した直後の様子です。

上の画像で四人が飲んでいるのは、ハイト眞露が発売している韓国初の発泡酒「FiLite(フィライト)」です。
つまりは安酒ですね。

下の画像でギテク、ギウ、ギジョンが手にしているのは、ご存知サッポロビールが海外展開している「サッポロ プレミアム」でしょう。
安定した収入源を確保した一家の食卓に上がるのが、国産の発泡酒から輸入物のビールへとグレードアップしたという描写になっています。

面白いのはチュンスクだけが頑なに「FiLite」を飲み続けていることで、これは彼女の堅実な性格と、一家の大黒柱としての現実的な経済観念を反映しているように思えます。

買い出し時、浮かれる家族を尻目に一人だけいつもの安酒を買ったのか、あるいは家にあった在庫の処理を引き受けたのか、想像するのが楽しい部分です。


ダソンは初めから全てを見通していたのか?

いくつかの考察サイトや動画などで取り上げられていた説ですが、「ダソンはキム一家がパラサイトしようとしているのを最初から見通していた」というものがあります。

個人的に、これはやや無理筋の解釈だと考えております。
説の根拠に対して反証を挙げていく形で、私見を述べていきます。


根拠1:ギウの訪問時、ダソンは初対面で矢を射かけて攻撃している。
反論:ダソンが射かけているのはまずムングァンに対して。次いでヨンギョ。ギウに対してはアクションを起こしていない。

これは英語脚本を参照するとわかりやすいのですが、「プラスチックの矢が飛んできて、ムングァンの肩に当たる」とあります。

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実際の映像を見ても、ダソンの視界にギウは入っておらず、ヨンギョをまっすぐに見ていますね。
このあたりのダソンの心情については前回の記事で詳しく述べてあります。

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このシーン以外でもダソンは、姉の家庭教師であるギウをほとんど認識していない様子で、臭いの一件に関してもギウだけは言及されていません。

根拠2:大雨の夜、ダソンはオ・グンセからの「助けて」というモールス信号を解読しながら意図的に無視している。
反論:日本語字幕が「たすけ…」となっているため誤解しやすいが、実際にはダソンは信号を解読できていない可能性が高い。

このあたりに関しては『ポン・ジュノ映画術』(イ・ドンジン著 河出書房新社)に掲載されているポン・ジュノ監督インタビューが詳しいですが、監督自ら「ダソンは途中で解読を投げ出して寝てしまった」という意味のことを語っています。
英語字幕では「HOLP M…」となっているらしく、つまりはグンセが信号を正確に打てなかったか、ダソンが読み取りを誤ったかのどちらかであるとするべきでしょう。

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実際の画面上では、ダソンはハングルで解読を試みています。
知識がないので詳しいところはわかりませんが、表示されている記号を繋げて単語を作ろうとしても上手く意味をなさないようです。

根拠3:ダソンは貧困層の臭いに気づいている。自宅のどこかにオ・グンセがいることも察知していて、だから自宅から逃げ出そうとしている。
反論:ダソンはグンセを「幽霊」だと思っている。自宅にいる家族以外の何者かの気配を感じてそれを怖がってはいるが、そこに社会階級的な認識は無い。

キム一家に共通する臭いに気づいたのは、子供らしい感覚の鋭さと遠慮の無さの表れであると思います。
しかしダソンが「社会階級」という概念を理解し、別の階級の人間を蔑視あるいは敵視するようになるには、さすがにまだ幼すぎるでしょう。
キム一家と似たような臭いであるはずのムングァンにはよく懐いていて、親しく遊んでいます。

ヨンギョの話からするとダソンは、「自宅にいる誰か」を「幽霊」だと考えているようです。
家の中の不気味な気配を怖がっているのは間違いないところですが、それが地下室に住み着いた現実的な人間であると結びつけて考えてはいないと思われます。

一つの可能性として、ムングァンがグンセの存在をごまかすため、「実はこの家には幽霊がいるのよ…」ぐらいにダソンへ吹き込んだのはありうる話かもしれません。



以上、これまでの解説に盛り込めなかった小ネタを拾っていってみました。
まだまだ私の気づいていない要素が『パラサイト 半地下の家族』の作中にはあるかもしれないので、考察してほしいネタがありましたらご遠慮無くコメントしてください。

多くの方に読んでいただければ非常に嬉しいので、SNS等で記事を拡散していただけるとありがたいです。
記事を読んで面白く感じられましたらコメント、スキなどいただけますと大変励みになります。

次回、本稿には書けなかった『パラサイト 半地下の家族』を観ての私の個人的な感想を、短めの記事で上げるかもしれません。

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