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オミクロンと闘う全ての人類へ

初めましての人もそうでない人も一意見として偏見を持たずに一度読んで欲しいです。

何回目のループでしょうか。落ち着く度に新しい株が出てくる。その度意見の食い違いに人々が争い、距離ができる。戦争と同じ、何回繰り返したらこの無駄な争いは、コロナは終わるのでしょうか。僕は思います。人々の意識が変わるまではどこまでも続いて行くループなのではないかと。まるでおはようからおやすみのように。

今はかろうじて緊急事態宣言は出ていません。では、本当にコロナで命を落とすのが恐ろしいならなぜ外へ出るのですか?緊急事態宣言が出ていなければ、好きなように動いていて問題はないのですか?上の人間がこうしよう!という決断を下すまでの間の自由ですか?極論、それは自分自身の意見ですか?

僕がこの記事を書こうと思ったきっかけを書きます。

僕は基本的にマスクはしない人間です。ですが、昨日そのことで人と争いました。職場でも普段からマスクをしていない僕のことをよく思っていない人間が間接的に他の人間に告げ口をしていることを知りました。上の人間や、強い人間、誰に対しても僕の意見を全面から言えない自分の弱さも知っています。空気を読んでしまったり、色んな意見があるから他人の気持ちを考えて言わないという選択をすることもあります。でも、昨日争い気づきました。誰に対しても自分の意見を言わないとダメだと。それでいて食い違うことは仕方がないことでしょう。しかし、マスクを自分の考えを持ってしているのと、みんながしているからするのでは意識もマインドも全然違うと思います。もっといえば、誰がマスクを外していいよ〜と言ってくれるのですか?それを待ち続けて何年が経ちましたか?その間、人々の距離はどうなりましたか?マスクをしていない人間が怖いですか?ウイルスではなく、人が怖いですか?

そうです。今一番恐ろしいのはウイルスではなく、人だと僕は思います。実は僕は2020年の1月にコロナに感染した経験があります。

その当時は今よりももっとシビアな状況で、感染=悪(それは今もあまり変わらないか…)という状態でした。どこで誰がどう感染したかなんて、生活をしている以上分かりはしないのに、やれ意識だのやれ行動だの、その当時はひどく責められたことを覚えています。確かに僕の感染の発覚とともに周りの人間にも感染し(恐らく近くにあると意識をしたから)多大な迷惑をかけたことは反省しています。また、それなりの行動もとったつもりでいます。その時に思ったのです。怖いのはウイルスではなく人なのだと。だってその当時、もう国が要請する隔離期間が終わっているのにも関わらず、近所住民や職場では距離を取られ避けられる日々が続くのです。何事もそうですが、時間とともに中和はされます。しかし、その人が体感した事実はその人の中に永遠に残り続けます。そんな冷たさをもうこれ以上他の人に味わって欲しくないんです。だから、完璧な解決策なんて分からないけど、僕の経験と意見をここに記しています。

僕もまだまだ弱い人間です。他人のことを考えてとか、その場の空気を凍らせない為にとか護身の言い訳をしてマスク討論を避けるときがあるほど弱い人間です。けど弱いからこそ弱い人の気持ちが分かります。そんな人に一番に寄り添って助けてあげられるそんな心の強い人間になりたいと心から思っています。

話は少々脱線しましたが、最後にコロナやマスクに関して少しでも自分の考えを巡らせるいいきっかけになればと思っています。そして、みんなが十人十色の意見を認め合い、どんな人間、どんな動物、生命があってもいい、争いのない世界になることを願っています。

もしもこの長い文章を最後まで読んでくれた人がいるのであれば、心から感謝とご多幸をお祈りします。

ラフにタフに頑張りましょう!


2022.1.17    恭平


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