共感性羞恥を人より強く感じるかもしれない【2020/07/04】

共感性羞恥とは「人がが怒られたり恥をかくような場面を見た時に、まるで自分が怒られたり恥をかいているように感じてしまう事」を言います。

数年前に水曜日のダウンタウンという番組で「おバカタレント”やってる”説」なる企画を放送していた。

おバカタレントはその天然さで売ってるけど実際はわざとおバカを演じているのではないか、というのを検証するらしい。

「プライベートで協力者にある話題を振ってもらいそれについての知識があるのを隠し撮りした上で、オーディションで再びその話題についてのクイズを出題したらどうなるのか?」

かなり意地の悪い企画ではあるが面白そうだったので録画して視聴した。

隠し撮りのフェーズが終わりいよいよオーディションが始まった。

クイズが出されフリップで回答した。

そこには明らかにやりに行ってるボケがミッチリと書かれていて、回答者がそれをさも当たり前のように説明していた。

その瞬間、名の分からない感情に突き動かされてテレビの電源を切ってしまった。

自分でも分からないがどうしても見ていられない、居心地の悪さとでも形容できるような感情に支配された。

後に共感性羞恥という言葉に出会いやっと理解することができた。

かつて「言葉がないと感情は生まれなかった」と誰かが言っていたが本当だった。

それからというもの共感性羞恥を感じ取るセンサーがより鋭敏になったような気がする。

舞台上で何かをやらかす映像は絶対に見れなくなった。

これも最後まで見れたことがない。

どうしても自分に置き換えて考えてしまい無理だ...

言葉の暴力の存在をありありと感じさせる一本。

どんな顔をしてみんなのところに戻ればいいんだ...

もうこのままどこまででも走り去りたいと思っただろう。

もし私を拷問したいなら爪剥がしでもウォーターボーディングでもなく、共感性羞恥の動画を流すだけでいいだろう。もちろん前者でもペラペラ話すけど。

これは誰でも感じることなのか、それとも一部の人だけなのか、とにかく不思議な心の働きがあるなあという話だった。

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