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絵をオーダーしたら、QOLが格段に上がったよ。という話。

この話をする前にまずはじめにお伝えしておくと、僕はぜんぜん絵に詳しくない。父親は国内外の美術館巡りが趣味だが、僕自身は行ったこともほとんどないし、画家もゴッホとかゴーギャンぐらいしか知らない。ゴーギャンも名前くらいしか知らなくて、情けないことに代表作が何かも知りません。(さっき調べました)

この間、代官山にバスキアが来た時は家の近くということもあり見に行ったけど、そのくらいだったと思います。建物は好きだし今の家も内装は作り直したけど、そこに絵を飾るというアイデアはなかった。振付師で書道家の友人の堀向さんに、家のお祝いに書をプレゼントいただいてそれは飾っているけど、壁は作った時のままで特になにも飾っていませんでした。

そんな僕が絵をオーダーすることになったきっかけは、1月にさかのぼる。

(書いてもらった書、名前の漢字。今でも飾ってる)

きっかけ

きっかけは、友人の美際と僕の合同誕生日会を開いてもらった時に、あるアーティストの人(はるか)と会い、友人になったことでした(正確にはその前にも少し会っているんだが、その時は特に絵に対する関心はなかった)。

その日は、いろいろあった末に行きつけのスナックsu3へ収容され酒を爆飲みする。という激しい展開の会だったゆえ記憶がほぼないわけなのですが、その時かすかに覚えているのが、一緒に祝われていた友人が絵をプレゼントされていたことでした。

これがその絵。

なるほど、絵をオーダーして、家やオフィス(その子は花屋を開業したので、花屋)に飾るというということもできるのか。そんなこと考えたこともなかった。

ちょうどこの間、「アート初心者は、直感で5万円の作品を買ってみよう」という記事を読んでいて、なるほど、そうやって徐々に造詣を深めていくことがよいのかな、みたいなことはざっくりと考えていたけど、何をどこで買えばいいのかまったくわからず、そのままにしていたところでした。

今までに考えたこともない選択肢だったけど、せっかくこうやって機会があるなら、思い切ってお願いしてみようかなと思い、次会った時にお願いした、というのが経緯です。

打ち合わせはこんな感じ

打ち合わせをしよう。

ということで、部屋に来てもらい、部屋を見てもらう。どこに飾るか、どのくらいの大きさがよさそうか、その場合の値段はいくらなのか、という話をして、内容にうつる。

阿呆みたいな話だけど、そのタイミングでようやく「絵をオーダーしたい、ということでお願いしてみたけど、いざ具体的にこういう絵を描いて欲しい」みたいなお題やコンセプトが自分の中になかったことに気づいたのです。

そこで、そこから色々な人生観や好き嫌い、その絵に求めることは何か、全体像が浮かばなくてもいいのでなにか右脳的に浮かぶものはあるか、この色は入れて欲しい、みたいなイメージはあるか、など。

そういう話をしていくうちに、「その絵を眺めていると、新しいアイデアや考え方が浮かんできそうな気分になるような絵」が欲しいなと思うようになりました。

今の仕事は、どれだけ自分で企画を生み出したり、新しいアイデアを出していけるか、新しい道筋を示していけるか、ということが重要になっています。家で考え事をすることも多いので、そういう時にぼーっと眺めていたいと思える絵がいいなと思ったのです。

会話をしていく中でけっこう面白かったのは、自分を深掘っていくような質問が多いので、途中でどんどんこっぱずかしくなっていくことです。笑(これは意外な発見でした)

2時間ほどの打ち合わせを終えて、あとはオンラインでやり取りをします。「旅行に行くならどこへ行きたい?」とか「今まで行った場所で一番好きな場所は?」とか「好きな海は?」みたいな質問を受けて、答えていく。すると、1〜2週間ほど待ってくれれば届けられそう、という回答が。

いざ納品

本当はもう少しかかるんじゃないか、と思ってたけど、当初の予定通りのスケジュールで、思っていたより早く絵が届きました。

届いた絵がこちら。

まず驚いたのは、そもそも平面じゃなかったということ。
話し合う中で、絵という形にこだわりはない、という話はしていたけど、あるとしたらトリックアート的な感じで、立体的に見えたり場所によっては違った見せ方ができる、みたいなものが来るかもな、というような予想はしていました。いずれにしても平面だろうなというなんとなくの印象。

ですが、来たのは「宇宙や海を想像させる複雑な碧の上に白い棒が3本並んでいる」という、言葉にすると非常に謎いアートでした。

(Photo by "hrkart")

白い棒は立体的で、真正面は白いけど、右側は黄色い蛍光色、左側はピンクの蛍光色で塗られている。見る場所によってその黄色とピンクが反射したり、地の絵の複雑な碧の色と混ざって様々な色合いに変化する。そんなアートでした。(はるかちゃんインスタより)

(右から、黄色い)

(左から、ピンク)

とにかく「そのままでも綺麗な碧色の絵の上に白い棒が3本乗っている」ということのインパクトと不思議さで、しばらくずっとそれを見入ってしまいました。なんで白い棒が3本乗っているんだろう、みたいなことをずっと考えてた。。。笑

でも、不思議なことに見れば見るほどにどんどん愛着みたいなものが湧いてくる。これは不思議で、その白い部分に余白があるように感じられてくるのです。色々な場所から眺めることで、それぞれに色合いが変わってくるんだけど、白い部分は余白としてずっと存在している。ということに引き込まれていく、なんとも不思議な体験。言葉にするのは得意な方だと思うけど、それでもどう表現してよいかわからない感じ。

(複雑だなぁ、と思っている図)

思ったこと

そしてもう一つ、この絵を見ながら思ったことがあります。

それは、実際の生のものを見て感じ取るのと写真を通じて知ることには違いがあるということ。

「インスタ映え」という言葉の通り、SNSでたくさんの写真が投稿される。そのため、その写真を通じて色々な情報を知ることもできるし、疑似体験できるようになった。僕自身、モノクロ写真だけのインスタアカウントを持っているけど、写真を撮ることは好きだし、楽しい。

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でもこの絵の写真、実際に写真を撮ってみると驚くほど「写真映えしない」んですよね。実物はめちゃめちゃ存在感があるのに、もうどう撮っても、良さを伝えるのが難しい。「青い色のなにかに白い棒が乗っかってる」という、その言葉通りのことをそのまま表現したようなことしか伝えられない。

(いろいろしてみるものの...)

これまで、素人なりにiPhoneとか小型カメラでもそれなりによく撮る自信はあったんですが、こればっかりはもうどうにもならない。それもまた不思議な体験でした。もちろん作った段階でそうなることを想定して作られたわけではないけど、はるかちゃんとも話していて、「こんなに実物と写真が違って見えちゃって、インスタ映えしないのも面白いよね」という話をした。

と同時に、この絵を眺めていて「2次情報じゃなく、自分で1次情報を取りに行かなきゃダメだな」と思うようになりました。世の中に出ているものを情報として得ていくだけでなく、自分の目で見て体験することが大事だよな、という原点のようなものに立ち返るようになった。(5月が少し社交的になったのもこのせいかもしれない。笑)

というわけで、この絵を見て、色々なことを感じるきっかけをもらったのと、今でも毎日眺めて、そういうことを再確認したり、何かを考えるきっかけをもらっている。自分を見つめる写し鏡のような役割になっているのかもしれません。

というお話でした。

誰にも彼にもおススメするような話じゃないですが、なにか新しいきっかけをもらえるかもしれませんよ。(もちろん、オーダーしたい、といった要望があればおつなぎします)

(贈呈の図。期待に胸も腹も膨らみすぎている)

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