見出し画像

【平家物語】巻01_12 鹿谷


殿下乗合の騒動のあおりで一旦止まっていた高倉帝の元服はその後無事に執り行われ、女御として清盛の娘・徳子が入内した(1171年)。
その頃(1175年)、内大臣兼左大将の藤原師長が太政大臣に昇進するにあたり、大将を辞すということがあった。
この後任を希望する者は多く、後白河院の寵臣・藤原成親もその一人だった。しかし、成親の常軌を逸した熱心な祈祷も実らず、結局左大将の座には、右大将・平重盛が就き、右大将はその弟・宗盛に譲られることになった。
成親は重盛の小松家とは縁浅からぬ間柄であったが、この件をきっかけに、平家への恨みを増すこととなる。
成親とともに平家打倒の企みに乗ったのは、俊寛僧都、西光法師らと、多田行綱ら北面の武士たちであった。
東山の麓・鹿ケ谷の山荘に集う彼ら。そこには後白河院も同席していた。院も陰謀に加わっていたのだ。
しかし彼らの企みはなかなか具体性を帯びず、瓶子(ヘイジ)を転がしては「ヘイシが転がった」「ヘイシの首をとった」と騒いでいるような有様であった。

この章段、定番で描くならもちろん、「ヘイシの首をとったー!」の鹿ケ谷山荘でのバカ騒ぎなのですが、それは以前にギャグ漫画で描いちゃったし、どうせなら私が好きな場面を描いちゃえーというわけで、懲りない成親の祈祷三昧を描いてしまいました。
この祈祷、漫画では説明しきれませんでしたが、

  1. 岩清水八幡宮に僧侶を100人呼んで、祈祷。男山から飛んできた鳩が3匹、共食いして死ぬ。「天下に騒動が起きる前兆。臣下の慎みが必要。」と占いの結果が出るが、成親、めげない。

  2. 中御門烏丸の屋敷から上賀茂神社まで、七夜参り。「桜は散るさだめ。あきらめな。(意訳)」というお告げを夢に見る。でもめげない。

  3. 上賀茂神社の大木の洞で、ダキニの法を行わせる。大木に落雷、出火。でもめげない。

この頑張り屋さんぶりときたら。かけた費用と時間と情熱を何か別のことに生かせたら、大成できただろうに……。
さて。3.に出てきた「ダキニの法」ですが、平家物語では「外法」つまり邪教の法だと評価されてます。そんな術法にまで頼っているところに、成親の権力への異常な執着があると。
藤原忠実(頼長のお父さん)が関白職祈願で行ったという話もあるので(こっちは成功)、わりと当時はウラワザ的にこっそりやってたんじゃないかな?という気もするのでした。
忠実の話は、「関白職を祈願してたら、美女の夢を見た。美女を捕まえようとして髪の毛をむんずと掴んだところで目が覚めたんだけど、手には狐の尻尾が残ってた。掴んだのがよかったのか、その後関白になれた。」という話です。ダキニの使者がキツネなんですよ。

それよりなにより、私は「目の前で山から来たハトさんが共食い」のほうが怖いけど。師長辞任は3月。もう冬も終わるかなって頃ですが、山のご飯が足りてなかったのかな。