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【平家物語】巻01_07 二代后


この時期、平家の横暴だけではなく、皇室内も不穏な情勢にあった。
二条帝は父・後白河院の院政に対してかねてから反発していたが、その父院の制止を無視し、故近衛院(二条帝の叔父)の后であった藤原多子(まさるこ)を見初め、強引に自らの後宮に入れたのだ。
ひとりの女性が二代の帝王の后となるという、前代未聞の状況が起こった。
亡き近衛院をしのび、ひっそりと暮らしていた多子は、「こんな目に遭うなら、近衛院と死別したとき、一緒に死んでしまうか出家するかすればよかった」と嘆くが、父大臣に説得され、泣く泣く入内する。
再び暮らすこととなった宮中では、かつて近衛院が幼少のころに障子に描いた落書きを見つけ、亡夫との幸福な日々を思い、涙した。
その後の多子は、二条帝に政治に励むことをひたすら勧めていたという。

多子さま受難編。
彼女は、保元の乱で藤原氏の氏長者の座を争い敗れた、藤原頼長の養女です。この再入内の時点でまだ20歳ほど。
10歳ほどのとき、同じくまだ11歳の鳥羽院の子・近衛帝(母親は美福門院)に入内しますが、前述のとおり養父・頼長は、彼の兄である忠通との権力抗争真っただ中。忠通が直後に自分の娘を入内させ、その後近衛帝と頼長の関係悪化などもあり、多子はどんどん遠ざけられてしまいます。
…という状況を踏まえてみると、このシーンも見えてくる景色が変わりますよね。
おそらく、彼女が落書きを見つけて想像した幼い近衛帝は、彼女が大切にしている思い出の中の、いちばん仲良く過ごした頃の近衛帝なのです。
多子はいま再び誰かの対立の舞台に引き出され、何もわからず入内したころの思い出を目の前につきつけられる。
彼女のかなしみはいかばかりでしょうか。
そんなイメージもあって、ちょっとアンニュイな感じの美女にさせてもらいました。私の好みの問題です(笑)。

さて。この方、これきりの登場かと思いきや、実はのちにまた登場します。

こうして無理矢理入内させられた多子は、この5年後にまたしても夫・二条帝に先立たれちゃうのです。再登場時には、彼女が福原遷都に加わらず、京に残ってひっそり暮らしている様子が語られます。そんな彼女の没年は1202年。なかなかの長生きだったりします。

さて。「祇王」「二代后」と女性が主役の回が続きましたが、この後しばらくはひたすらお坊さん大暴れです。黒髪ともしばしのお別れ……。