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死にたい気持ちで一人、金沢に行ったら。

あのとき、ひどく絶望していた、ということだけは覚えている。
一年前のちょうどこの時期、人生の行き場を失って、私は唐突に金沢行きの新幹線に乗った。理由はこじつけで「祖母のルーツだという、古い屋敷を見に行く」ということにしていたが、要は気分を変えたかっただけである。

武家屋敷や庭園、美術館、神社、古本屋、市場、レストラン...あらゆるところをランダムに回った。博物館で天保4年の生花作法書を見つけて「この巻物ほしい!」と一人、陳列ケースに張り付いたりもした。すべてが美しく散策するのは楽しかったが、加賀地方の秋がこんなに冷えることを私は知らなかった。いろんな意味で、心がすうすうする。ボアフリースがほしい、今すぐ。

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宿泊は安いゲストハウスをとった。シャワーやトイレはもちろん共有で、タオルやアメニティもない。アンティークの壁掛け時計や世界地図、ポール・マッカートニーの写真などが壁に飾られており、ヒジャブを被った女性たちが共有スペースで謎の料理を自炊していた。若いスタッフがデタラメな英語でIHコンロの説明をしているのが聞こえる。

リビングルームでこれまでの宿泊者が残したノートを見ていると、いろんな言語で多くのメッセージがたくさん残されていた。

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「25年間続けて仕事を退職しました。"もったいない"、"なぜ、やめるの"、"残念"と言われて、その度にマイナスな気持ちになったけれど、ここに来ていろいろな人生を歩んでさまざまな考え方の人と出会えてちょっと違う言葉をかけてもらった」

「私がオトナになったのか、あなたがコドモになったのか、またその逆なのか、そんな事はどうでも…私は今タビをしている。素晴らしいタビを」

「ボクたちは祝福されない存在になってしまったみたいだ。何故堂々としていることが許されないのか」

「SMAPの解散はざんねんです。岡田准一の結婚はざんねんです。しかし私は立ち上がる。出会いを求めてどこまでも走り続ける。イギリスまでもフランスまでも…。フランスといえばフランスパン!フランスパンと福沢諭吉。また今度来ます」

楽しそうな観光旅行の感想にまぎれて、そんなワケありな自分語りが並んでいる。一番最後のよく分からないジャニオタさんでさえ、友達になれそうな気がした。

仕事や恋愛といったさまざまな人生の岐路で、みんな旅をしている。いろんな場所から来て、それぞれの場所へまた帰っていく。なんだかなつかしい感覚だった。

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知らない街の地図を手に入れ、ミネラルウオーターを確保して、最小限の荷物で最大限に楽しむことを、私はいつまで続けられるんだろう? これからも向こう見ずでいられたらいいな、とノートを見ながら漠然と思った。

こういう種類の冒険は、なにかを突破したいときの一番の方法だ。視野を広げ、価値観を塗り替える。自分を一旦解放して、また人生に立ち向かう。

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最終日、チェックアウトしようと思ったらフロントに誰もおらず、仕方なくリビングで紅茶を淹れながら待った。しばらくしてゴミ袋を持ったスタッフが戻ってきたので、
「あの…チェックアウトしようと思ったんですがご不在でしたので、バスケットに鍵を入れておきました」
と伝えると
「それで大丈夫。ありがとうございました。気をつけてね、バイバーイ!」
と簡単に言われて、あっけにとられた。

ぜんぜん知らない女の子に「バイバイ」とか言われるの、久しぶりだなあ。
こういうの好きだ。
こういうの大事。
なんだか笑ってしまう。私はなにをそんなに深刻ぶっていたのか。軽やかであるということは、なんて素敵なんだろう。

私もその子に手を振って別れた。10代のパックパッカーのような気持ちで、清々しく、自由に。
また変な旅をしよう。そう決意しながら。

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