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「花屋日記」29. 絶望の秋とコスモス。

 今日は暗い表情をした女性が一人、何度も店の中をぐるぐる回っては商品を手にとったり戻したりしていた。やがて不安そうな声でこう尋ねられた。
「…あの、花を飾ろうかと思うんですけど、何がいいのか分からなくて…」
「ご用途をお伺いしてもよろしいですか?」
 私はエプロンのポケットからオーダーシートを取り出してそうお聞きした。
「えっと、身体障害者の家族がいて、昔は花が好きな人だったから…」
 私はその時点で、接客用の笑顔をひっこめた。
自分がかつて介護していたときのことを思い出したのだ。疲労や絶望、汚物の匂い、世の中から取り残されていく焦り、誰にも明かせない気持ち、哀しい予感。そういった日々を。

「どんなお花がいいでしょうね。お家に花瓶はおありですか?」
「ユリやバラはダメだと医者に言われているんです。花瓶は、コップみたいなものしか…」
「小さな花瓶も素敵ですよ。窓の近くやサイドテーブルなどにも飾れますから」
 私は棚に置いてある商品を指差した。センニチコウやスカビオサといった花が、手の平におさまるほどの小さな花瓶に活けてある。するとその方が、そのうちの一つを見てこうおっしゃった。
「あの、これは売ってもらえないですか?」
それは小ぶりのコスモスを、蕾のものとあわせて活けたものだった。

「申し訳ありません、こちらはディスプレイ用で、こんなに短く切ってしまっているんです。蕾のほうも、もしかしたら開かないかもしれません。もしよろしければ新しいものをあちらにご用意してございますが…」
 私は入荷したばかりのコスモスを指差した。花顔もずっと大きい立派なものだ。
「あ、でもこれくらいがいいんです。もう物が溢れかえってて、部屋の中に置くところもないし。なんだか時が止まってしまったみたいで、なにも変化がなくて。でもコスモスだったら秋だって分かってもらえるから…」
 私はこの方が背負われているものを想像して、胸が苦しくなった。きっと大変な、大変な状況にいらっしゃるのだ。

 そして少し考えてから、こうご提案した。
「かしこまりました。申し訳ないのですが立場上、お譲りするということができませんので、もし百円で了承していただけるのであれば、特別にこの2本をお包みさせていただきますが…」
「本当ですか?じゃあそれでお願いします」

 私はその小さなコスモスをありったけの気持ちを込めて、丁寧にお包みした。
そのご家族が少しでも元気になられるように、この方に心穏やかな日々が戻ってくるように。
「お花、楽しんでもらえるといいですね。またよかったら気分転換にいらしてください」
「はい、母も喜ぶと思います」

 障害をお持ちなのはお母様なのか。こんな日は、「笑顔で接客」というわけにはいかない。手の中に残った一枚の百円玉の重さを、私はしばらく何度も確かめた。そしてもしかしたら今日、あの方が初めて会話した他人が私かもしれない、とも思った。

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