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花屋日記 そして回帰する僕ら

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ファッション女豹から、地元の花屋のお姉さんへ。その転職体験記を公開しています。
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#花のある暮らし

*お知らせ 「花屋日記」コラボレーション

月舞 海玖さんという、声の活動をしていらっしゃる方が「花屋日記」を朗読して下さいました。活字とはまた違った、優しくて人間らしい素敵なドラマになっていますので、ぜひ皆様も聴いてみてください。 ...ちなみに切島カイリは、学生時代に放送コンテストのアナウンス部門に出場して予選落ちした過去があります(笑)

「花屋日記」38.「告白男子」来たる。

 若い男性がブーケを求めて、連日うちの店に通ってこられていた。大学生だろうか、サンプル写真の載ったアルバムを何度も見て、花の入荷日を尋ねられる。そして女性に贈るための花の種類や、花言葉を何度も確認されていた。  通常、男性はそれほどこだわられないので、ピンク系のラウンドブーケなどにされることが多いけれど、この方は「ちゃんと意味のあるものにしたい」と熱く主張された。 「告白をしたいんです」  ソフトな佇まいのなか、その言葉は凛と響いた。    まだ付き合っていないお相手に贈る花

「花屋日記」37. その目に映る最後の光景は。

 敏腕エディターだったスガさんは、亡くなる前に長い休暇をとり、単身インドに行かれたらしい。病気のことを知らされていなかった周囲は、てっきり「バケーション」だと思っていたらしく、それが彼女にとって何かしらの意味を持つ覚悟の旅だったというのは、後から分かったことだ。  インドという地を選んだ理由は分からないし、彼女がそこで何を見たのかも私は知らない。でもご自身の余命を知ったとき、スガさんがそんな遠い異国まで一人で旅しようと決心されたことが、彼女らしく、かっこいいと思えた。 「お

「花屋日記」36. 一流デザイナーは、その時こう言った。

 好きなことを仕事にしているとオン・オフの区別があまりない。私は相変わらず休日でも、花のレッスンを受けたり、他の花屋を見に行ったりしていた。その日ひさしぶりに訪れたのは、ある有名なフラワーデザイナーのデモンストレーション。ホテルで開催されるイベントなので、まるで大御所シンガーのディナーショーのような雰囲気だ(もちろんそれなりのお値段がするので、特別に興味のあるときしか、こういった催しには参加できない)。  イベントの最後には、本人が作ったばかりの作品を抽選でもらえるのが「お

「花屋日記」34. 女30、この先どうする?

 花屋のカレンダーはわりと極端だ。春は雛祭りや入学、送別、母の日とイベントが続き、秋は十五夜や敬老の日、ハロウィン(そう、私たちはカボチャも売る)、いい夫婦の日などがある。冬はクリスマスやお正月、バレンタインなどがあって、店はノンストップで稼働する。そしてフラワーバレンタイン(男性から女性へ花を捧げる西欧式のバレンタイン)やミモザの日(国際女性デー)といったイベントも、まだ日本でそれほど浸透していないとはいえ、それなりに花が売れるのだった。問題は「夏をどう乗り越えるか」なので

「花屋日記」32. 誕生日のあの子って。

 女性客がお一人、2つのミニブーケを持って店の中をうろうろされている。何かを迷っておられるようだ。両方を見比べては、一つをもとに戻してみたり、やっぱり手にとってみたり。 「お伺いいたしましょうか?」 とカウンターから声をかけると、彼女をその2つを掲げてこうおっしゃった。 「あの、どちらがいいのかもう分からなくなってしまって。どっちがいいでしょう?」  一つは紫のスイトピーとスカビオサが入ったシックなもの。もう一つは淡いピンクのスカビオサに姫リンゴが添えられたキュートなものだっ

「花屋日記」31. 「15本のバラ」の秘策。

「いえ、ちょっとね…妻と喧嘩したんですわ」  私がブーケのご用途をお尋ねすると、その方はバツの悪そうな顔で首元を掻きながらおっしゃった。スーツをお召しになった40代くらいの男性だ。 「あら、それは大変ですね」 「僕が悪いだけじゃないんですけど、でも僕が謝ったほうがいいんでしょうねえ…」 原因が何だか分からないので、返答が難しい。 「旦那様から謝ってもらったら、きっと奥様は嬉しいでしょうね」 私は言葉を選びながら相槌をうった。 「うん、いつもそうなんです。そのほうが結局うまく

「花屋日記」30. それはすでに情熱と呼ばれるもの。

 6歳くらいの男の子がうれしそうに店に駆け込んできた途端、 「なにしてるのよ、やめなさい!」 と母親の叱る声が聞こえた。しかし少年は気にもとめず、ブーケひとつひとつに見入り、棚の上の観葉植物も興味津々に観察しては「サボテンだ!」と歓喜の声をあげたりしている。こんなテンションの高いお客様のご来店は久しぶりだ。  やがて「これがほしい」と少年が言うのが聞こえた。 「なんでよ、出来合いのブーケじゃだめなの?」 「このお花がいいんだよ」 少年が迷わず指差したのは「オールフォーラブ」

「花屋日記」29. 絶望の秋とコスモス。

 今日は暗い表情をした女性が一人、何度も店の中をぐるぐる回っては商品を手にとったり戻したりしていた。やがて不安そうな声でこう尋ねられた。 「…あの、花を飾ろうかと思うんですけど、何がいいのか分からなくて…」 「ご用途をお伺いしてもよろしいですか?」  私はエプロンのポケットからオーダーシートを取り出してそうお聞きした。 「えっと、身体障害者の家族がいて、昔は花が好きな人だったから…」  私はその時点で、接客用の笑顔をひっこめた。 自分がかつて介護していたときのことを思い出した

「花屋日記」28. なにもない日なんて、ない。

 午後、カウンターに作りかけのアレンジメントを置いたまま、他のお客様の対応をしていた。すると一人の老紳士が現れて、その場でじっと待っておられた。 「お待たせしてすみません、お伺いいたしましょうか?」 と、接客を終えてすぐにお声がけすると 「結婚記念日なんだけどね、今日。花を買って帰ろうと思ったら、それがとても素敵だったから…」 と言ってそのアレンジメントを指差された。 「こちらですか。ありがとうございます。『ドラマティックレイン』というバラを使ったものです。すぐに仕上げますか

「花屋日記」21. 消えない「消えもの」。

 花屋になると、いわゆる社員割のようなものが使える。知り合いに花を贈るときなどに、少しだけ値引きがきくのだ。私はそれを利用して、今までより頻繁に誰かに花をプレゼントするようになった。それまではお祝いやお弔いでしか花を注文することはなかったが、今はもっとパーソナルな贈り物もできる。理由なんてなくても「いい花が入ったから見せたくて」と配送することさえあった。  ある日、私は以前習いごとを通じて知り合った、ある高齢の知り合いに花を贈った。毅然として生きている彼女は、私から見ると「

「花屋日記」20. 「いつ結婚するの?」問題。

 今日は、ブライダルブーケをお届けに小さなチャペルを訪れた。ご両親へのブーケもふくめて紙袋3袋分。こういう仕事は最高だ。  私が勤めている花屋は車での配達を受けていないので、宅配か、歩いていける範囲のロケーションにしかお届けをしない。なのでほとんどの配達先は店舗の近くにあるホールやギャラリー、結婚式場といった場所になる。華やかな場所で気分が盛り上がるのはもちろんのこと、実際に私たちの花がどんな人のもとへ届けられるのか、自分の目で確かめられるのは嬉しいことだった。  花は見かけ

「花屋日記」19. ロマンスグレーのひとの正体。

 私の勤務する花屋は商業施設の中にあり、全体を取りしきるセキュリティチームがいる。毎朝、搬入口で挨拶を交わすが、それ以外ではお客様の落し物や忘れ物を届ける際に少し話すだけの関係だ。店のスタッフの間では便宜上、それぞれ「安倍首相みたいなひと」「メガネのひと」など、勝手なあだ名がつけられていた。  でもある日を境に、その中で「ロマンスグレーのひと」呼ばれていた人が「モトヤさん」と呼ばれるようになった。彼が休憩時間に店で花を注文してくださり、お名前が判明したからである。  モトヤ

「花屋日記」18. 男性と花束のリアル。

 女性に花を贈る男性、とくに日本人の場合、私はなかなかそのイメージを描けなかった。お金持ちでキザな人? 女の子の扱いに長けているプレイボーイ? 漠然と、そんなふうに思っていた気がする。男性が日常生活のなかで女性に花を贈るシーンなんて、映画でしか見たことがない(もちろん自分も花なんてもらったことがないし)。  しかしある日、私はついにそのリアルな場面に遭遇した。夜遅く訪れた若い男性のお客様が、4年目の記念に恋人へブーケを渡したいとおっしゃったのだ。アクセサリーと一緒に渡すのだ