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花屋日記 そして回帰する僕ら

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ファッション女豹から、地元の花屋のお姉さんへ。その転職体験記を公開しています。
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2018年12月の記事一覧

「花屋日記」41. 祈りの形をした花たち。

 人は何万年も前から、死者に対して花を手向けてきたと言われている。それには宗教的・民族的な意味もあれば、「再生の象徴」としてだとか、遺体の腐敗を防ぐ薬効のためだったとか、いろんな謂れがあるらしい。なんであれ死者を悼む気持ちを表すのにこれだけ適したものはないと思うし、美しい花に囲まれた状態で故人を送り出したいというのは、残された人たちにとっての最後の愛情表現なんだと思う。  そういえば臨死体験をした私の祖父も「あちらでは、見たことのないような美しい花畑が広がっていた」と私に教

「花屋日記」40. そして運命を見守る者は。

 やがてパトカーが到着した。 警察の方が調べてくださったところ、おじいさんは何駅も先の病院から、何キロも徘徊していた人だということが分かった。おそらく認知症なのだろう。 「怪我もしているし、病院に送り届けます」 ということになり、おじいさんはパトカーに乗せられた。不安そうな表情のおじいさんに 「大丈夫ですよ、怪我の手当てをしてもらうためですから。また元気になったらお会いしましょうね!」 と言ったら、痩せた右手を上げて「ありがとうね」と微笑んでくれた。私たちはそれを見て、やっと

「花屋日記」39. 見知らぬ老人とサラ・ベルナール。

 その日、私は芍薬を使ったアレンジメントの研修を受けていた。まだ蕾のものもあるので、開花したときのことも想像しながら構図を考えなくてはならない。品種は「サラ・ベルナール」。フランスの伝説的女優の名を持つ、豪華な花だ。サブの花材には、姫水木やピンクのスモークツリー、ナルコなどを合わせた。  フラワーアレンジメントというものは、生きた彫刻のようだと思う。完成形はない。枯れたり萎れたりすることも含めて、最後までそれは美しい変化であり、命の輝きだから。  私たちスタッフは、普段か

*お知らせ 「花屋日記」コラボレーション

月舞 海玖さんという、声の活動をしていらっしゃる方が「花屋日記」を朗読して下さいました。活字とはまた違った、優しくて人間らしい素敵なドラマになっていますので、ぜひ皆様も聴いてみてください。 ...ちなみに切島カイリは、学生時代に放送コンテストのアナウンス部門に出場して予選落ちした過去があります(笑)

「花屋日記」38.「告白男子」来たる。

 若い男性がブーケを求めて、連日うちの店に通ってこられていた。大学生だろうか、サンプル写真の載ったアルバムを何度も見て、花の入荷日を尋ねられる。そして女性に贈るための花の種類や、花言葉を何度も確認されていた。  通常、男性はそれほどこだわられないので、ピンク系のラウンドブーケなどにされることが多いけれど、この方は「ちゃんと意味のあるものにしたい」と熱く主張された。 「告白をしたいんです」  ソフトな佇まいのなか、その言葉は凛と響いた。    まだ付き合っていないお相手に贈る花

「花屋日記」37. その目に映る最後の光景は。

 敏腕エディターだったスガさんは、亡くなる前に長い休暇をとり、単身インドに行かれたらしい。病気のことを知らされていなかった周囲は、てっきり「バケーション」だと思っていたらしく、それが彼女にとって何かしらの意味を持つ覚悟の旅だったというのは、後から分かったことだ。  インドという地を選んだ理由は分からないし、彼女がそこで何を見たのかも私は知らない。でもご自身の余命を知ったとき、スガさんがそんな遠い異国まで一人で旅しようと決心されたことが、彼女らしく、かっこいいと思えた。 「お

「花屋日記」36. 一流デザイナーは、その時こう言った。

 好きなことを仕事にしているとオン・オフの区別があまりない。私は相変わらず休日でも、花のレッスンを受けたり、他の花屋を見に行ったりしていた。その日ひさしぶりに訪れたのは、ある有名なフラワーデザイナーのデモンストレーション。ホテルで開催されるイベントなので、まるで大御所シンガーのディナーショーのような雰囲気だ(もちろんそれなりのお値段がするので、特別に興味のあるときしか、こういった催しには参加できない)。  イベントの最後には、本人が作ったばかりの作品を抽選でもらえるのが「お

「花屋日記」35. 天に向かって放て。

 鬱が脳の病気だということは、どれくらい世間に知られていることなのだろう? 私は自律神経の影響で2年近く、まったく読み書きができなかった。新聞を読んだり小説を読んだりしても、とにかく言葉が私の脳にとどまらず、一行を読んでも次の行を読むときには前の行の記憶が飛んでしまう。頭の中にもいつも靄がかかったようで、私は自分の思考さえ捕まえることができなかった。  これまで文章を書くというアウトプットを自分の表現活動の軸にしていた身としては、それは現実的に死にたいくらいショックなことだっ

「花屋日記」34. 女30、この先どうする?

 花屋のカレンダーはわりと極端だ。春は雛祭りや入学、送別、母の日とイベントが続き、秋は十五夜や敬老の日、ハロウィン(そう、私たちはカボチャも売る)、いい夫婦の日などがある。冬はクリスマスやお正月、バレンタインなどがあって、店はノンストップで稼働する。そしてフラワーバレンタイン(男性から女性へ花を捧げる西欧式のバレンタイン)やミモザの日(国際女性デー)といったイベントも、まだ日本でそれほど浸透していないとはいえ、それなりに花が売れるのだった。問題は「夏をどう乗り越えるか」なので

「花屋日記」33.「愛」の単位になればいい。

「おねえさん、質問。女の子に花あげるんやったらどんなのがええの?」  ある日、ふらっと店に来られた男性にそんなことを尋ねられた。カジュアルな口調ながら、目はどこか真剣だった。適当には答えられない気がして、私は詳しくお尋ねした。 「お誕生日プレゼントですか?」 「いや、なんちゅうかな、彼女の玄関に花があったらええな、と思たんよ。あ、僕の彼女ちゃうんやけどね」 男性は慌てたように、そう付け加えられる。 
「そうですね、普段からお花を飾ったりされる方でしょうか?」
 「ないない、

「花屋日記」32. 誕生日のあの子って。

 女性客がお一人、2つのミニブーケを持って店の中をうろうろされている。何かを迷っておられるようだ。両方を見比べては、一つをもとに戻してみたり、やっぱり手にとってみたり。 「お伺いいたしましょうか?」 とカウンターから声をかけると、彼女をその2つを掲げてこうおっしゃった。 「あの、どちらがいいのかもう分からなくなってしまって。どっちがいいでしょう?」  一つは紫のスイトピーとスカビオサが入ったシックなもの。もう一つは淡いピンクのスカビオサに姫リンゴが添えられたキュートなものだっ

「花屋日記」31. 「15本のバラ」の秘策。

「いえ、ちょっとね…妻と喧嘩したんですわ」  私がブーケのご用途をお尋ねすると、その方はバツの悪そうな顔で首元を掻きながらおっしゃった。スーツをお召しになった40代くらいの男性だ。 「あら、それは大変ですね」 「僕が悪いだけじゃないんですけど、でも僕が謝ったほうがいいんでしょうねえ…」 原因が何だか分からないので、返答が難しい。 「旦那様から謝ってもらったら、きっと奥様は嬉しいでしょうね」 私は言葉を選びながら相槌をうった。 「うん、いつもそうなんです。そのほうが結局うまく

「花屋日記」30. それはすでに情熱と呼ばれるもの。

 6歳くらいの男の子がうれしそうに店に駆け込んできた途端、 「なにしてるのよ、やめなさい!」 と母親の叱る声が聞こえた。しかし少年は気にもとめず、ブーケひとつひとつに見入り、棚の上の観葉植物も興味津々に観察しては「サボテンだ!」と歓喜の声をあげたりしている。こんなテンションの高いお客様のご来店は久しぶりだ。  やがて「これがほしい」と少年が言うのが聞こえた。 「なんでよ、出来合いのブーケじゃだめなの?」 「このお花がいいんだよ」 少年が迷わず指差したのは「オールフォーラブ」

「花屋日記」29. 絶望の秋とコスモス。

 今日は暗い表情をした女性が一人、何度も店の中をぐるぐる回っては商品を手にとったり戻したりしていた。やがて不安そうな声でこう尋ねられた。 「…あの、花を飾ろうかと思うんですけど、何がいいのか分からなくて…」 「ご用途をお伺いしてもよろしいですか?」  私はエプロンのポケットからオーダーシートを取り出してそうお聞きした。 「えっと、身体障害者の家族がいて、昔は花が好きな人だったから…」  私はその時点で、接客用の笑顔をひっこめた。 自分がかつて介護していたときのことを思い出した