『デュシャンの向こうに日本が見える』を見に行ってきた

行ったので感想を書いておきます。

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《泉》と彼がめざしたもの

マルセル・デュシャンといえば、1917年に発表された《泉》という、男性用小便器を台座の上にポンと置いただけの作品がとても有名ですね。逆にいうと、私のような美術史専攻でも何でもない人間からすると、それ以外の印象がほとんどないアーティストでもあります。この展覧会に行くまでの私自身の理解もその程度でした。

しかしデュシャンはという人はあまりにも多彩でした。デュシャンは印象派やキュビズムから影響を受けて、それらに関連するいくつかの作品を残していました。さらに、晩年になると言葉遊びに精を出したり、雑誌のデザインを行ったりなどほんとうに活躍した幅は広いです。そういったデュシャンの側面は意外と日本では知られていないように思われます。

デュシャンのおおよその生涯の目標は「芸術そのものの見直し」にあったと感じました。とくに問い直したかったのが「なぜ美しくあらねばならないのか」「なぜオリジナルでなければならないのか」というふたつでした。そしてこのふたつの問いは、芸術を支える根源的な問いです。

デュシャンの《泉》は、このふたつの問いに対する解答のひとつだったと思います。男性用小便器をポンと乗せただけの展示には、正直美しさはありません。また、その小便器は他の建物におそらく設置されているであろうもので、苦労して時間をかけて作った大作などではなく、レディメイド (既製品) を使ったある種のお手軽アートでした。

ただし、ただのお手軽アートではありませんでした。ウケ狙いだったわけでもありません。真剣でした。今回の展覧会では次のような解説が《泉》の横につけられていました。

デュシャンは、ニューヨークで芸術家が運営するモダンアートのフォーラム「独立芸術家協会」の設立を援助した。彼は、そのグループの精神が民主的で多様性を受け入れるものであるかを試すため、1917年の最初の展覧会に、普通の男性小便器を提出した。作品には、ユーモラスな《泉》というタイトルを付け、デュシャンの名を隠すために架空の芸術家であるR・マットと署名した。

なるほどそういう意図だったのかと思いました。わざと出して様子を見たんですね。策士です。解説の続きを読んでみましょう。

運営委員会が規約違反であるとして《泉》の展示を禁止する票決に達すると、デュシャンはそれに講義して役職を辞任した。

ちなみに委員会にはデュシャンが出品者であるというのはバレていなかったようです。その後作品は展示されることもありませんでしたが、後に雑誌にて《泉》の写真とともに「マット氏は〜」という主語を使いながら以下のように言及しました。

マット氏が自分の手で『泉』を制作したかどうかは重要ではない。彼はそれを選んだのだ。彼は日用品を選び、それを新しい主題と観点のもと、その有用性が消失するようにした。そのオブジェについての新しい思考を創造したのだ -- Wikipedia

レディメイドによる展示は明らかにこれまでの芸術の価値を解体しました。芸術から「自身の手で苦労して作り上げるものこそ価値がある」という要素を消失させたのでした。つまり、芸術における「唯一性」の解体です。この点について掘り下げていきましょう。

《唯一》が解体される時代

デュシャンの生きた時代は第一次世界大戦や第二次世界大戦が起きた戦争の多い時代でした。その時代に代表される思想家といえば、ハイデガーやレヴィ=ストロースが思いあたり、展覧会中にも、私には《唯一》の解体に果敢に挑んでいるように思えたのでメモしておきます。《唯一》とは、主体や権威や拠り所などといった方面の意味合いです。

とくに彼の生きた時代には、現象学や構造主義の登場によって、これまでスタンダードとされていたものが、主体の平坦化や別の文化とのかかわりあいによって相対化されていきました。つまり、《非唯一化》が起きた時代でした。

現象学の方面では、フッサールは間主観性という用語を投入することによって主体の存在根拠の薄さを示しました。彼の意思を継いだハイデガーは、さまざまな用語を投入することによって、いよいよ《非唯一化》を強くしていきました。

構造主義の方面では――デュシャンにとっては人生の後半だったかもしれませんが――レヴィ=ストロースによって、人間の主体性は構造に基底されると示し、主体という権威の解体が行われました。

これまで信じていたものを「意外とそれが正しくないかもしれない」「意外とそれだけではないかもしれない」として《唯一》を解体していく作業が行われたのが、まさにデュシャンの生きた時代だったように思います。デュシャンは若いころからすでに芸術の《唯一》の怪しさに気づいていました。なので、実際に行動に移してみたのです。

さらにデュシャンがすばらしいところは、そういった拠り所の解体にとどまらなかったことです。雑誌の取材に答えるなどし、解体後の新しい次の価値観をもう一度考えてみようと、鑑賞者たちに考えさせてくれたところが非常にすばらしいです。「作品は、作者が半分、鑑賞者が半分」だと彼は言いました。これは《唯一》の解体だなと思います。

現代アートは「考えるアート」だと言われます。解説抜きではなかなかわかりにく作品が多いです。しかし、解説を見ながら、そのアーティストが何を問いかけたいかを理解し、その問いかける内容に関して考えて見るところに、現代アートのおもしろさがあるなと今回の展覧会を通じて考えました。

日本美術展と併設されたことに関しては、それなりに賛否両論あるようですね。ただ、なぜ、キュレータが日本美術を同時に置こうと思ったのか、その意図をたどることこそまさに現代アートであり、あの展覧会そのものも実は現代アートであったのだ、と考えてみると少しはおもしろくなるかもしれませんね。なんでもありといえば、なんでもありなんですが。

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