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男鹿とハンバーガーと海外と。「小さく」始める一歩で広がる「世界」~IIBC Cafe Globe #16 大橋修吾さん

2月10日は第11回目のIIBC Cafe Globeでした。
(交通事故に遭って手術→入院→リハビリなどがあって更新が遅れました💦)

Cafe Globeを開店することに至った背景はこちら

今回のゲスト

今回のゲストは大橋 修吾さん。写真では右端の黒Tシャツの方です。

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静岡県出身、27歳。幼少期にアメリカで6年を過ごす。国際教養大学への進学を機に秋田県へ、アメリカのリベラルアーツカレッジへ交換留学。社会起業論を中心に学ぶ。就職活動中、大企業で働く自分を明確にイメージできず、高校生対象のサマースクール運営を通じ知り合った宮城県女川町のNPOの代表に相談。地方でのキャリアを体験するため、移住支援や起業支援に携わるインターンを行った。この経験を機にローカルでの働きがいを感じ、大学のあった秋田県で就職先を探し、男鹿市観光課の地域おこし協力隊に着任、自転車ツーリズム促進や日英翻訳を担う。現在はフリーランスの翻訳家をしながら、カフェでキッチンスタッフ担当。2021年秋にハンバーガーのフードトラック(移動販売車)開業予定。食や地域でのキャリア形成を通じ、次世代の多様性や可能性を広げたい。

修吾と私

修吾のプロフィールにもある「高校生対象のサマースクール」、「HLAB」の運営で最初は東京のサマースクールで出会い、その後に徳島、そして宮城の女川で一緒に活動していました。お互いに価値観(?)が似ていたのか意気投合。6年前は一緒に秋田を旅することもありました。(私の親戚が新政酒造なので、旅ついでに一緒に立ち寄ったときの写真を発見。)

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それから、どんどん秋田に浸かっていくなあ~と思ってSNSをみていたら、急に「バーガー修吾」というワードが聞こえてくるようになり、「ちょっと、話、ききたいんだけど!」と思っていたら、ちょうどカフェの参加者さんから「地方創生とか町おこしをしている人の話を聞きたい」との声も出ていたので、今回のカフェにお呼びするに至りました。笑

今回のお茶

Cafe Globeでは、ゲストのゆかりのある「お茶」と、ナビゲーターの私がその時おすすめしたいと思った「お茶」を交換して、飲みながらお話をしています。

今回私が送ったのは、屋久島の杉緑茶。屋久島に行った時に、限定商品として置かれていて、「 出会いを味わう 感謝のお茶 」と書いてあったのを見つけた瞬間にレジに持っていっていました。笑

上記リンク先に書いてあるのを借用して…このお茶は、「屋久島地杉の木部精油を抽出したあとのウッドチップを、 食品に使用できる状態にパウダー化したものを、30年無農薬栽培の屋久島八万寿茶園の有機緑茶とブレンドした新感覚のヒーリンググリーンティー」だそうです。屋久島のエネルギーを感じられそうですね。写真を撮り忘れたのですが、上記リンク先のお店で自分が購入したアロマミストの写真を上げておきます。←

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一方修吾が私に送ってくれたのは、こちら。

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小柳津清一商店さん。一緒につけてくれたチラシを見てみると、どうやらお菓子とかも作っているよう。サイトもめちゃくちゃおしゃれです。

ということでお菓子も購入してみましたがカフェ当日には間に合わず。笑 後日美味しくいただいたのでした。

修吾の出身の静岡と、私が住む鹿児島は、お茶の生産量でトップを争う2大お茶生産地。でも特にお互いにバチバチすることなく(笑)美味しくいただきました。

今回のカフェ。

さて!今回のカフェです。

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しゅうごは現在秋田県の男鹿市に在住。
フリーランスの翻訳家もしながら、フードトラックでハンバーガーの移動販売をしていて、その2つがメインの収入源。後は別にアルバイトでカフェで働いたりとお店を手伝うこともあるよう。

出身は静岡、生まれはアメリカ。育ちが静岡なので「静岡スピリット」の方が大きいとのこと。(だから交換したお茶も静岡だったのね💡)静岡はお茶で有名ですが、秋田にも能代市の檜山地域に檜山茶というものがあるよう。
調べてみると結構希少なお茶のようです。

そんな静岡スピリットが大きい修吾がどうして秋田に?というところを聞いていきます。最初は、大学から国際教養大学に進学し秋田に1人暮らしできたところから。

高校まで静岡だったしゅうご、「結構頑張って入った」ということで、地元では入るのが難しい進学校?に進んだようですが、入学後に次の目標がなくなってしまい、勉学に力が入らなくなってしまったよう。ぷーたら部活やったりそれなりに勉強をして…と日々を過ごしていて、2年生になったある日、心配した父親が「次の目標を決めるためにここを見に行ってこい!」とパンフレットを渡してくれたのが、国際教養大学だったそう。
2004年開校の国際教養大学、しゅうごが入学したころはまだ10年目と歴史が浅い。新しい大学ということで色々とチャレンジをしていたことが色々なところで取り上げられており、それがお父さんの目にも止まっていたのではないかとのことでした。

静岡から夜行バス・高速バスを乗り継ぎ、オープンキャンパスで来校。
実際にキャンパスに来たときに、小2から5年間アメリカに住んでいた時に体感した日本とアメリカの教育の違い、目の当たりにした世界の広さを思い出し、そこへの未練のようなもの、日本の教育への違和感を思い出したそう。リベラルアーツカレッジをモデルにしている国際教養大学は、少人数で1クラス20人くらいの授業スタイルをとっていたり、教授と議論したり、質問もたくさん振られる環境で、その模擬授業をうけたことで「あ、これこれ、こういう教育」と魅力を感じたそう。

アメリカにいたときの幼いしゅうごの写真を見せてもらいました。
彼の住んでいたニュージャージー州は治安がある程度よく、東海岸ということもあり、駐在・現地在住の日本人も多かったそう。ロシア、インド、ドイツ、中国、韓国みたいな色々な国から来た人たちと接する機会が多く、韓国から1年間だけ小学生留学しているような子とも出会ったそう。世界の広さを感じる、というのは、こうした同級生との出会いからなのだろうなと思う私。

そして、国際教養大学に入学。静岡を離れ初めての一人暮らしになったそうですが、本人にとって静岡から秋田に行くことのハードルはあまり高くなかったそう。「大学って遠くに進学するものでしょ、みたいな」

ここで、参加している方から「大学生の間にやっておいた方が良いことがあれば教えてください」との質問が。
「もう5年前なので今の大学生がやったほうがいいことって通用しないかも…」と心配しながら、大学生の時にやっていたことを教えてくれました。それは「調べる」こと。授業は特に得意な方ではなく、勉学に取り組んだというよりは、24時間開いている大学図書館に寄るまでいたりして、「これめちゃくちゃ調べたい」と思ったものや面白そうな事を調べたり、ひたすらTwitterやFacebookで自分が保存した記事を読み漁る日常を過ごしていたとか。

さて、在学中にしゅうごは再びアメリカへ留学をします。
ひと学年200人、合計800人ほどが在籍する国際教養大学では、交換留学が必須なのでひと学年分くらいが毎年留学。その分海外からの留学生を受け入れているので、全体の1/4が留学生、という感じなのだそう。
留学先は、一年生の時にすごい仲良くなった留学生が在学していた、アメリカのペンシルバニア州にあるディッキンソンカレッジというリベラルアーツカレッジ。彼の学校に行きたいな、という気持ちが強くなり選んだそう。
小さい時にアメリカに行った時、親にサポートされている状態とは違い、「自分一人で何もかもやらなきゃいけない海外はもう全然、同じ東海岸、ペンシルバニアとニュージャージーでも、全然やっぱり違ったって感じ」だったとしゅうご。私も帰国子女だけど周りの留学経験者と並んだ時の劣等感を感じ、2020年にアメリカに1人で行こうとしたけど、コロナで行けなかったんだよなあ…

今回の留学期間中も、小学生の頃と同様、アルゼンチン、スペイン、ドイツ、フランス、イタリアなどから留学してきた学生たちと一緒に国際ハウスみたいなところに住み、様々な出会いに遭遇します。ちょうどヒラリー・トランプの大統領選だったこともあり、みんなでディベートしているところも目の当たりにし、「海外の人ってすげえ」と思ったそう。

留学から戻った後、アメリカに残らなかった理由も聞いてみました。
留学時、日本人の留学生がアメリカに留学した時に参加する「ボストンキャリアフォーラム」というバイリンガルの学生を対象とした就活の合同説明会。しゅうごも参加してみたそうですが、「自分がそういう組織で働いている未来があんまり見えなくて、英語が使えるから外資、とか英語が使えるから海外、とかって、なんかすごい安直だし、かつ競争も激しそうだな」みたいにに思い、逆にこうした場が合わないのであれば、と、地方や、そうした人材がいない場で自分の能力を発揮したいという漠然とした考えを抱いたそう。

元々、しゅうごは私と出会うHLABに参加し、地方との繋がりを得ていました。
HLABは日本の高校生を対象にした日本人学生と海外大学生が運営する1週間のサマースクール。

ここでしゅうごは徳島と宮城で開催されたサマースクールに参加し、地方で働いてるロールモデルみたいな人達と沢山出会います。そして、その方々に自分のやりたいことなどを相談していく中で、留学から戻った後の空いている時間(5月~9月)に宮城のサマースクールの会場の女川という町で一緒にサマースクールを作っていた移住支援や起業支援をするNPOから、インターンをさせてもらえる機会を獲得。
そこで、「総力戦」であることを目の当たりにしたそう。「個人の対人コミュニケーション能力も必要だし、数字も見れなきゃいけないし、企画力も必要だし、っていうのを凄い泥臭くやられてる方々がいっぱいいて、なんかそういう働き方かっこいいなって思って」
そして、じゃあ自分はどこで挑戦しよう?と思った時、徳島や女川にそこまでの思い入れはなく、働きたいというほどではないと思い、自分が属する国際教養大学を思い出します。というのも、国際教養大学は公立の学校法人の為、7割ほどは県税から賄われており、留学生と授業料の話をしているとき、「自分もこれくらいの授業料で留学できているのか」と「国際教養大学のおかげ」を感じることがあったそうで、「なんかそうだったら、せっかくだったら秋田で頑張りたいなって。それで秋田で就職先を探し始めた」とのこと。

さて、そこから紆余曲折があって「バーガー修吾」「食」に至ったわけですが…
最初は地域おこし協力隊として秋田県の男鹿市に入ったことが始まりだったそう。
大学の最終学年時、後輩と一緒に参加した、地域と大学と学生がつながる企画。元ICU大の副学長が国際教養大にいらして学長になり、このような機会を沢山企画してくださったそう。そこで、「ここにすごい可能性がありそうだ」「こういうことをやっていきたい」といったものを感じ、先輩経由でインバウンドツーリズムに関わっている人を紹介してもらい、そして地域おこし協力隊にたどり着いたと。

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地域おこし協力隊でやっていた仕事の内の1つ、英語力を活かした通訳・ガイド・翻訳について紹介してもらいました。
というのも男鹿市がアウトドアの観光をちょうど力を入れたい、とレンタサイクルをはじめとした事業をスタートするタイミングだったそうで。
在職時一番貢献出来たなと思う業務は、なまはげがユネスコの無形文化遺産に登録されたとき、その登録イベントがライブビューイングで開催され、ユネスコと男鹿市長のオンライン経由でのやりとりの同時通訳を担当したこと!ここで一気に他の方にも自身のことを知ってもらうことができ、「英語をお願いしたいなら修吾」となり、今もその延長でフリーでも翻訳業をやっているという。
翻訳の勉強はちゃんとしたことはなく、「観光情報は意訳も多いし、キャッチコピーや見出しなど面白くしないといけないものなど、ちゃんとした産業向けの翻訳というよりライトな感じの翻訳通訳が多かった」としゅうご。男鹿のホテルのサイトの翻訳なども担当したそうです。

翻訳業をはじめとした仕事をしていた時、「観光だけでここ(男鹿市)で生きていこうとすると仕事がないな」と感じ、「仕事を作り出すところからやらないとその地域で生きていくのは難しいんだ」と行きつきます。
そして、協力隊最終年に海外の方・日本在住の海外の方(米軍基地の方・教授の方など)向けに高価格帯の文化や食などを体験できるツアーを企画することになり、実際に軍人さんやそのパートナーの方に色々と案内をしていた時(すごい勢いでのめりこんで色々文化についてなどを聞いてきたそう)海鮮ばっかりを食べて飽きているところを見たそう。たしかに男鹿は海鮮がおいしい地域。だからこそそれを男鹿側は推したいが、毎回だとむしろ苦痛になってきてしまう。そしてそこで案内して一番喜ばれたのが・・・なんと居酒屋のカツカレー!
「やっぱり観光ってまずグルメがあって、その後ホテルや宿泊先や温泉、そしてそれがあってのアクティビティみたいな感じだと思う。僕のイメージでは最近はアクティビティメインでやってるとこがあるんですけど、まずグルメの部分をより広い層が来れるようなベースを作らないと、と思った。」男鹿昨年行ったから今年はいいか、どうせもう一回行っても刺身でしょ、と思われないように。必ずしも男鹿らしいものを出さなくてもいいし、カツカレーやラーメンを食べた後に刺身やサザエや海藻、と相手の求めるステップに合わせてステップアップしていけるといいなと思ったそう。
そして、そこで知人がやっているコロッケ屋さんからインスパイアされ、「ハンバーガーとかサンドイッチとかがあったら、海もきれいだしテイクアウトで楽しめるなあ」「海鮮とかに飽きてきたってタイミングで、米軍の方とかは自分の出身のハンバーガーが食べれるってなったら一回『リセット』できるっていうか」と、自分の好きな物を男鹿に結び付けてみようというアイデアが浮かびます。

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そこから実際に事業に至るまで、色々と模索していきます。
「男鹿のものを使ってハンバーガー作れないか」と試作をくり返し、最初はローソンのパンを使って作っていたのを自分で焼いてみたり、スーパーで牛肉を買ってきて包丁で叩いてパテ(ハンバーガーに挟む肉)を作っていたのをお肉屋さんからもらってみたり…
そうしたことをしていたら、男鹿にある毎日作り手が変わるカフェから「冬の間出店する人少ないから水曜日出してみない?」と声をかけてもらい、実際にお店での販売にも挑戦。

私自身しゅうごの飲食のイメージが全くなく、本人も飲食のバイトを特にしたことがなく(あまりアルバイトもしていなかったという)、衝撃を受ける私。だからこそ自分の好きなハンバーガーにしたのだそう。
「僕はアメリカのFIVE GUYSというハンバーガーショップが好きで、あの味をなんか秋田の食材とかで再現出来たら、自分の好きなものが売れるなと思った」と、英語を読める力を活かし、YouTubeなどで海外のレシピを調べて作ったりもしたそう。英語ができるとそんなメリットもあるのか…「翻訳ソフトとかあるから、そこに興味を持つか、どうかがキモですよね」

さて、水曜日のハンバーガー屋さんからキッチンカーにどう変わっていったのかというと、そこはやはり男鹿の地域の特性がありました。観光地でありながら冬場は雪が積もり、夏に人がたくさん来るということ、平日はあまり人が来ないけど土日はめちゃくちゃ来るということ…そうした環境から固定店舗を持つのは結構リスクのあることらしく。自分はどうしよう、と考えていた時に、Netflixで有名レストランのオーナーシェフがレストランを辞めてキッチンカーをやるというドラマを見て「キッチンカー面白いんじゃない?」とアイデアが浮かびます。事業計画を作り、協力隊の時にお世話になっていた地元の銀行から出向していた観光協会の職員さんに相談し、融資の窓口を紹介してもらいます。前述の学生時代にやっていた宮城の女川のインターン先が移住支援・起業支援がメインの会社だったので、そこからえた創業についてのことも参考にしつつ、事業計画や収支計画を作り銀行に事業融資をお願い。2021年の1,2月に相談を始め、3月に協力隊の任期が終了、融資が決定したのは5月。かなりバタバタした3,4ヶ月だったのだろうなあ…

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実際にしゅうごが今販売をしているキッチンカーの写真を見せてもらいながら話が進みます。
この車も男鹿でお世話になってた方から車内に色々と取り付けができる業者さんを紹介してもらい、こだわりをもちながら作ることができたそう。

「一つの事をやり続けるって大変なんですけど、いろんな事をやっているとリスクも分散するし。」人が来る波が激しい男鹿だからこそ、翻訳業などの仕事をしながらバーガー屋さんもやっていくというマルチスタイルな働き方になっていったそう。金曜日と土曜日に飲食をやっているのは、飲食の人を見たときに「3時間の営業時間の前後に4時間片付けや仕込みの時間が入っていて、それを毎日僕はできない、週3ぐらいが限度だと思った」から。そして、冬の期間は休業期間にしているそう。複数の仕事を季節や日によって変えているゲストさんが初めてなので、新鮮だーとつぶやく私。
1人でバーガー屋だけ、をやると寂しいしいろんなことを考えてぐるぐる悩んでしまう。だから、アルバイトでもいいから人との繋がりを作っておくとすごい相談もしやすいらしく。実際、お肉の卸先のお店で夜間バイトをしてお肉屋さんの仕込み方をきいたり、農家さんに手伝いにいって野菜の話を聞いたり、背中で学ばせてもらったり。お金をもらいながら自分が尊敬する人たちの話がきける一石二鳥だと話してくれました。「こういうやり方を、田舎で事業を作っていく身としては、すごいいいやり方なんじゃないかなって思ってます」

アルバイトは向こうが必要だから募集や声掛けがあるので、まずはコマとして行き、自分がやっている仕事に活きるように吸収することを意識し、そこに繋がるように質問をしに行く。求められることをまずはやり、それをやりながら自分のやりたいことや考えていることを伝え、発信していく。こうやって新しいコミュニティや場で、しゅうごは溶け込んでいったのではないかと話してくれました。前述の水曜日にハンバーガー屋さん…という流れも、「ハンバーガーをやりたい」と会う人会う人に話していたからだそう。
こうした「旗」を立ててからは人と話すのが実際「楽になった」としゅうご。他の方が紹介をする時も「このひとはこういう人」と紹介してもらえるし、例えば「英語がものすごくできる」みたいな「英語に関係することは声をかけてください」という旗を立てることで、相手もどのタイミングでどう声かけようと悩んでいるときにわかりやすくなる。ヨソモノだからこそ、「こういう人なんだ」というのがわかりやすいと声がかかりやすいのかもな…

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ハンバーガー×キッチンカーを昨年スタートさせたしゅうご、その次を聞いてみました。
今回のキッチンカーOPENは大きな夢というよりはプロセスの中にあるそうで、長期的にこれをやっていきたいといったものはまだちゃんとないよう。次の一歩先にやりたいな、お面白いな、と思っていることはいくつかあるようで、紹介してもらいました。

なんとそれは『バーガー修吾奨学金』!←勝手に私が命名
しゅうごが他に好きなものにある「映画」。大学時代に地方で映画を観ることについて考えるシンポジウムに参加した時に出会ったおじいさんが、海外旅行がハードルが高かった(パスポートとかを取るのも大変だった)昔は映画が海外の文化や生活を知るいいメディアである、平等に日本国内でも地方・都会で知ることができる、という話を聞き、(たしかにそれは料理でもそうだなとおもったそう)実際に海外に行くと、こういう生き方・学び方があるんだ、と窮屈なところから出る選択肢を知ったことでのびのびと生きられた自身の経験を思い出し、子どもでも、大人でもよいけど、こうした「殻」をなかなか破れない人たちに、異文化とかに興味を持ってもらい、ハンバーガーや自信の留学体験や海外の話から、海外やホームステイに興味を持つ人が地域から増えていってくれるといいなと思ったそう。来年あたりからハンバーガー屋さんがやるホームステイプログラムというかたちで、1,2名程度海外へのホームステイの奨学金を全額出すといった取り組みをやりたいと考えているとか。「奨学金」と聞くと大きいイメージだけど、草の根的に20,30万集めて背中を押すことで3,4,日は滞在はできるわけだしありなのではないか、と!これには私も看板猫のらても大興奮です。今日聞いている参加者の中から奨学生が出るんじゃないか…!?
さらに、ここで素敵だなと思ったのが、しゅうごがそれを自分の繋がりであれば「できそう」と話すこと。地元の人たちに貢献し、溶け込んで、一緒に巻き込み、巻き込まれているしゅうごだからこそ持てる感覚なように思いました。可能性があるなあというか。そして、やりたいことって言いまくらないとダメなんだなあ、とからてと話すのでした。

しゅうごが奨学金を作ってみたいと思った背景にある、教育への想いについても聞いてみました。そこで教えてもらったエピソードが、男鹿の小学生を対象にアメリカの国紹介をする機会があったときのこと。町の写真を見せたら「なんか東京みたい」と言った男の子がいたそう。グローバル化した世の中で都市がどこも同じように見える、物や情報が溢れてきているからこそ見える視点を男鹿で過ごしている小学生が持てていることに気づき、そこにちゃんと問いをあげて深めていくきっかけを作れる大人さえいれば、そこから色々な学びがこの男の子の中に生まれるのではないか、と感じたとのこと。他にも、アメリカのドル札紙幣の写真を見せて「なんで女性はいないの?」(紙幣に描かれている歴代の大統領に男性しかいない)と聞かれ、そういえば日本は五千円札に樋口一葉が使われているな、と思い出し、そうした視点・気付きを1時間の間にどんどん出されて、この男鹿の子供たちの学びを広げられるような大人が増えていってほしいと思ったし、何かできることは自分でやりたいなと思った、と。ワクワクもするし感動もする私。

最後に参加者からの質問で、「日本と海外を繋げる方法」が来ていたので聞いてみました。
「今ここに参加している方も、大学の時の僕らも友達も、社会の中で見たらすごい少数派でマイノリティなんですよね」としゅうご。普段海外に行きたいとか他の国の事を考えている人って意外と少ない。だからこそ、自分の本当に近いところから、海外の繋がりのある方とか身近な人に対して、自分の「発信」をしていくことが一番いいのではないかと話してくれました。自分自身も接客時に海外の話をして海外や文化の違い、留学に興味を持ってもらえるきっかけを作っているのだそう。「まずは自分の周りから」。かつ、しゅうごはその海外との繋がりを作るきっかけに自分自身の好きなハンバーガーを使っているから、またいいなと思うのである。

そして、しゅうごから参加者へのメッセージをもらいました。
「何かやりたいこととか、これからトライしてみたいことあったら、小さくまず始めてみるっていうのが、僕は自分の今までの経験からも重要だなと思ってて。」
「ハンバーガー屋さんやりたいってなった時に、いきなり事業融資取りに行くって本当に大変ですけど、週に一回でも出してみると、実際にその時これだけ売れたんですよとか、お客さんからこういう反応もらったんですよっていうのが、事業を始める時の融資に物凄いプラスに働いたんです。だから何かやりたいってなった時に大きい目標を立ててそれができるかできないかだけで判断するんじゃなくて、それに行くための小さなステップって何だろうって考えてそのステップをちょっとずつ進んでいくとなんか知らぬ間に自分がやろうと思ってたところに辿り着いてるっていうことが起きるんじゃないかな、と思っています」

自分は今何を小さくでもいいからアクションをとっていこうかな。ふと考えるきっかけをもらった夜でした。

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もっと修吾

カフェ以降も修吾の活動をみてみたり、応援したい!と思った方へ、SNSリンクを。是非フォローして、秋田のお店にも行ってみてくださいねー!

お店のインスタはこちら。


そんな当日のカフェの様子はこちらから

懇親会タイムは入っていませんが、最初の1時間の様子はこちらからも観れます!ぜひ!

次回のカフェ。

ということで、次回のカフェ。3月10日20時からでした。修吾とおなじサマースクールきっかけで出会った、長野県小布施町で地域おこし協力隊をやっている、青年海外協力隊でガーナにいっていた「きんちゃん」をお呼びしました。詳細はこちらから。

集合写真とかアップしてるのでぜひカフェのFacebookもフォローしてくださいませ~!

来月も楽しみです!


こんな私ですが、ぜひサポートお願いします。 いただいたサポートは、自分に沢山の学びと気付きの機会を与えてくれた人や団体、そして社会に還元していきたいです。