海の家のレクイエム
由比ヶ浜の海の家にクラブがあった頃、俺たちは平日も週末も関係なしに、朝から晩まで由比ヶ浜にいた。一番の目的はナンパだったが、夏特有の青臭いフィルターのかかった日常を、海の家の営業最終日ぎりぎりまで貪り尽くすことに躍起になっていた。毎年徐々に遠ざかっていく青春を少しでも長く、手の内に留めておきたかったのかもしれない。
夕方にかけて海水客の数が減り、喧噪にまみれていた海の家も落ち着きを取り戻していく。夕日が沈むころには、浜辺から見上げると荘厳なヨーロッパの城塞みたいな雰囲気を醸し出す海の家もあった。
八月も終盤に差し掛かっていた。
男四人で海の家を梯子し、その場その場で海の家で飲んでいる女子に声を掛けて即席の合コンを開催して、しこたま酒を飲んでたまに誰かが宿泊先の宿に連れ込んで戻ってくる。しかし楽しくなってくるとセックスどうこうよりも飲むこと自体に中毒性が帯びて、辞められなくなる。皆でクラブ営業している海の家に流れて踊ったりと、とにかく「夏らしさ」を漫喫することに全力を賭しながらアルコールを摂取し続けた。
気がつけば人数が割れているのはいつものこと。
俺はリョウタと二人組の女子と四人で昭和な雰囲気が残るレトロな海の家に流れ着き、上がり框に備え付けられたテーブルで向き合って飲んでいた。リョウタとは昔からの付き合いで、長年同じように女遊びをし尽くしてきたが、時折好きな女にどっぷりハマって捨てられてしまう一面を持つ、ピュアさを覗かせる貴重な奴だった。
女子の片方のユナは海で見かけるにしては珍しいくらい、上品な雰囲気が漂う細身の美女。昼下がりにユナたちが海の家を探していたところに俺が声を掛けて、三人で一杯だけテキーラを飲み、数時間後に再会した。男女十人ほどでごちゃまぜになって飲んでクラブに移動して別々になり、今に至るというわけだ。
「ウケる、私もそこよく行く!」
ユナの連れのエミはグラマラスな体型をしているものの、決して美人ではない。けれどノリが良く酒も強く、終始場を盛り上げることに貢献してくれていた。俺たちが普段よく使う渋谷のバーの常連でもあったらしく、その偶然の一致を祝杯して皆に乾杯を促すほどの徹底ぶりだった。
「私も行ってみたーい。ねえ今度連れてってくれる?」
ユナは俺たちのどちらを見定めることもなく、シナを作って問いかけてくる。俺もリョウタも狙いはユナだった。リョウタはユナを連れてきた俺に遠慮しつつも明らかに執心している様子で、珍しく前のめりなリョウタに配慮し俺はわずかにユナに対し引いて接していた。
冷気の混じった潮風が浜辺から流れて頬にふれる。俄かに体温が奪われていった。サザンの曲ばかりが永遠と流れるレトロな海の家は、俺たち以外には一組しかいない。誰かの浮き輪が床に倒れていた。片方だけ脱ぎ捨てられたサンダルが反転して転がっている。「Oh!クラウディア」が流れ、青春の曲でもない随分と古い歌なのになぜか切ない気持ちに囚われた。
いつもなら「ちょっと海辺を歩こう」と切り出して男女別になるはずだが、今日は互いに自制心が働いている。出口もなく、俺たち四人は下らぬ会話を続けて酒を飲み続けながら、たぶん各々が胸の裡で夏の終わりを噛み締めていた。終わりにしないといけないのだけれど、まだ帰りたくない夏の放課後のよう。
女子が連れ立ってトイレに立った。
「・・・どうする?」リョウタがジョッキを利き手に持ちながら、上気した顔をこちらに向ける。
「二人とも狙いはユナだよな」
「・・・俺、本気で惚れたかも」
それはズルいと思った。
俺自身も、ユナに惹かれていた。しかし本気かと言えば、けっしてそんなことはない。けれど今更になってリョウタに譲るのも気が乗らないし、俺だってユナを抱きたい気持ちはある。四人の間に流れるゆったりとした空気を、いつものように霧散させることにも抵抗があった。
答えが出ぬまま、女子二人が戻ってきた。
「ねえ、浜辺で花火しようよ!」
彼女たちが練ったであろう作戦がエミの口から提案された。
「いいね、花火して帰ろうか」
夏の放課後も、そろそろ終わらせなければいけない。
「一緒に花火買いに行こう」
ユナが俺の目を見てそう言った。その瞬間、横に座っていたリョウタの体温が下がるのをはっきりと感じ取った。
数秒の沈黙が流れる。
「行ってきなよ。エミちゃんと待ってる」
リョウタが笑顔で言った。
ユナと連れ立ってコンビニ方面へ向かう。もう完全に夜の帳が下りていた。
砂にまみれたサンダル姿の足元がひんやりと冷たい。見上げると群青の夜空がどこまでも広がっている。辺りは清浄な夜気に満ちていた。そのまま真っすぐに鎌倉駅方面に進めば、宿泊中のホテルがある。
ユナのバックを俺が片手に持っていた。並んで歩く俺とユナの手はわずかに触れている。
脳裏にリョウタの言葉と笑顔がよぎった。
国道134号をだらだらと走る、窓を開け放った車からアヴィーチーの「I could be the one」が風に乗って届き、余韻を残して耳元から離れていった。
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