不機嫌のはなし
「自分の機嫌は自分でとるもの」
最近は割とそんなふうに言う人が増えて、その通りだって思う人が増えて、不機嫌を自分でコントロールできない人はマナー違反のような風潮になっていると思う。
わたしも大人になって、昔よりはかなり自分の感情と向き合ってコントロールできるようになった気がする。というか自分ってこういう人だよねっていうことを受け入れられるようになってきたというのが正解かもしれない。
でも、人は多面的だから、この人の前ではなんだか感情がコントロールできないとかはどうしてもあるなと思っていて、昔は付き合っている人の前でそうだったなと思うし、そのもっと前は母親。
今でこそ少しは成長したものの、昔の自分はなぜ不機嫌になってしまうのかの説明もできなければ、どうすればその気持ちが解消されるのか自分でもわからず、自分を不機嫌にさせる相手にばかり腹が立って、相手にも自分と同じ不快を与えないと気がすまないタイプの人間だった。(ひどい)
不機嫌になると黙り込んでしまうタイプだったので、大学生のころに付き合っていた人には散々「不機嫌になってることを態度で表すのやめて」と言われ、そのたびにちゃんと説明しなきゃと反省するものの全く説明ができていなかった。今考えると感情のタスク分解ができていなかったのでいきなり説明しろと言われても説明できなくて当たり前だったと思う。(そしてまた不機嫌になるので負のループ)
当時の自分がどういう状態だったのか、今はそれがどう改善されたのか、備忘録的に書いておきたい。
まず私は長女です。
兄弟構成って結構人とのコミュニケーションにおいてかなり影響を与えるものだと思ってる派です。長女のみなさんはわかると思うんだけど、基本的には誰かのために何かしてあげたいと思ってる人が多い気がする。しかし愛情深いが故に、自分がちょっと嫌だなって思うことも我慢してしまうことが多い。なんなら自分自身の「ちょっと嫌だな」センサーが鈍いことが結構あって、「まあこれくらいやってあげたほうが良いよね」とか「これが終わるまでならいっか」みたいな感じで自分が我慢してその場が丸く収まることを優先しがち、そして我慢してるんだなってことにも気付いてないこともあったりする(もちろん人による)
そして私の場合、結構な内弁慶です。
なぜこんな性格になったのかわからないけど、小さい頃はシャイで、気の知れた友達としか遊びたくなかったし(遊ぶ約束をしていた友達が別の友達を連れてくるのとか嫌だったタイプ)、外面は良いけど身内にはわがまま放題みたいなことが結構ありました。現在は割とネット弁慶でもありますねすみません。
なので小学生~中学生の頃、ケンカはもっぱら母親とばかり。母親が昔エレクトーン講師だったこともあり、私のピアノ(別の先生に習ってた)の練習ではもう大喧嘩。何度ピアノの鍵盤を叩きつけたかわかりません。しかしそんな大それた行動(?)は小学校の友達の前ではできないので、とにかくいじめられないように周りの顔を伺いながら生活していたなあ(もちろん楽しい時もたくさんあったよ)あと学校の中では無意識に抑えこんでたのか忘れてるだけなのかわからないけどそこまで「怒り」という感情が前に出てくることってなかったと思う。自分に自信がなかったから「恐怖」とか「怯え」のほうが先に立っていたのかも。
で、その母親とのケンカもまあワンパターンで「○○が嫌だ!」くらいは発言してもその後はもう自室に引きこもり。「お母さんのその態度が気に入らない!」などと具体的に何が嫌なのかの説明ができたことは多分なくて(あとから手紙にしたためて渡したことはあった)その当時から
自分が何に腹を立てているか
が瞬間的にわかっていなかったんだと思う。
そしてそれはのちに「彼氏」という相手ができても同じ。
他人に対しては「自分とは違う」と一線引くタイプなのに、彼氏に関してはそれを超えて勝手に「自分の一部」と勘違いしてたんだと思う。母親という完全に見離されないという安心感は下回るものの、「彼氏」という特別な相手に対して、友達には出せない自分勝手な感情をただぶつけてしまっていました。そんなことしても自分を理解してくれると試していたのかもしれないなあ。そんな言語化できる感情でやっていたことは一つもなかったけど。
わたしは「物事はこうあるべき」「この人は私にこうしてくれるべき」みたいな固定観念がかなり強いほうです。(これに気付いたのもアラサーになってからでした)
なので勝手に「彼氏」という存在はわたしにこうしてくれるべきという理想が数々の少女漫画から構築されてしまって、それに外れた態度を取られたりするとなんだかむしゃくしゃ。不機嫌が顔を出してしまう。まあ言葉で伝えていないのでそこから相手がリカバリーすることは難しく(20歳そこらの男子にそれを求めてたのもどうかと思う)、更なる悪手により不機嫌はレベルアップ。そしたらもう「本当はこうしてほしかったの」みたいに素直に可愛い言い方なんて出来るはずもなく、というかその時点で「私ってこうしてほしかったんだ」という言語化が出来ていないので、自分の中の不快度数はガンガン上がっていき、それに反して相手が全然不快そうじゃないことに更に不快になっていき、自分=相手がフェアなんだから相手にもこの不快を与えてやらねばという最悪のループにおちいるんですね。バカですね。
結局それの対処法って
①自分が何を不快と思うかがわかる
これをわかるためには自己分析というか、向き合いたくない自分、知りたくない自分、蓋をしたい自分の嫌なところと対面しないといけないので結構しんどいです。メンターみたいな人に深堀りしてもらうことをおすすめする。自分はどんな人が嫌いか書き出してみると良いかもね。(そこに書いてあるのが割と自分だったりする)
②それを自分で認識するために言語化する
①がわかるとこれはすんなりできるかも。私は頭のなかで考えるより書いたほうが整理できるからよく書く。これは人によってやりかたが違いそう。
③相手に伝えられるように言語化する
自分がわかる言葉と相手がわかる言葉って違うんだよね。自分のバックグラウンドとか、理想とか、こうだからこうだよって説明をやっぱりはしょりがちなんだけど、それを説明できるようになるともっと生きやすい。
④それを相手に伝えても大丈夫だと思える関係値をつくる
内弁慶マンなのでこれがかなり大事。素直になれるかなれないか、自分ってこうですよって晒すことだから、それを受け入れてくれる相手か、それを知ってほしい相手かっていうのは大事だった。付き合ってても、これ言うくらいならもう分かり合えないし別れたほうが良いよなってなったりするのもそこまで深く付き合っていきたい相手かってところによるもんね。人間関係はやっぱり等しく面倒くさいものですよね。分かり合うって難しいこと。
⑤不快の原因はどうすれば解消できるか考える
これを一緒に考えられる相手だったら④はクリアな気がする。ちゃんと相手が付き合い続けていってくれるって確信が持てないとやっぱり話せなかったりする。よね。
以上がわたしの不機嫌の付き合い方のタスク分解です。
結構自分で言語化する、までで完結していることも多いけど、今こうやってこれが嫌だなって思うんだよねと相談できる、自分をさらけ出せる友達がたくさんいてくれることが本当に幸せだって思える。
昔は「彼氏」のような人にぶつかって、不機嫌をその場限りで飼い慣らしてなんとかやってきたんだけど、やっぱり最近は自分ってこうなんだっていうことがわかったり、こう見えるよってフィードバックがこわくなくなったりしたのが大きい。大人になるってこういうことなんだなあ。
前は自分がまわりと違うことが怖くて、自分が組み上げた完璧な「人間像」から外れることが嫌で、ネガティブだったしずるかったり醜い感情は蓋をしてみないようにしてたけど、それを「わたしってそういうとこもあるよなあ」って思えて、「かわゆーってそういうとこあるよね」って周りにも理解してもらって、それでもそれがあるから嫌われるわけでもなく受け入れてもらえるから更にさらけ出せてってとても良い循環になっている気がする。
言いたいことも3割も書けてない気がするんだけど、この記事はここまで。
①の自分探し、やりたいけど相手がいないよーって人いたらうまくできる自信はないけどつきあいます!よ!
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