見出し画像

大阪の住民投票をみて感じる憲法改正への高いハードル

2020年11月1日、大阪で大阪市廃止・特別区設置に関するいわゆる「大阪都構想」の住民投票が行われ、僅差で否決されるに至った。

この結果を見て最も強く感じたのは、「憲法改正の実現への果てなき道のり」である。

日本人は変化に強い不安を感じる

戦前の予想では、賛成派が優勢のような報道であったし、吉村人気も手伝って維新にもある程度の楽勝ムードが漂っていたように思える。しかし、選挙直前に反対派の猛烈な巻き返しにあい、最終的に逆転を喫したという印象だ。

ここにあるのは多分、日本人の変化を好まない根源的な性質のように思えた。

「なんとなくいいじゃん」と思っていたとしても、いざ「現状が変わる」という事実を目の前にしたとき、日本人は希望よりも不安を強く感じるのだ、きっと。

そしてこれは、憲法改正の住民投票にも当てはまると思う。

憲法改正は、国会での発議の後、国民投票の過半数を得て初めて可決される。国会での発議もままならない現状であるが、例え国民投票にこぎつけたとしても、賛成過半数を得るのは至難の業かもしれない。

変えますか?」それとも「今のままでいいですか?」

と問いかけられたとき、現状に対する大きな不満があるか、変革後の未来に対する明るい展望が相当強くない限り、日本人は「変化を恐れ」、「現状維持」を好むだろう

憲法9条を含む改憲に対して、日本人にそこまで現状に対する不満があり・改正後の未来に対する明るい展望が見いだせるとは思えない。

「改革」を口では求めながら、いざとなると「変化を拒絶」する慎重な日本人の性質はもしかしたら美徳なのかも知れないけれど、優勢と思われた大阪都構想ですら否決された結果を見れば、とても優勢とは思えぬ改憲論者が勝利する道のりが見えない。

現状維持派の方が圧倒的に有利な理由

大阪都構想の住民投票のケースをみてみると、反対派は

・「現状を変更する」メリットが分からない。

・説明不足だ。

・ひとたび「現状を変更」してしまうと、二度と元には戻れない。

という論法で戦っていた。「メリットが分からない」、「説明不足だ」、「二度と元に戻れなくなる」、というのは現状維持派の魔法の言葉である。


これは、憲法改正のケースにも当てはめることができる。

・「憲法改正する」メリットが分からない。

・説明不足だ。

・ひとたび「憲法を改正」してしまうと、戦争ができる国になってしまう。

憲法改正反対派(現状維持派)はこれを言い続ければいいわけだから、反対派の戦い方の方がシンプルで有利だ。

特に、「憲法を変えると戦争ができる国になってしまいますよ!」と言われると、不安な心を揺さぶられてしまう人が多数だろう。

戦争ができる国になる→必要に応じた反撃能力を整える→日本に手を出すとヤバいぞとなる→その結果戦争が予防される、という「抑止」の考え方を頭で理解しつつも、反対派の大キャンペーンで「アメリカの戦争に巻き込まれる!」「あなたの子や孫が、遠い異国の地で死ぬことになりますよ!」「戦前体制が復活しますよ!」といったことをひたすら連呼されつづければ、多くの国民は恐怖心を惹起され反対派に傾いていくだろう。情報戦の観点からいえば、これらはいかに滑稽であろうと有効なプロパガンダだ。

あるいは、「大阪市が、なくなる」というノリで、「平和が、なくなる」というキャッチフレーズも当然想定される。「平和が、なくなる」というフレーズを脈絡なく聞かされ続けた場合、憲法改正推進派ですら一抹の不安を覚えるかも知れない。大衆を動かすのは論理ではなく、感情なのだ。

これらに対する有効なカウンター・プロパガンダを憲法改正推進派は考えることができるだろうか?「いざとなったら戦う姿勢を示すことが、戦争を起こさないための抑止力なんですよ」という反論は、ロジカルではあるが感情には訴えかけない。


大阪都構想の住民投票は最高の教材

というわけで、特に憲法改正推進派は、大阪都構想の時系列を追って勝因・敗因を分析するべきだろう。住民投票において人々はどのように情報に流されるか、ということを学ぶ最高の教材とも言える。そして、戦略を練り直すべきだ。

そういう意味では、大阪市廃止・特別区設置の住民投票は、一地方の住民投票ではあるが、日本の民主主義にとって大きな意義はあったのだと思う。

何より、会見で涙を浮かべているように見えた吉村知事を見て思った。自分が落選したり、不祥事がバレて泣く政治家は結構いるが、自分がやりたかった政策が実現できずに泣ける政治家が他にどれくらいいるだろうか、と。

国民はそういうものも見ている。結果がどうであったにせよ、いろいろな意味でこれは無駄ではなかったことなのだと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?