体育館へと続く赤い道

出勤前に都知事選挙の投票をしようと近所の小学校へ寄ったら、投票場となっている体育館からまっすぐ校門まで続く長い長い行列が見えた。通常より間隔を開けて並んでいるとは言え、ずいぶんと人が多い。体育館の入口付近で手指消毒をしているせいかなと思ったけど、そのあたりの流れはいたってスムーズだった。

すぐ前に並んでいた仲良さそうな母娘の後ろ姿が印象に残っている。見た目も身長もそっくりでまるで姉妹のようだったからだ。ただし服の着こなし方だけが決定的に違っていて、それが何かの比較参考資料のようでついつい眺めてしまった。

彼女たちだけを見ていたと言うわけでは決してないのだけれど、他の人たちについては全く記憶に残っていない。あんなに大勢いたのに。小さな子どもを連れた若い夫婦がいたような気もするし、足の悪そうなお婆ちゃんもいたような気がするし、どちらもいなかったような気もする。特に目を引くところもないごく当たり前の光景だったんだろう。

あの当たり前の光景の中にいた人たちの半分以上が現職都知事の続投に選んだそうである。選挙結果によればそういうことなんだろう。そう考えたら、なんだか馬鹿な子供のように「すげー!」と感心してしまった。

現職都知事を支持する人なんて身の回りに一人もいないよと思っていたけれど、あの場にはたくさんいたのである。僕が気づかなかっただけで。姉妹のような母娘の向こうに体育館まで続く行列をモノクロコピーして、半分強の人を赤く塗る。今朝の投票場が特別な光景だったわけではなくて、僕が生きている世の中はいつもそういう配色だったのか。いや、知ってたけど、知ってたけど、何だかあらためて理解した。

よく似た母娘が誰に投票するかなんて、あの場では想像もしなかった。興味がなかったと言っても良い。投票のためだけに行ったあの場で、髪型や服装や身長や髪の色や声色には興味を持ったのに、投票先には興味を持たなかったというのは、あらためて考えてみると奇妙なことに違いない。でも、普段の僕はそうして生きているのだろう。腑に落ちた。

そうやって気づいた結果として口から出た言葉が「すげー」なのは、いい年した大人としてどうかと思わなくもないけれど、その単純さゆえにか、選挙の結果に落ち込んだり感傷的になったりすることなく、夕飯のメニューを考えることができた。それはとても大事なことだと、半分強の人が赤い光景を思い浮かべながらもそう思う。