公園の鳩(無機物)と幼馴染の話
誰しも、最寄り公園(※)の思い出を持っていると思う。
(※最寄り駅と同じ感じの発音でお願いします。)
未就学児にとっての最寄り公園は、成人にとっての最寄りコンビニ以上に重要で生活必需な存在だ。
かく言う私の最寄り公園は、家から徒歩1分。
当時は、ブランコ・シーソー・滑り台×2・ジャングルジム・砂場・花壇・動物の形しててびょんびょん跳ねるやつ・大きな桜の木・木登りできる木など、某舞浜市のテーマパークに引けを取らないレベルの遊具が揃えられていた、夢のような空間だった。
その中でも、特に思い入れの深い遊具が、「鳥の置物」である。
その遊具は、砂場の中にあった。
かなり硬い素材で出来ており、大きさは横幅50cm縦幅30cmくらい。といっても50×30の平面ではなく、くちばしや膨らんだお腹部分、しっぽの尖った部分までしっかり再現されていた立体だった。でも角は丸く作られており安心設計。今振り返ってみると非常に良くできた遊具である。
しかし、この遊具最大の難点は、「特に仕掛けがあるわけではない」というところ。
いくら子供たちが叩いたり上に座ったりしても、そいつは競合他社のキリンやゾウの遊具のようにびょんびょん飛び跳ねたりしてくれるわけでもないので、大抵ぼっちを極めていた。
この鳥に目をつけたのが、十数年前の私である。
なんと言ってもこの鳥、経年劣化で塗装がいい具合に剥がれ、何の種類の鳥なのか分からないような肌色+虚ろな目をしていた。
その死んだ魚の目を見て、当時の私は想像力をフルに働かせ、「はとさんがびょうきだ!」という結論に至った。
※私の記憶では、たぶんあの鳥は雀なのだが(しっぽのあたりにうっすら茶色い塗装があった)、当時の私の証言に従ってここでは鳩ということにしておく。
鳩が病気だと考えた私は、近くに住む幼馴染のRちゃん(仮名)と一緒に治療をすることにした。
なんとなくお察しだろうが、私達が編み出した治療法はまともではなかった。
それは「冷水をぶっかける」。
公園内にあった水道から健気に水を汲んで来ては、鳩の置物の頭からぶっかける。それを何度も繰り返した。
「げんきになってね」と言いながら冷水を浴びせる女児二人、これが医者だったらどう考えてもサイコパスである。絶対に医学部には入れないだろう。
その予想通り(?)私は大学でゴリッゴリの文系学部に進学した。
驚きだったのは、その一年後に、Rちゃんが私と同じ大学の同じ学部に入学したことである。
Rちゃんと私は、鳩で遊ばなくなってからも、同じ習い事、同じ小中学校に通い、ずっと交流が続いていた。
私立の学校に通った私にとって、Rちゃんは貴重な地元の幼馴染であり、尊敬できる友達であり、かわいい後輩だった。高校で別の学校に通うことになった時には、あんまり会えなくなるんだろうなあと漠然とした寂しさを感じていた。
それがまさかもう三年間同じ大学に通えるとかどんな巡り合わせだよ。めちゃめちゃ嬉しいです。
誕生日三ヶ月しか違わなくてすぐ同い年になるし習い事に関してはあなたの方が先輩ですが、これからもこんな先輩をよろしくお願いします。
そして、そんな私達が最近発見した共通点は「本の趣味がゴリゴリに合う」こと。
それを利用して、自粛期間中に私達は新たな遊びを生み出した。
片方が読みたい本を借り、返す際に相手が読みたそうな本を一緒に同封する、名付けて「本の文通」である。
お互いの家がマ〜ジで近いからこそ生み出せた技、これこそ幼馴染パワーである。
一見エンドレスループに思えるこの文通だが、私の課題諸々が忙しくなったことで一ヶ月以上停止した。寛大な心で待っててくれてありがとう。やっと読み終わりました。瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」、胸が苦しくなるほどよかったです。
Rちゃん、次に読みたい本があったら教えてください。なければレポートの書き方についての資料を渡しますので、次に会えそうな日を教えてください。
最後に、鳩のその後を記してこの文を締めようと思う。
2020年の初っ端、最寄り公園に行ったら、ジャングルジムや小さな滑り台など、公園の改革になんとか逆らって生き残っていた様々な遊具が撤去されていた。鳩も当然のようにもう砂場にはおらず、跡地では子供達が無邪気に遊んでいた。まるでそこに鳩の置物があったことなど、誰も知らないみたいに。
鳩へ。あなたが死んでも、私達の友情が続く限りあなたは私達の心で生きています。
〜完〜
追伸:
やることが無いから何か書きたいなあと思って始めたnoteだが、何故かその後「書く」に集中した課題ややりたいことがポンポン生まれ、すっかり更新が滞ってしまった。
私は書くことの休憩は書くこと以外でしか実行ができないので、締切がないこんな感じの活動は大抵放り投げられてしまう。すみません。無理しないで進めます。